人間は幸せになるために経済を発展させ、便利な世の中を作ろうとしている。でも、今の日本人はそれで幸せになっているのだろうか?
今の日本は経済が発展することで人々の生活が窮屈になり、生活を便利にするはずが、逆に不便を増やしている。今の日本人は自分が幸せになる術を知らないような気がする。
経済的に豊かになることこそが幸せと感じている日本人は、生活に余裕を持ちながら日常に幸せを感じて生きていく方法をもっと探してもよいのではないだろうか。
次に、今回の旅が僕にとってどのようなものであったかについて書いてみたい。
実は今回の旅を始める前、僕は今回の旅が楽しいものになるかいささか不安だった。
それは初日のブログにも書いたように、6年前の世界一周の時と比べれば、新鮮味、緊張感、発見などの面で必ず前回を下回ると思ったからだ。
これは旅をもっと楽しみたいと思っている多くの世界一周パッカーが感じているジレンマだと思う。
その中で、旅に慣れたからこそ、二度目のヨーロッパだからこそ楽しめる部分もあるのではないか。そう思って旅をスタートさせた。
実際はどうだったかというと、確かに旅慣れていたからこそ、不安なく旅を続けられたし、スムーズに観光地を回ることができた。
二度目の訪問地では観光地に時間をとられず、町を時間をかけて回ることができた。
でも、6年前と比べると、やっぱり物足りなさはいなめなかった。
結論から言うと、今回僕がヨーロッパでしてきた1ヶ月の周遊は「旅」ではなく「旅行」だった。
分かりやすく言えば、短期旅行を繋ぎ合わせたようなもので、それを節約しながら続けていた感じがある。
1ヶ月間で多くの国を回り、いろいろな名所を訪れ、楽しむところは楽しんで、宿代や移動などの費用はできるかぎり節約した。
それは何も悪いことではないと思う。一つの旅のやり方といえるかもしれない。でも、僕の中では「旅」ではなく、「旅行」だった気がする。
これから、僕が「旅」を続けていくのかは自分でも分からない。
でも、旅は好きだし、旅には僕の知らないもっと面白いことが隠れているような気もする。
そのヒントとなりそうなことが旅中にあった。
イタリアのレッチェで無銭チャリダーの圭さんと再会した時、別れ際にこんな約束をした。
「圭さん、次は中米あたりで再会しましょう。何年後になるか分からないけど、また6年後くらいかな。また圭さんを訪ねて会いに行きますよ」
圭さんは本気にしたかどうか分からないけれど、僕はけっこう本気だった。
今度は中米の現地ビールを飲みながら、また圭さんと朝まで旅の話をしたいと思った。
そこにははっきりとした「目的」と「意思」がある。
圭さんが旅に目的を持っているように、僕も6年前の世界一周の時には目的と意思があった。
「自分には世界一周ができるのか」
「自分の全く知らない世界をこの目で見てみたい」
旅のスタイルが変化してきている、自分が旅に慣れてしまった、そんなことは実は言い訳で、旅することに価値観を見出せていなかったから、不完全燃焼な旅だったのかもしれない。
今回の旅でこれまでの訪問国は49カ国になり、行きたい国もだんだん減ってきた。
次の「旅」をする時は、何ヶ月も前からドキドキし、飛びあがるくらいの喜びを感じられる旅にしたい。そんな目的と意思のある旅をいつ見つけられるかは自分でも分からないけれど、案外それは6年後の中米かもしれない。
]]>
]]>
]]>
レッチェ最終日。
今日でこの町に別れを告げ、バルセロナに移動しなければならない。
昨日の夜はかなり熱の入った話しをしていこともあって、正午過ぎに目が覚めたものの、二日酔い気味でちょっと体が重い。
圭さんが一番得意だという朝食をご馳走になり、急いで出発の準備をした。
圭さんの一番得意な料理は目玉焼きらしい。「ん? 得意?」
14時半、僕のバックパックをママチャリの荷台に載せ、圭さんはニッチェ駅まで僕を送っていってくれた。
この6日間、圭さんには本当にお世話になった。
最初は2、3日の滞在でローマやヴェネツィアに移動するつもりだったけど、ここで6日間滞在したことは、都市観光をするよりずっと楽しく、イタリア人の生活習慣、この土地の文化なども味わえてとても有意義な滞在となった。
レッチェの町は小ぢんまりしたちょうどいい広さで、本当に雰囲気の良い町だった。
毎晩、夜中の2時まで広場は人であふれかえり、皆、時間に余裕を持ちながら生活している。
この地で40年間も陶芸をしているヒロコさんとは興味深い話ができたし、この町で偶然出会った日本人バックパッカーのYさんはイタリア初心者の僕をいろいろ助けてくれ、楽しい話がたくさんできた。
レッチェは今回の旅でもっとも思い出深い、好きな町になった。
これからも多くの困難が立ちはだかるだろうけど、圭さんの旅にご多幸あれ!
レッチェを3時16分に出発した列車はでバーリ・セントロ駅に5時10分に到着した。
1週間前にバーリからレッチェに向かった時は20ユーロした列車料金も、便によって値段が違うらしく、今回は半額以下の9.2ユーロで移動できた。
バーリ・セントロ駅からは列車を乗り換えてバーリ空港まで向かう。
本当はバスで空港まで向かうつもりだったけれど、たまたま入ったインフォメーションが空港行きの列車乗り場とつながっていた。
料金は5ユーロで、バスより1ユーロ高いけど、バスより早く着き、便もたくさんあったので、列車で行くことにした。
バーリ駅の近くのスーパーでえびせん発見。商品名は「Oishi」。
空港には6時半に到着し、チェックインをしたのだけれど、そこで一つの問題が発生した。
今回の便はスペインで有名な格安航空券を提供するヴエリング航空で、現在、ヨーロッパが一番バカンスで混み合う時期にも関わらず、スペイン行きの便は他の航空会社と比べても格段に安かった。
ネットで探したところ125ユーロ。それ以外のバルセロナ行きの便は全て200ユーロ以上で、500ユーロ以上のものも多かった。
残り枚数が少なかったから慌ててネット購入したのだけれど、安いだけあってそれなりの落とし穴があった。
まず、預け荷物が1つでもあれば追加料金が発生する。ネットには書いてあったのだけれど、ちゃんと確認していなかった。
預け荷物が10キロ以下で1つ、持ち込み荷物が1つだと思っていたら、持ち込み荷物が10キロ以下で1つだけしか許されなかった。
というわけで追加料金35ユーロを支払わされた。ネットで預け荷物があることを登録しておけば19ユーロの追加料金で済んでいたから、ちょっと痛い出費だった。
他の乗客が皆小さめのキャリーバックを持って機内に乗り込んでいたのはそういう理由だったのだ。
そして、機内に入ると、機内食はもちろん、お酒やジュースなどの飲料も全て料金がかかる。今回の移動は2時間ほどだったから何も飲み食いせずに我慢できたけど、安いには安い理由がしっかりとあった。
とはいえ、荷物代を含めて160ユーロとなってしまった航空券も他のチケットより格安だったので文句は言えない。
飛行機は定刻を少し遅れて20時40分にバーリ空港を発ち、23時にスペインのバルセロナ空港に到着した。
10カ国目となるスペインはこの旅最後の訪問国である。
今晩は時間も遅いので宿には向かわず、朝まで空港ですごすことにした。
夜中に場所のはっきりしない宿を荷物を持ちながら探すのは危ないし、宿泊予定の宿もチェックインは夜中12時までだったのでたぶん間に合わない。
1泊分の宿泊費用も浮くのでちょうどいい。
幸い、この6日間は毎日、圭さんと朝7時過ぎまで酒を飲んでいたからそんなにきつくはなかった。バルセロナ空港は広くて24時間営業だったし、2時半くらいまでは到着する便があって出迎えの人も結構いた。
カフェも24時間営業だったから、カフェのソファに座ってノートパソコンでブログを書き、2時間ほど仮眠もとれた。
明日はちょっと眠いだろうけど、久しぶりのバルセロナの町を楽しみたい。
バルセロナ空港
安いレモンのお酒を買って、空港カフェで朝まで過ごす。他にもそんな客がたくさんいた。
今日は8月8日。5年前に北京オリンピックが開幕した日だ。
「八」は末広がりで縁起がいいと考えるのは漢字を使う中国と日本だけだろう。
レッチェに来て、今日でもう5日目。
イタリアの他の都市への訪問をやめてずっとレッチェにいる。
かなり余裕があると思っていたら、驚くくらいにあっという間で、明日にはもう出発しなければならない。
お昼くらいに起きて、とりあえず荷物の整理。次の目的地であるスペインの情報を入手して、明日の空港までの行き方をいろいろ教えてもらっていたらあっという間に夕方になった。
今日が最後のレッチェの夜になる。というわけで、今日は僕も広場に行き、最後にもう一度、圭さんの手品を見ることにした。
タバコの自動販売機
ゴミ箱。
というわけで、午後7時頃、広場に着いた。
いつもより早く広場についたのは、今日から4日間、広場ではワインフェスティバルなるものが行われるという情報を聞いたからだ。
ワインの試飲、ワインに合うチーズやソーセージなど、広場内にブースがいくつも作られている。ただ、初日ということもあり、盛り上がりはイマイチだった。
子どもが店番を任されていた。
ちょっと早めに行ったので、人々の足がいくぶん早い。
大道芸をする時は、人がたくさんいればいいというものではなく、食事が終わってデザートを食べながら目的もなく散歩している少し深い時間のほうが良いらしい。なぜならそのほうが足を止めてくれやすいからだ。
早い時間だと、散歩ではなく目的をもって歩いている人が多いため、足を止めてくれる人もまばらだという。
ちょうどいいので、広場の周囲にあるオシャレな小物の露店を見ながら散歩した。何か安くていいものがあれば買ってみよう。
露店はほとんどが手作りだった。
日本にも可愛い小物は多いけど、イタリアはオシャレな感じもするのは気のせいだろうか。
通りには多くの露店が並んでいた。
ワインの栓。これも全部手作り。一つ買ってみた。
薬味を擂ってそのまま出せる容器。これも買っちゃった。
おお、町中で大胆な。さすがイタリア。
可愛いアイスクリーム売りの子を発見。
空もしだいに暗くなり、圭さんの手品にも多くの人が足を止めるようになってきた。
圭さん自身、この6年間ヨーロッパをまわりながらいろんな国で鍛えられて、大道芸への自信がついてきたらしい。
手品をしていると警察官が圭さんに話しかけてきた。
何か注意されるのかと思ったら、「俺にもコインを入れさせてくれ」と言ってきた。
警備中だろうに、こんな余裕があるのもなんかいい。
今日は長丁場になるので、11時くらいまで手品を見て、僕は先に家に帰ることにした。
手品が終わって圭さんが帰ってきたのは深夜1時半だった。
今日の圭さんは5時間も手品を披露し続け、薄利多売でなかなかの実入りを得たようだ。
で、今日も夜中の2時からは6日間連続となる晩酌を催した。
今日の話題はというと、
「全ての電子機器は人々に便利をもたらすと同時に不便をもたらしている」
「チケット買占めによる高額販売は商売としてアリかナシか」
話題がだんだん旅から離れ、小難しい領域に入ってきた。
2日前に買った18本のビールはすでに2本しか残っていなかったので、今日、追加で買ってきのに、そのビールもなくなってしまった。
今回の滞在中、2人でいったい何本のビールを飲んだんだろう。
最後にはワインも出して、今日も朝7時まで宴は続いた。
明日はレッチェからスペインに移動しなければならない。
旅は前へ前へ進んでいくものだけれど、もう少しレッチェにいたかったなと思った。
レッチェ4日目。
気がつけばレッチェに来て4日目になっていた。
当初の予定では、この町に来た目的は圭さんと再会するために来たわけで、レッチェという町を見たかったわけではない。
イタリアといえば、やっぱりローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアだろう。ナポリ、ミラノ、トリノなんて有名な町もある。
特に、今回の旅で一番行きたかった都市はヴェネツィアだった。
訪れた観光客の誰しもが良かったと絶賛する水の都・ヴェネツィアに前から一度行ってみたかった。
ところが、今日でもうレッチェ4日目。今までほとんどの都市が1泊か2泊、一番長くいた都市のブダペストで4泊だった。
「レッチェの後はローマ、ヴェネツィアと回りたいから、たぶん2泊か3泊になると思います」
圭さんにもメールでそう伝えていたのに、随分予定がくるってしまった。
実はレッチェに来た初日に居心地が良くなってしまい、その日のうちにレッチェに近いバール空港からバルセロナ行きの格安航空券をネット購入してしまったのだ。
「まあ、いいじゃないですか。ローマやヴェネツィアはまた行けますよ。せっかくだからのんびりしましょうよ」
レッチェ初日の夜に圭さんから聞いた言葉は、6年前にも聞いたような言葉だった。
6年前の世界一周中、僕は物価の高いヨーロッパで、ハンガリーに予定以上に長く滞在している。
僕の世界一周中の国別滞在日数は、毎日書いているブログの国別投稿数を見てもらえば分かるのだけれど、ヨーロッパの中でハンガリーは16日と圧倒的に長い。
それは、圭さんがスタッフとして働いていたブダペストの日本人宿・アンダンテから旅を再開するというので、見送りをするためだった。
それが、出発予定日になってもいっこうに出発せず、結局こちらが見送られることになり、無駄に長く滞在してしまったのだ。
「まあ、ゆっくりやりましょうよ」
慌しい旅程で疲れていたのか、知り合いの日本人に会えたことで安心したのか、毎日たっぷりビールが飲める喜びに負けてしまったのか、今回も6年前と同じように簡単に納得してしまった。
納得させられたというより、自ら望んでいたというほうが正確かもしれない。それだけここは居心地が良かった。
それでも、ローマだけ、ヴェネツィアだけなら全然行けたのだけれど、どうしても行っておきたい都市の片方だけ行くより、次の機会に両方の都市が残っていたほうが行きやすいと考えてしまった。
今回のイタリアで僕のこれまでの訪問国は49カ国(台湾、香港、マカオを含む)になった。行きたい国、行きたい都市もだんだん少なくなってしまった。
またいつかヨーロッパに来るために、楽しみは少し残しておこう。
自転車を直す圭さんは6年前と全く一緒。
そういうわけで、日数に余裕ができたので、バルセロナ行きの航空券は9日発を購入した。レッチェには6泊することになる。
まだ3日余裕があるけれど、3日もいながらまだ全く観光もしていないので、今日は圭さんに案内してもらってレッチェの町を観光することにした。
レッチェの町は南イタリアの町で、日本のガイドブックでもあまり取り上げられていない。しかし、欧米ではかなり人気があって「南のフィレンツェ」と呼ばれ、バロック建築が有名らしい。
この時期はサマーホリデーで観光客も多く賑わっている。
中心地は旧市街と新市街があるけれど、町の見所は旧市街に集まっているといっていいだろう。
それでは、今回も観光した場所は写真で紹介。
とりあえず観光は町の中心のサントロンツォ広場からスタートした。
広場にあるインフォメーション。残念ながら無料マップは入手できず。
まずは古代ローマ円形劇場。2世紀に作られたと言われていて、当時は2万5000人を収容したらしい。今あるのはその4分の1程度で残りは地中に埋まっているそうだが、驚いたのは今でもコンサートなどで使われていることだ。
つづいてサンタ・クローチェ聖堂。レッチェを代表するバロック建築の建物で、ここにはたくさんの観光客がいた。この土地の建築で使う石は加工がしやすいらしく、緻密な彫刻がところどころにされていた。
教会の天井には絵画が。
レッチェ大聖堂。ドゥオーモ広場にある。
大聖堂のとなりの塔
サンタ・キアラ教会。
途中でカフェに入りエスプレッソとカルツォーネを食べる。
カルツォーネもイタリア発祥。中にトマトとモッツァレラチーズが入っている。
この町にもあった凱旋門
観光が終わると、帰りにスーパーに寄ってお土産を探した。
イタリアでお土産なんて高いから無理。お土産は全部ハンガリーで買ってしまおうと思って、ブダペストでいっぱい買ったけど、ここのスーパーは安いし、他であまり見ない調味料もあったのでついつい買いたくなってしまった。
バジルとイカ墨のペースト。パスタにかけるやつ。手前はオリーブ入りの固形スープの素。
ニンニクとかバジルとか唐辛子とかの乾燥させたやつが混じっている。いろんな料理に入れると美味しくなるらしい。
圭さんが大道芸に出かえる前にバーでアペリティーボ。アペリティーボとは夕食の前に食前酒を飲むというイタリアの文化で、バーで果実酒などを出してくれる。
でもって、今日もやっぱり圭さんが大道芸から帰ってきたら晩酌。
今日のおつまみはサラダと生ハムとオリーブとほうれん草の炒め物
レッチェ3日目。
昨日も朝まで話していて、僕は昼前に目が覚めたけど、圭さんが起きてきたのは2時頃だった。
ところで、個人旅行をしない人がよく挙げる理由に「言語が話せないから」というものがある。
確かに言葉が相手に伝わらなければ不安も大きいだろう。
でも、「旅に言語は必要か?」という問いを受けると、僕はいつも「いらない」と即答する。
なぜなら、「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」「いくらですか」、この4つの挨拶さえ話せれば旅をしていく上でほとんど問題ないからだ。
宿やスーパー、切符売り場などではだいたい話す内容が決まっている。だから、相手の表情を見ていればなんとなく理解できるし、自分が相手に何かを伝える時も、紙に数字を書いたり、地図を指差したり、ジェスチャーで相手に伝えようとすれば、だいたい理解してくれる。
ただ、そのためには相手が自分の言いたいことを理解しようと努力してくれなければならない。だから、相手に気持ちを伝えようとすることは旅をしていく上で非常に大切なのだ。
もちろん、現地人とコミュニケーションをとったり、旅仲間と仲良くなるためには言語は必要不可欠なものだけれど、本当に言語が話せないと困るのは何か問題が起きた時だけだ。
ちなみに、ここレッチェではどうかというと、イタリア人は英語が話せない人が多く、僕の言葉は通じない。それでも特には困らないのだけれど、必死なジェスチャーなども必要とせず、快適に生活できているのは、圭さんのイタリア語がかなり上手で、全部助けてくれるからだ。
手品をする時もイタリア語で説明し、手品の合間や手品後に地元の人にイタリア語で話しかけられてもほとんど理解して、イタリア語で受け答えしている。
「一応、手品用語はどの国に行っても全部覚えるようにしています」
「特にイタリアは長いですからね。それに、僕は昔、スペイン語をやってましたから。イタリア語とはかなり似ているんですよ」
なるほど。金も持たずに日本を飛び出し、大西洋を手漕ぎボートで渡ろうとしている「ミスター無鉄砲」のような人だけど、だてに11年も旅を続けてこれたわけではないのだなあと思った。
というわけで、昨日予告したように、今日は地元のスーパーに行ってみた。
ここレッチェのスーパーは昼の暑い時間帯に店を閉めているところも多いらしい。だからスーパーに行ったのは夕方になってからだった。
そういえば、ハンガリーのブダペストにいたときも、スーパーは日曜日は休みだったし、他の国でも、夕方の7時くらいにスーパーが閉まる国が多かった。
日本人からすると、「どうしてやってないの!」「日本は24時間スーパーもけっこうあるし、なんて便利なんだろう」と思ってしまうけど、こちらの人から見れば、それが当たり前だから特に困らないのだろう。
便利になれば不便が増える。
そういえば昨日の夜、圭さんがこんなことを言っていた。
「こっちの人は幸せを得る方法をよく知っているんですよね」
お金を得ることのみを幸せと考えるのではなく、いかに生きている時間を充実させ、楽しく過ごせるかを考えているそうだ。
なにも休日や夜遅くまで働かなくたっていいじゃないか。そこで得る賃金よりも、その時間を自分のために使い、家族と過ごし、時間的な余裕をもって生きていったほうが幸せに生きていける。金は必要な分だけ稼げればいい。
戦後、必死に働きながら苦しい時期を乗り越え、経済発展とともに生活が豊かになっていった日本を否定するつもりはないけれど、ここの人たちは長年に亘って培われた文化の中で人生を楽しむ術が養われているような気がした。
レッチェの人たちの生活を見ていると、それが非常に分かりやすい。
ここの人たちは、夕方になると家族や仲間と一緒にまず家の近くのバーに行き果実酒などの食前酒を飲むアペリティーボという習慣がある。アペリティーボが終わったらセントラルに出て夕食を食べる。
食事が終わってもすぐには帰らない。広場を散歩しながら自分のお気に入りのアイスクリーム屋でアイスを食べ、夜中の1時2時まで広場でのんびりしてから家に帰る。
だから、大道芸をやっていても、興味をもったらすぐに足を止める。
すごい芸を見たら拍手し、面白い芸を見たら大人も老人も表情を崩してよく笑う。
良い芸だと思ったら、財布の中から小銭を出して缶に入れ、子どもが喜んでいたら、子どもに小銭を渡して缶の中にいれさせる。
きっと、小銭を渡していた親も子どもの頃には自分の両親からもらった小銭を缶の中に入れていたのだろう。
そんな文化は今の子どもが大人になったときにも子どもに引き継がれていくはずだ。
広場は毎晩こんな感じ
大人も子どもも楽しそう
大道芸に足を止められる余裕がある。
笑ったり、驚いたり、拍手をおくられる余裕がある。
自分が楽しんだことにコインを入れられる余裕がある。
時間だけでなく、心にも余裕があるんだろうなと思う。
日本はどうだろう?
圭さんに聞くと、日本は大道芸をやりにくい国らしい。
大道芸をしていても、足を止めずに横目で見たり、遠くから見て様子を伺ったりする。
芸を見ていても笑う人が少なく、芸が終わる前にその場から離れてしまう。
経済的な余裕はイタリア人よりあるはずなのに、財布の中の100円を入れようとしない。
日本人がケチだとは言わないけれど、日本人は心に余裕がないなあと思う。
日本で生活していた時、僕もそんな感じだった。
中国で生活している時、喧嘩や事故があると不思議なほど多くの野次馬が集まってくるのを見て、「なんて中国人は暇なんだ」と思ったこともあったけど、事故や喧嘩があっても何もなかったかのように横目で見て通り過ぎる日本人のほうが異常なのかもしれない。
閑話休題。
スーパーに行くと、その品数の多さと安さに驚いた。圭さんが特に安いスーパーを教えてくれたのだけれど、でっかりティラミスが3ユーロ、ビールが0.45ユーロ、生ハムやオリーブ、チーズなども日本よりずっと安くて、物価の高いイタリアをびびっていたのが嘘のようだった。
やっぱりナポリ以南のイタリアは物価が安くなるようだけれど、安いと思っていた東ヨーロッパのチェコやハンガリーと比べても同じかそれより安いくらいの値段だった。
スーパー・EURO SPIN
ティラミスがこの量で3ユーロ。
ちなみにティラミスはイタリア発祥で「私を元気づけて」という意味らしい。
今日は圭さんのところのキッチンを使わせてもらい、ちょっとした手料理を振舞うことになっていた。必要な野菜を買い、圭さんはあっという間になくなってしまったストックのビールを18本も買い足してくれた。
部屋に戻ると、圭さんは手品に出かけていき、僕はキッチンで料理にとりかかった。実は今回の旅では費用節約のために自炊しようと日本からいろいろな調味料を持ってきていた。
でも、宿にキッチンがなかったり、観光で疲れ果てて料理をする気にならなかったり、キッチンが他の旅人で埋まっていたりして、ほとんど自炊していなかった。
作ったといえば、パスタを茹でて、瓶詰めのトマトソースをかけたくらい。あとはフランスパンと生ハムとチーズを買ってすませていた。
やっぱり日本人、いくら美味しいといってもパンにはもう結構前から飽きてしまっている。
圭さんが部屋に帰ってきたのは午前2時過ぎだった。
今日のメニューは中米料理のセビッチェ、中華料理の凉拌黄瓜、辣子鶏丁、西紅柿炒鶏蛋、あとは日本の居酒屋料理のジャーマンポテト、鶏の竜田揚げ、鶏汁。
ちょっと期待されていたので、お世話になっている手前もあり頑張ってみた。
鶏の竜田揚げ
中華料理の辣子鶏丁
あまりうまくいかなかった料理もあったけれど、圭さんは全部美味いと褒めてくれた。
もちろん今日買ったビールも大量に冷やしていたので、ビール飲みながら今日も明るくなるまで話し続けた。
]]>
レッチェ2日目。
昨夜も手品を見た後、朝までビールを飲んで、寝たのは明るくなってからだった。
夜中が蒸し暑いのと、最近の生活リズムが狂っていることもあって、今日も3時間くらいしか眠れなかった。まあ、寝ないのは得意なので大丈夫。
今日、8月5日は父の誕生日。日本にいても、世界一周をしていても、北京に滞在していても、両親と連絡をとることはほとんどない。3ヶ月に1度連絡すればいいほうで、とくに親や兄弟から連絡が入ることもない。
別に仲が悪いわけではないのだけれど、ただ単に連絡無精なのだ。
そんな僕も、1年に2回だけ日本に必ず連絡を入れている日がある。それが両親の誕生日だ。
連絡無精ではありつつも、両親にはやっぱりそれなりに感謝している。これだけは20歳になってから17年、どこにいようが一度も欠かしたことがない。
今年も父の反応はいつもどおりで、「まあ、ぼちぼち」というものだった。
誕生日電話は今年も2分で終了。電話を忘れずにしたという安堵感を胸に、こころおきなく旅を続けることができる。
今日は平日ということで、圭さんが手品をするのは夜中の10時頃からだという。
週末は人が多いので夕方からやるけれど、平日はだいたい10時くらいから3時間ちょっと。それでもこのレッチェの町は多くの人が夜中になると広場に足を運び、大道芸に足を止めてくれるから、それなりに稼げるらしい。
というわけで、今日は手品の前に一緒にピザを食べにいくことにした。
イタリアといえばピザ。と言い切れないくらいいろいろなイタリア料理があるのだけれど、せっかく南イタリアに来たのだからナポリピザを食べてみたい。
すでにこの町に来て1ヶ月になる圭さんは町のことを知り尽くしていて、日本人女性と結婚したイタリア人が経営しているという人気のピザ屋に連れて行ってくれた。
ピザ屋に行く前にカフェへ。カプチーノは1ユーロ。
ピザ屋につくと、お客さんがいっぱいで、待たなければならなかった。かなり繁盛しているらしい。
「隣に陶器の小物を売ってる店があるでしょ。ここも日本人の人がやってる店なんですよ」
圭さんに教えられて店を見ると、〈HIROKO〉という看板のかかったオシャレな陶器のお店があった。
「すみませーん」と日本語で声をかけると、店の奥の工房からヒロコさんが顔を出した。
人の良さそうな朗らかな顔のヒロコさんはレッチェに住んですでに40年。いろいろな作品を作りながら考古学の勉強もしているらしい。
この夏も1ヶ月間の日本帰国の間に、中国の成都に行きその分野について調べたいと言っていた。
この年にしてこの向学心、見習わなければいけないなあと感心した。
ピザ屋の順番が来たのでヒロコさんにお礼をいってビザを注文する。
ナポリピザとマルガリータのピザを1枚ずつ、それにビールを2本注文した。
出てきたピザは薄生地だけれど、かなりの大きさで1枚食べたらかなりお腹いっぱいになった。
それなのに、値段は1枚5ユーロ前後(650円)。イタリアのなかでも南方は物価が安いというけれど、この値段はかなりお得だと思う。
残念ながら日本人の奥さんは不在だったけれど、味は抜群。機会があれば滞在中にもう一度来たいなと思える味だった。
食事のあと、圭さんは今日もいつものように旧市街に手品をしにいった。僕は2日連続で見にいっていたので、今日は休憩。部屋で圭さんの帰りを待ち、帰ってきたらいつものようにビールで晩酌した。
今日の料理はかなり豪華。バジルのパスタ、美味かった。
こっちに来てからお世話になりっぱなし。お金も払ってないのに同じ旅人の圭さんに全部やってもらっている。
明日はスーパーに行ってみたいし、そこで食材を買って、せっかくだから僕の手料理を圭さんにふるまおうかなと思う。
日付が変わって8月4日午前0時45分、レッチェのマクドナルド前にママチャリを走らせてきたのは無銭チャリダーの圭さんだった。
2007年9月、ハンガリーのブダペストで日本人宿「アンダンテ」に宿泊している時、ちょうど旅の途中でスタッフをしていた圭さんこと岩崎圭一さんと出会った。(ケセラセラ 2007年9月22日)
圭さんが日本を発ったのは2002年。「お金を持たずに人は旅ができるのか」というテーマのもと、人間の生き方と可能性について自分なりの答えを見つけるために無銭で大陸に渡った。
僕がハンガリーで会った時、圭さんの旅はすでに5年が経過しており、日本に一度も帰ることなく旅を続けていた。
僕が世界一周中に出会った旅人のなかで一番印象に残っている人だった。
「まあ、ゆっくりやりますよ」
そんなことを言いながら、明るく旅人に接していた人当たりのいい圭さんは、あれから6年、未だに無銭チャリダーとして旅を続け、現在は南イタリアのレッチェに滞在していたのだ。
「いや、すいません。今ちょうどあっちの通りで手品をしてて、遅れちゃいました」
6年前よりちょっと痩せたような気がするものの、6年前とほとんど変わらない圭さんだった。
「疲れたでしょ。大丈夫ですか? これからもうちょっと手品をしようと思うんですけど、先に家に行きますか?」
「えっ、まだ手品するんですね。それだったらぜひ見たいですよ」
レッチェの夜は遅い。今日は土曜日の夜ということもあるけれど、夜中の1時〜2時くらいまでは広場に人が集まり、賑わっているという。
前回ハンガリーで出会った時は日本人宿のスタッフをしていて路上手品を見たことがなかったので、どんな感じで手品をするのか興味をひかれた。
手品はだいたい1回10分くらい。最初は一人もいないところから、1人が足を止め、どんどん観客が集まってくる。そして、手品を見ながら一喜一憂し、拍手が起こる。
1時間ほど手品を見た後、一緒に圭さんが泊まっている部屋に歩いていった。
現在、圭さんはレッチェの現地人の家を借りて生活している。貸している人は今別の場所にいるからその家は圭さんが自由に使わせてもらっているそうだ。
というわけで、僕もその家にお世話になることにした。
もう少し圭さんについて書いておこう。
2002年、160円を握り締めて地元の群馬県を出発した圭さんは、新宿でホームレスを体験する。お金の価値、生きる価値を見出すために、圭さんは何もないところから旅をスタートさせた。
まず、ヒッチハイクと野宿で日本の47都道府県をまわり、フェリーで韓国へ。その後、中国の青島に渡り、ママチャリを購入。一切宿泊施設には泊まらずに野宿ですごし、そこから東南アジアへ移動した。
必要最低限のお金は独学で学んだ手品を路上で披露し、そこで得たお金でまかなっていた。
そして、インドからネパールに入り、なんとエベレストに登頂する。
海抜0メートルから人力で世界最高峰のエベレストに登頂したのは、圭さんを含めこれまでに3人しかいないという。
その後も圭さんは人力にこだわり、飛行機、バス、列車、自動車などの燃料のかかるものを一切使わずにママチャリのみで移動を続け、ガンジス川を手漕ぎボートで下り、カスピ海も手漕ぎボートで横断する。
そのような過酷な旅を続けながら、ヨーロッパに着いたのが2007年。その年の9月に僕と圭さんはハンガリーのアンダンテで出会ったのだ。
あれから6年。圭さんが日本を出てからすでに11年の年月が経過していた。
ところが、この6年の間、圭さんは未だにヨーロッパを旅している。前へ前へ進み続けていた圭さんは、もう前に進むことを忘れてしまったのか。彼のブログを見ながら心配していた僕は、今回のヨーロッパ旅のルートをずらして、南イタリアのレッチェという町まで圭さんを訪ねることにしたのだ。
久しぶりに会った圭さんは、「まあ、ゆっくりやりますよ」。その言葉通りにゆっくりと旅を続けていた。
「いつまでに旅を終わらせる。そんなことを気にする必要なんてあるんですかねえ」
「次ですか? ロシアに行こうと思ってます。それはもう、2008年からずっと考えていて、毎年行こうと思ってるんですけど、毎年チャンスを逃してるんですよねえ」
相変わらずの圭さんだった。
6年前のハンガリーでの話、それから6年間の旅の話、共通の旅仲間の話……。
そんな話をしながらビールを飲み続け、気がついた時には外はもう明るかった。
1本0.45ユーロのビールを二人で9本空け、二人とも酔っ払いながらベッドに倒れこんだ。
生ハムとサラダを出してもらった
すごくいい部屋だった
この部屋を使わせてもらった
目が覚めたのはお昼前。圭さんが起きてきたのは3時過ぎだった。
レッチェも他のヨーロッパと同じく、今は一番暑い時期で、昼間は暑すぎて外に出られない。
僕もこれまでの過密日程で疲れていたからちょうどいい休養になった。
夕方からは昨日と同じように中央広場で手品をするというので、僕はちょっと遅れて広場まで行き、今日も昨日と同じように圭さんの大道芸を夜中の1時過ぎまで楽しんでいた。
子どもたちは目を輝かせていた
大人たちも真剣に見入っていた
今日は完全移動日。
朝7時前に宿を出発して、目的地に到着したのは深夜0時をまわっていた。
ただし、移動日とはいえ、今日の移動はちょっと特別。
それは、フェリーでアドリア海を渡ってイタリアに行くからである。
そして大きな不安もいろいろある。
行く先々の地図がないこと、時間的に余裕がないこと、到着時間が遅いことなどだ。
まず、モンテネグロのコトルからバスに乗って港町のバールに移動する。2時間ほどで到着する予定だ。
バールはベオグラードからコトルに移動したときに近くを通っているはずだけど、そのへんの地理はよく分からない。
ただ、コトルに向かう時と同じように海岸線がすばらしく、どの町もアドリア海に面していて、とても綺麗だった。
ただ、バールの地図もないし、フェリー乗り場がどこにあるかも全く分からない。フェリーの出発は正午12時だから、それまでになんとかフェリー乗り場にたどり着かなければならない。
朝一番の便だったからか乗客は少なく、しかも、バールに着く前に途中でどんどん降りていく。
終点はバールだから乗り過ごすことはないのだけれど、とうとう最後には僕一人になってしまった。
不安になったので運転手にフェリーチケットを見せ、「ここに行きたいんだけど」と言うと、終点に着く前のフェリー乗り場に一番近い場所で降ろしてくれ、丁寧にフェリー乗り場までの行き方を教えてくれた。
歩くこと15分。以外にもあっさりとフェリー乗り場は見つかった。
まだ10時だったから、結構早く着いてしまった。
フェリー乗り場
これが今回乗ったフェリー。けっこうでかい。
出航!
フェリーは思っていたより大型で、客室や大きなレストラン、バーなども併設されていた。
ただし、僕のチケットは一番安い甲板席なので、ずっと外にいなければならない。
まあ、せっかくのアドリア海フェリーなので、外で全然いいんだけれど。
アドリア海はとても青くて美しい。大型フェリーでアドリア海を渡り、360度水平が見られるというのはなかなか贅沢なことだ。
アドリア海
甲板はこんな感じ。
最初の1時間は嬉しくなって船内を歩き回ったり、アドリア海を見て写真を撮ったりしていた。そのあとは疲れて1時間ほど眠ってしまった。
起きてみると、まだ2時だった。到着までは7時間もある。
何もすることがないからどうしようと思ったけれど、海を見ながら音楽を聴いていたら不思議なことにあっという間に時間が過ぎていった。
みんなそうかは分からないけれど、山を見たり、遺跡を見たりしても、何時間も同じ場所で同じものを見続けていると飽きてくる。
でも、海や川のように流れる水を見ていると何時間も見ていられるから不思議だ。
ちなみに、今回海を見ながら聴いた曲は、徳永英明、スピッツ、尾崎豊。とくに徳永英明の「ヴォーカリスト」はよかった。
あっという間に7時になり、あと2時間で到着という時間になると、夕日がフェリーを赤々と照らし、水平線に沈んでいった。これは本当に美しかった。
フェリーの料金が60ユーロ(7800円)で高いと思っていたけれど、移動手段としてではなく、アドリア海をフェリー旅できるという大きなイベントだと考えれば、そんなに高くなかったかもしれない。
フェリーは定刻より少し早い8時45分にイタリアのバーリ港に到着した。
さあ、ここからが大変だ。
出国手続きを終えてフェリーターミナルから出ると、急いで中央駅へ向う。
何とか今日中に目的地のレッチェに到着したい。そのためにはバーリ駅発レッチェ行きの列車に乗らなければならない。
最終便は10時45分。フェリー乗り場から中央駅までは3〜4キロあるはずだ。
急がないと間に合わない。そして、宿をとっていないので、間に合わなかった場合、駅かマクドナルドあたりで夜明けまで待たなければならない。
港から町に続く道では多くの人たちが集まり、盛り上がっていた。
中央駅までの道はネットをデジカメで撮ったおおまかな地図しかない。
暗くて道の名前もよく分からないので、とにかくそのへんにいる人に何度も道を聞いて駅に向かった。
たぶん、10人以上に聞いたと思う。そのほとんどが英語が分からなくて驚いたけど、なんとか列車の駅ということを伝えて、少しずつ進んでいった。
そして、9時45分。無事にバーリ駅に到着した。切符の窓口が閉まりかけているところを、無理やり開けてもらってチケットを購入し、なんとか今日中にレッチェに行けることになった。
列車チケットは20ユーロ。けっこう高いけど今日中にレッチェに行かないといけないから仕方ない。でもかなり良い列車で移動は快適だった。
移動時間を使ってブログを書いていた。
レッチェ駅に到着したのは11時32分だった。
20分くらい歩いて市内中心部に行き、マクドナルドの前で一人の日本人を待った。
夜12時を過ぎているというのに広場は多くの人で賑わっていた。
これから6年ぶりにある日本人と再会する。
この町に来たのも、実はその友人と会うためだったのだ。
時間はもう夜中の1時前である。
日が変わってしまったので、この続きは明日のブログで。
今日はいろいろあって小忙しい一日になった。
モンテネグロからの夜行バスは予定の9時半より10分遅れの9時40分にモンテネグロのコトルに到着した。
12時間のバス移動ではかなり眠れた。
そして朝方はバスがアドリア海に面する海岸線を走行していたので、小さな町につくたびに赤い屋根の町並みとビーチを見ることができて得した気分だった。
コトルの町はアドリア海のリアス式海岸にある町で、内陸に一番入り込んだ湾にある。
町自体が世界遺産になっていて、町は城壁で囲まれている。クロアチアのドブロブニクを小さくしたような町だ。
コトルのバスターミナル
山に囲まれているので海というより湖みたい。
市場
コトルは城壁に囲まれた町。ゲートをくぐって町に入る。
コトルの町につくと、まずはインフォメーションに行って無料地図をもらう。
そして、一番不安だった次の目的地へのフェリーチケットについて聞いてみた。
「コトルからイタリアのバーリに行くフェリーのチケットを買いたいんですけど、どこに行けばいいですか?」
「コトルからバーリ? そんなフェリーはないよ」
「えっ、でも、インターネットで調べたらありましたよ」
「それは間違い。そんなフェリーはありません!」
思ってたんと違う! これはまずい!
それじゃ、どこからならフェリーが出てるかと聞くと、近くの旅行会社を紹介してくれた。
荷物を持ったままその旅行会社に行き、バーリ行きのフェリーについて聞くと、バスで2時間ほどいったバールという町からフェリーが出ているという。
明日のお昼の便と明後日の夜の便とあるけど、どちらにするかと聞かれ、とりあえず午後にもう一度来るといって引き上げた。
荷物が重いので、とりあえずネット予約しておいた宿に行って荷物を置くことにした。
宿はとても分かりにくい場所にあり、近くの店で聞き込み調査をしていると、やさしい店員さんが直接その宿に電話をかけて、スタッフの人を呼んでくれた。
今回泊まる宿は「ホステル・モニカ」。1泊13ユーロのドミトリーだ。
ホステルの看板も出ていない。もぐりの宿かな?
ドミトリーの部屋は充実していた。部屋の中にキッチンもある。
チェックインは12時だったので、荷物を部屋に置いて町に出て他にフェリーチケットを扱っている会社はないか聞いてまわってみた。
でも、残念ながら、何人かの人に聞いたけど、やっぱりこの町からはフェリーは出ていないようだった。
仕方なく旅行会社へ行くと、今担当スタッフがいないから午後1時にもう一度来てくれと言われてしまった。
チェックインの12時までにはまだ1時間くらい時間がある。
というわけで、海岸沿いを散歩し、ビーチに行ってみることにした。
日本とは違い、欧米人は若者から老人までとにかく体を焼くことが大好きだ。
すごく太ったおばあさんでも、ビキニにTバックみたいなのをはいて体を焼いている。日本なら絶対に見かけない光景だ。
そうこうしているあいだに12時になったのでホテルに戻りチェックイン。
シャワーを浴びて洗濯をすますと、すぐにバスターミナルに向かう。明日のバール行きのバスチケットを入手するためだ。
バスターミナルでバール行きの時間を聞くと、朝一番は7時40分発。バールまでは2時間くらいかかるそうだ。
バールの地図はなく、バスの降り場やフェリー乗り場の位置も分からないけれど、これならなんとか、明日12時発のフェリーに乗れるだろう。
7ユーロでバスチケットを購入すると、すぐに町に戻り、午前中に行った旅行会社でフェリーチケットを購入した。
フェリーは正午12時にバールの港を出港し、午後9時に南イタリアのバーリ港に到着する予定だ。料金は一番安い甲板の席で60ユーロだった。
これで、何とかフェリーチケットは確保できた。
でも、2泊で考えていたコトルを1泊にしてしまったため、今日中に観光をすべて終わらせなければならない。まあ、そんなに広くないから大丈夫だろう。
とりあえず宿に戻って事情を説明し、2泊から1泊に変更することを伝えると、キャンセル料金はとられず、1泊分の料金を返してくれた。
時刻は午後2時半。
そんなに広くはないけれど、世界遺産になっているコトルの町を急いで観光することにした。
公共の水飲み場
この町には巨人がいるようだ。
城壁に囲まれた町。城壁は山の斜面にも続いている。
思ったとおり、観光は2時間ほどで終了した。
ただ、もう一つだけやりたいことがある。それはこの町が見渡せる山の頂上へトレッキングすることだ。
コトルの町はアドリア海に面したリアス式海岸のなかで、内陸に一番入り込んだ場所にある。
町は城壁で囲まれ、町の背後には標高250メートルほどの山がある。城壁は万里の長城のように山頂まで伸びており、1時間ちょっとあれば山頂までいけるらしい。
5時半になったので山頂への登山口に行き、入場料3ユーロ払って登山道の地図をもらった。
現地人の可愛い女性が係員でいたのでいろいろ聞いて仲良くなり、写真を撮らせてもらった。
登山は想像していたより急勾配で、かなり疲れた。
ヒーヒーいいながら、なんとか1時間ほどで山頂まで到着し、コトルの町を一望する。
登山道はこんなかんじ。
赤い旗がたっているところが頂上。
頂上到着。
トレッキングは疲れるから嫌いだけど、登ってみるとやって良かったと思う。
とくに今回はアドリア海とコトルの町が一望できて眺めが最高だった。
山を降り、宿に戻ってきたのは夜8時前だった。ドミトリールームには誰もいない。
すっかり汗をかいてしまったので、この日2度目のシャワーを浴び、今日は何も食べていなかったので、急いでバスタを自炊して夕食にした。
昨日、ベオグラードのバスターミナルで買ったビール。ちゃんと冷やしておいた。
食事をしながらインターネットでメールをチェックし、明日訪れる町の情報を入手する。
結局、バールのフェリー乗り場の位置はよく分からなかった。仕方なく到着してから聞き込み調査をすることにした。
そうこうしているうちに夜中の10時になった。しかしドミトリーに他の旅行者は誰も帰ってきていない。
欧米人は夜飲みに行く旅人が多いが、この町の夜も盛り上がっているようで、宿の外からは路上演奏の音が聞こえてくる。
せっかくなので、もう一度夜の町を歩いて回ってみることにした。
中央広場はかなり盛り上がっていた。
路上演奏者
市場では朝は野菜を売っていたのに、夜は小物を売っていた。
何かのイベントがあるらしく、仮面を多く売っていた。
そんなこんなで宿に戻ってきたのは夜中の12時。他の旅行者も宿に戻ってきていた。
急いで明日のための荷造りを行い、夜中の1時半に就寝した。
明日は朝早く宿を出て、9カ国目のイタリアに向かう。
今日もかなり忙しかったけど、明日も忙しくなりそうだ。
昨日の夜中に到着したここベオグラード。
しかし、今後の旅程の関係で、今日の夜には出発しなくてはならない。
というわけで、24時間の短い滞在となる。
特に興味のある場所があるというわけではないのだけれど、なぜ訪れたかというと、初めて訪れる国であることと、方向的に通らなければならない国だったからだ。
実は、2007年の世界一周の時も、ブルガリアからボスニア・ヘルツェゴヴィナに移動する際にセルビアは通っている。
でも、特別興味がなかったので、そのまま通り過ぎてしまった。
だから今回はせっかくなので、1日だけれど立ち寄ることにしたのだ。
ベオグラードの中心部はそんなに広くない。
今日は朝6時には目が覚めたので、それから準備をして9時にチェックアウト。
ホテルに荷物を預けて(有料・3ユーロ)、市内観光に出発した。
アンダンテで見た「地球の歩き方」の観光地を見ても、特に行きたいと思う場所はない。
興味のない場所を回るために暑い中を歩き回るのは面倒くさいので、市内の中心地をぐるっと1周してみることにした。
宿の近く
まずは中央市場に行ってみた
ここでは朝食のバナナを購入(7本で40ディナール、45円)
次にサヴァ川の船着場へ
サヴァ川が見える丘公園にいってみた
全裸の男の像が町を見下ろしていた
戦争博物館
公園で遊ぶ子供たち
物売りの人も若くて美人
町を歩いていると、以外にも色んなことが分かって面白かった。
これまで回ってきたヨーロッパの国とはちょっと違うなと思うこともいろいろあった。
箇条書きにしてみよう。
まず、この国の言語はセルビア語で英語があまり通じない。昨日のインフォメーションのおっさんもそうだった。
町中にタクシーが多くいる。これまで通った国は基本的に流しのタクシーはいなかった。トラムは走っているけれど、地下鉄はなく、市内交通が充実していないことが原因かもしれない。
通りの名前を書いてないことが多く、目的地を見つけることが難しい。看板や道の名前が書いてあっても、セルビア語だけで英語表示がないので分かりにくい。
道路の舗装状態がよくない。また、町中の壁に落書きがとても多い。首都のベオグラードといっても、まだそこまで整備されていないようだ。
アジア人観光客がほとんどいない。日本人は滞在中、一度も見なかったし、中国人を中心地で1組見ただけで、あとはいなかった。
道路の舗装はこんなかんじ。
これはきれいなイラストだけど、落書きはとても多い。
中国人旅行者はいなくても中国人移住者はいる。「北京飯店」
町の中心地
お昼になったので、ちょっとレストランに入ってみた。
ここでは室内で喫煙できたので、ハンガリーとは違うようだ。
セルビア料理らしき料理を注文し、安かったのでビールも頼んだ。
これで600ディナール(680円くらい)
食事を終えて、中心地をぶらぶらし、いつの間にか宿の近くまで戻ってきていた。
9時に出発して2時に戻ってきたから、5時間くらい観光していたことになる。
バスの出発まで時間があるので、それまでは宿のリビングでネットをしていた。
宿を出たのは8時。歩いて昨日バスチケットを買ったターミナルに向かった。
空はまだ明るい。明るくて道を知っていると、案外あっさりと駅に着いた。びくびくしながら歩いていた昨夜が嘘のようだった。
バスターミナルに到着してから、財布にまだ600ディナール(660円)残っていることに気がついた。
もうスーパーにも行けないし、お土産物もたいしたものがない。
仕方ないので、夜食用のパンを2つ、ビールを3本、ジュースを1本買ってディナールを消費した。
重いので1本飲んじゃいました。
ベオグラードを出発したのは9時20分。
夜行バスは明日の朝9時半に8カ国目・モンテネグロのコトルに到着する予定だ。
今日はブダペストを出発し、新しい国に移動する。
DJのKくんとは偶然同じ宿に宿泊し、2日間だけだったけれど、今まで知らなかった音楽の世界やDJ業界についていろいろ教えてもらって勉強になった。
宿のチェックアウトは11時。Kくんに見送ってもらい、少し早いけれどそのまま荷物を持って東駅まで歩くことにした。
疲れている旅人もいれば、
かっこいい旅人もいる
これが今回の旅で初めての列車移動だ。
西ヨーロッパでは列車は高くて手が出なかったけれど、ハンガリー以南はバスも列車もそんなに値段が変わらず、なかには列車のほうが安い場合もあるらしい。でも、列車は時間がいい加減で、遅れることもよくあると地球の歩き方に書いてあった。
列車に乗ると、30分くらいして切符の検査があった。
そして、旅の初日以来となる出国・入国チェックが列車内で行われ、パスポートにもちゃんとハンコを押してもらった。
セルビアはユーロに加盟していないからだろう。
ちなみに、ベオグラードに行くことは、ブダペストに着いてから決めた。
本当はブダペストのあとはスロヴェニアに行こうかと思っていたのだけれど、前にも一度行ったことがあるし、ちょっと様子の違う国にも足を運びたくなったのだ。
というわけで、セルビアのことは何も調べていないし、ガイドブックも地図もない。
必要になりそうな箇所はアンダンテにあった地球の歩き方「中欧編」をデジカメで撮っておいたけど、到着するのが夜だし、ホステルの場所がすぐに分かるか結構不安だ。
こんなファームが広がっていた。
移動中はほとんど寝ていた。
昨晩も普通に寝て、夜中は寝なくても平気なのに、なぜか乗り物移動になるとすぐに寝ることができる。
これは旅人にとっては結構重要。
もちろん荷物はしっかり管理しておかなければいけないけれど、夜行バスや夜行列車で移動しても、目的地についてすぐに1日中観光できるから無駄がない。
ただ、地球の歩き方の指摘どおり列車は遅れ、ベオグラードについたのは定刻より1時間遅れの9時半だった。
もう日が落ちて真っ暗である。
両替屋を探して現地通貨を作り(ディナール)、次の移動のことを考えて駅の近くにあるバスターミナルで次の移動のチケットを買った。
そうこうしているうちに、時間はもう10時半になっていた。
町にはスロットやルーレットのカジノバーがたくさんあった。
しかも、ホテルの場所は「Booking.com」の宿情報で出ていた簡単なものをデジカメで撮っただけだ。
地図を見ると歩いていけなくはないけど、まあまあ距離がある。
町の雰囲気も何だか怪しいし、駅の周りの見せはだいたい閉まっていて道も暗い。人通りもほとんどなかった。
これって結構ヤバイんじゃない……。
と思いながら開いている店の店員の人に道を尋ねながら、なんとか30分ほどで予約しておいた宿を見つけた。宿に着いたのは11時をまわっていた。
フー。良かった良かった。
今回の宿「GO2ホステル」。1泊7.2ユーロ(930円)。
今回のドミトリーは珍しく3段ベッドだった。
宿のある場所はベオグラードの中心地で、外は人通りもあったので、とりあえず喉の渇きを癒そうと近くの売店にビールを買いにいった。
ところが、残念ながら22時から6時まではビールの販売が禁止らしく、仕方なくコーラを買って宿に戻った。
明日は一日、ベオグラードの町を散策する。この国はいったいどんな国なのだろう。
ブダペストに来て、4日目。
今までの旅は、フランクフルト1泊、パリ2泊、ブリュッセル2泊、アムステルダム2泊、チェコ2泊とかなり駆け足だった。
やっぱり、旅をするなら一つの都市に最低3泊はしたい。
1日は市内の名所を観光。
1日は生活感の感じられる面白そうなところを探索。
そしてもう一日は次の都市への準備や休息に。
ここブダペストでは本当は毎日劇場に行く予定だったし、アンダンテにずっと泊まる予定だったからのんびりしようと決めていた。
結局、劇場はやってなくて、アンダンテも2泊しかできなかったのだけれど、疲れていたので予定通り4泊して、かなりのんびりできた。
今日は午前中は宿のネット環境が悪かったから、近くのマクドナルドに行って、エスプレッソ1杯で3時間インターネットをした。
暑いので外を少し歩くだけですぐバテる。何でも昨日は40度近くあったそうだ。
ちなみに、今日行ったマクドナルドではないけれど、ここブダペストには世界一美しいといわれるマクドナルドが存在する。
でも、前回の旅のときに行ってみたけど、「どこが?」という感じで、ちょっとこぎれいなだけだった。何でも昔は豪華なシャンデリアがあったそうだけど……。
昼食のピザ。20フォリント。200円くらい。
ブダペストで気づいたことがいくつかある。
まず、これはブダペストに限ったことではないのだけれど、中国人観光客がやたら多い。6年前にヨーロッパをまわったときと比べても、格段に増えた。バックパッカーはほとんどおらず、みんなツアーに参加している金持ちの夫婦、もしくは家族だ。
近年、中国人の金持ちのステイタスは車や家、携帯電話から海外旅行へとシフトチェンジしているようだ。
中国人のツアー観光客は本当に多い。
また、今回の旅では韓国人の若者バックパッカーともよく遭遇する。日本人と比べると、一人で旅しているのはほとんどいないけど、二人もしくは数人の複数で旅をしている。数でいうと、日本人よりもずっと多いような気がする。
それから、この国では、室内での喫煙が完全にNGなことだ。
路上でタバコを吸っている人は結構いるけど、レストランでも、バーでも、そして一昨日いったカジノでも室内での喫煙は禁止されている。
カジノでタバコ吸えないって、何? と思うのは僕だけではないと思う。
ただでもタバコが高いのに、肩身の狭い思いをしている喫煙者は日本だけではないようだ。
オープンカフェならタバコが吸える
夕方からは最後のブダペストでの夜ということで、アンダンテで知り合ったMと、いっしょに今の宿に来たKと一緒に近くのレストランに食事に行った。
このパスタは甘くてきな粉餅のような感じだった。
この二人もちょっと変わった旅人で、旅人というより、今回はハンガリーで行われた「サン」というフェスに参加するために、わざわざ日本からやってきたのだという。
Mはエンジニアの仕事をしていて独立し、自分で会社を作って働いている。
まだ36歳だけれど、BMWに乗るほどの高給取りで、なぜ普通のいいホテルに泊まらないかというと、自分が好きなことさえできればよくて、お金にあまり執着がないのだという。
ちなみに彼はかなりのド変態だ。
もう一人のKは日本でDJを職業としている。日本各地にDJとして呼ばれ、自分でも作曲活動をしたり、CDを出しているらしく、彼のCDをプレゼントしてもらった。僕が職業としてDJをしている人と会うのはこれが初めてだし、実際にDJで仕事をしている人は日本でもほんの一握りしかいないそうだ。
食事のあとはブダペストの夜の街を3人で散歩して、公園の盛り上がっているオープンバーで酒を飲んだ。
ここならタバコも吸える。
若い女性がいちいち可愛い。
夜中、宿に戻ってみると、僕らと同じくアンダンテで泊まれなかった日本人バックパッカーが2人、こちらの宿に泊まりにきていた。
ただそのうちの一人が、宿に来てすぐにi-phoneを部屋で盗まれてしまったらしい。
部屋に充電したまま忘れて外に食事に行ったら、帰ってきたときにはなかったそうだ。
i-phoneがないといろいろ困るだろうし、これまでの写真とかも無くなったみたいで本当にかわいそうだった。
不注意といえばそれまでなのだけれど、安全そうに見えた宿もそういうことがあるから、僕も気をつけないといけないなと思う。
相変わらず居心地のいいアンダンテ。そして、ブダペスト。
6年前と比べると、なんかちょっと違う雰囲気なんだけど、それが何だかよく分からない。
まず、ブダペストの町はどうなったかというと、これがほとんど変わっていないから驚いた。
町にスーパーがやたら多く、劇場もたくさんある。
スーパーカイザー。
ヨーロッパのほとんどの町でいえることは、新しい店舗や機関ができるときに、建物を作り直さないことだ。大きな建物の1階を利用して、店舗が入れ替わるだけ。もちろんテンポ内は改装しなければならないけれど、外観の建物はそのままなので、町並みは全く変わらない。
チェコのプラハでもそうだったけれど、ブダペストの町並みも6年前とおんなじだった。
次にアンダンテ。
2ヶ月前にリフォームして、キッチンがリビングとは別の場所に移動した。日本の漫画とDVD、地球の歩き方が6年前よりはかなり充実していて、ますます旅人は沈没しやすくなっている。
リフォームしたキッチン。使いやすくなった。
現に今宿泊している人も10日以上の長期滞在者がけっこういる。みんなiphoneとかノートパソコンとか持っていてピコピコしてるから、宿のフリーパソコンの前で並んでいた6年前とは時代が変わったなと思ってしまう。
しかし、残念なことに現在ヨーロッパはサマーホリデーで旅行者が大変多いハイシーズンにあたる。他の国でも宿を探すのが大変だったけれど、ここアンダンテでも宿泊者が多く、予約を入れるのが遅かったために、今晩からの空きベッドが確保できなかった。
というわけで、アンダンテには2泊して、今日から近くにある別のユースホステルに移動することになった。
ブダペストでやることはほとんどないのだけれど、実は、これからの旅のルートがまだ決まっていない。情報収集もほとんどしていないので、休息もかねてもう2泊ブダペストの町でのんびりすることにした。
というわけで、今日は午前中はアンダンテで地球の歩き方を見ながら今後のルートと国情報を入手し、11時にチェックアウト。
チェックアウト後もベッドを空ければ居ていいと言ってもらったので、そのまま荷物をリビングに置いてブダペスト東駅まで列車チケットを買いにいった。
ブダペスト東駅
途中にあった中華料理店が魅力的すぎて入ってしまった。
いろいろ考えたあげく、次の目的地はとりあえず、セルビアの首都・ベオグラードにすることにした。
なぜそこに行くかというと、まだ行ったことがない国だったことと、南に移動するにはちょうどいい中間地点だったからだ。
列車は7時間の移動で15ユーロ。西ヨーロッパでは考えられないくらい安い。バス料金ともほとんど変わらなかったので列車移動にした。
これから南に移動すると、バスも本数が減り、毎日運行していないようだから、列車移動が増えるかもしれない。
つづいて、歩いて中央市場に行ってみることにした。
東駅からは歩いて30分くらいで、普通なら余裕で歩ける距離なのだけれど、今日の徒歩移動は辛かった。
とにかく暑い。気温38度。暑くて北京から抜け出したのに、変わらないくらい暑くて、何度もスーパーに入って体を冷ましながらやっとのことで中央市場まで到着した。
なぜ中央市場に来たかというと、ここではフォアグラを安く売っているからだ。
ハンガリーは今までまわってきた国のなかではかなり物価が安い。チェコとはだいたい同じくらいだと思うけど、たぶんハンガリーのほうが安いだろう。
フォアグラはもちろん、他のおみやげも何かいいものはないかなと思ってやってきたのだ。
中央市場
ハンガリーといえばパプリカ
パプリカチューブ。
フォアグラの缶詰。安いやつだと450フォリント(500円)。
いろいろ物色して、フォアグラとパプリカを少し買った。そして、宿の近くのスーパーでも紅茶などを少し買っておいた。ハンガリーはヨーロッパのある程度先進国の中では物価がかなり安い。そして、お土産になりそうなものを結構売っている。
ところで、スーパーで買い物をする時に、ちょっと腑に落ちないことがある。それは、99.9フォリントの物を買うときに100フォリントを渡しても、お釣りが帰ってこないことだ。1フォリント以下の貨幣はないから仕方ないんだけど、何か騙された感じがする。
中央市場からアンダンテへの帰路はさらに辛かった。
帰りにスーパーでビールを買って、到着してすぐに飲んだけど、のどが渇きすぎてすぐに飲んでしまい、もう1本買いにいってしまった。
途中の公園ででかいコーラを発見。うまそうだった。
1時間ほどアンダンテで休んだあと、荷物をもってホテル移動。ちょうど、アンダンテに来たけど空いているベッドがなくて困っていた日本人旅行者がいたので一緒に次のホステルに移動することにした。
次に宿泊することになったのは「Day and Night Party Hostel」。アンダンテから歩いて5分の場所にあり、1泊6ユーロ。安い!
部屋は18人のドミトリールームだけれど、オープンして間もないようで、部屋も広いしとても綺麗だった。これで6ユーロは安い。
ただ、wifiが弱くてインターネットがつながりにくいことと、キッチンがないのが結構不便だった。
ホテルの入り口は看板もなくこれだけ。ちょっと分かりにくい。
部屋はとても綺麗で広くベッドもでかい。
沈没者の多い日本人宿の朝は遅い。
僕は昨日は夜中2時頃には寝たのだけれど、他の滞在者たちの多くは4時過ぎまで酒を飲んで盛り上がっていたらしい。
朝8時に目が覚めてリビングに行くと、まだ誰も起きていなかった。
このへんは6年前と同じだ。
6年前はみんなで「ダハブゲーム」をして朝方まで盛り上がっていた。
それでも、午前中にはほどんどの旅人がほとんど寝ずに観光などに出かけていっていた。
今日の午後は劇場チケットを入手しにいくことにした。
前回ブダペストに滞在したときは、オペラ、オペレッタ、ミュージカル、クラシックと4つの公演を見に行った。また、チェコのプラハではバレエを、オーストリアのウィーンではウィーンフィルを見に行った。
ブダペストの町は劇場が文化として人々の生活の一部になっているのか、劇場のチケットが安い。安いといっても、全てが安いというわけではない。あまりお金を持っていない人でも見られるように、安い席を500円前後提供しているのだ。
日本にいると、そういう機会もなかなかないから、今回のブダペスト滞在も、のんびりしながら毎日劇場に足を運ぼうと思う。
ところが、オペラ座に行くと、今はサマーホリデーで館内見学のチケットしか発売していないという。パリのオペラ座と同じだった。
オペラ座
つづいて、オペラ座のすぐ近くにある劇場に行ってみた。
外に仮設のチケット売り場があったからこれは大丈夫だと思ったら、ここも今月の公演はないという。いよいよ怪しくなってきた。どっか一つくらい見られるところがないのだろうか。
最後に向かったのがマチーダ劇場。
ここもポスターはいろいろ貼ってあるものの、肝心のチケット売り場が開いていない。近くの花屋のおばちゃんに聞いたら、やっぱり今月は公演がないという……。
残念……。
結局楽しみにしていた公演は1回も見ることができなそうだ。
外は35度以上、暑い中を歩いて、無駄足に終わってしまい、疲れて宿に戻った。
これではブダペスト滞在中にやることがなくなってしまう。
というわけで、今日はカジノに行ってみることにした。
アンダンテに滞在している人で、カジノ好きの人、というかカジノで生計をたてている人がいて、その人と何人かの旅人が一緒にブダペストのカジノに行くというので、僕もついていくことにしたのだ。
夜中にカジノに行くので宿でだらだらしていると、6年ぶりの再会があった。
この宿のオーナーのヨシさんである。
当時はアンダンテを始めたばかりで、自らが宿の管理人をしていたけれど、現在は別のアパートメントを経営しながら、アンダンテは別の管理人に任せているらしい。
実に6年ぶりの再会だったけれど、ヨシさんはほどんど変わっていなくて、すぐに分かった。
そして、驚いたことに、ヨシさんは僕のことを覚えてくれていたのだ。
「おお! 本当に久しぶりですねえ」
「あの時ってメガネをかけていなかったでしょ」
「前に来たときって、髪が黄色かったですよね」
こんなにはっきり覚えてくれているなんて感激だった。
そして、しばらく当時のことを二人で話して盛り上がった。
無銭チャリダーのケイさんの話。その時いた旅人の一人が事故で亡くなった話。写真はNGの変わった旅人がいた話。麻原彰晃ばりのヒゲをたくわえていたヒゲさんの話……。
そういえば、あの時のメンバーは他いろいろいた。100カ国以上旅をしているパッカー、旅中にベルギー人と恋に落ちて結婚したパッカー、どこかの国の大使夫人。
日本人宿には個性的な日本人が多く集まっている。それは6年前も今も同じで、今アンダンテに滞在している人もいろんな人がいる。カジノの達人、夫婦パッカー、22歳の学生パッカー、会社の経営者……。そして偶然にもなぜか187センチ、186センチ、183センチとでかい人が多かった。
その中に、一人の旅人ではない滞在者がいる。
Iくんは日本の大学院生で、このたび、ハンドボールの国際コーチライセンスを取得するためにハンガリーに留学にきている。
大学の宿舎はまだ開放されていないけど、少し早く来てアンダンテに滞在しているのだという。
どうりで体格がいいわけだ。
若いのにしっかりしていて礼儀正しい、ただ、今は何もやることがないらしく、昼間からビールばかり飲んでいる。日本でハンドボールの国際コーチライセンスをもっている人はまだいないそうだから、ぜひとも彼には頑張ってもらいたい。
というわけで、夜。
今日のカジノにはヨシさんも一緒に行くことになった。
向かったカジノホテルはくさり橋の近くにある「カジノ・ラスベガス」。
あれっと思って調べたら、6年前にアンダンテに滞在中も旅人仲間と一緒に行ったカジノだった。
カジノへの入場は、パスポートでの身分登録をしてカードを作ることが必要だけど、驚いたことに、僕のデータは6年前のものがちゃんと残っていて、カード発行は必要ないということだった。
実はこのカジノ、僕にとって思い出深いカジノなのだ。
6年前、世界一周をしている時に、ある日本人とブルガリアの宿で出会った。トモさんという僕より3つくらい年上のバックパッカーで、性格の優しいとてもいい旅人だった。
カジノ好きのトモさんと僕はブルガリアのソフィアで一緒にカジノに行き、僕はまあまあ勝ったけど、トモさんは結構負けていた。
ブルガリアで僕らは別れ、連絡先も聞いていなかったのだけれど、その2週間後、トモさんと偶然にも、ブダペストのアンダンテで再会したのだ。
ここでもトモさんと僕は一緒にカジノに行った。それがこの「ラスベガスカジノ」だった。
このカジノはもともと、シルベスタ・スタローンがオーナーをしていたというカジノで、僕はトントンだったけど、トモさんはやっぱり負けていた。
その後、トモさんはアンダンテにスタッフとして滞在していた無銭チャリダーのケイさんと一緒に自転車でヨーロッパを回ることにし、しばらくヨーロッパをまわったあと、自分の旅をつづけていった。
そんなトモさんの情報を知ったのは、それから数年後。ケイさん、トモさんと一緒に自転車旅をしていたMくんからのメールだった。
「トモさんが交通事故で亡くなったそうです」
旅が終わり、日本に戻って仕事を始めたやさきのことだったらしい。
アンダンテにいたときにトモさんと仲の良かったメンバーにMくんが連絡をまわし、みんなのメッセージをトモさんの棺の中に入れてくれた。
アンダンテで再会したとき、今度はちゃんと、旅友ノートにトモさんの連絡先を書いてもらっていた。
メールとともに書かれたメッセージには世界一周中に各国で行ったカジノの戦績が書かれていた。
6カ国でカジノに行って、全敗。総支出額は50万円をこえていた。
「いやあ、勝てないんですけどね、好きなんですよねえ〜」
本当にいい人だった。というわけで、僕にとって思い出深いカジノなのだ。
6年ぶりのカジノはプレイルームに入ってみると、当時のことをはっきりと思い出した。中のつくりは全く変わっていない。
僕が挑戦したのはミニマムの安いブラックジャック。
勝ったり負けたりしながら、休みながらやって、ある程度勝った段階からトントンになった時点でやめてしまった。
ああ、なんて根性なし。
でも、バックパッカーをしているとお金が気になって大きな勝負にいきづらい。そもそも、貧乏パッカーが旅中にカジノに行くこと自体、間違っているんだろうけど……。
となりの席でやっていた同じ宿の達人は、掛け金をいろいろ変えながら、高い時には一回の勝負で3万円近く張っていた。
話を聞くと、でかい勝負をする時は数百万単位でお金が動くというから、蚤の心臓の僕には一生できないことである。
結局、達人は5万くらいの勝ち、一緒に行った残りのメンバーは一人が少し勝って、残りの3人はほぼトントンだった。
まあ、勝負自体をするというより、カジノの雰囲気を楽しみにきたので、思い出深いカジノに6年ぶりに勝負できて、僕なりにけっこう満足できた。
実は、その達人も5年くらい前に、エジプトでトモさんに出会っていたそうだ。その時にアンダンテという宿を紹介されて、今はアンダンテに滞在しているのだという。
トモさんとの結びつきは今でもしっかりと残っていることが嬉しくなった。
カジノは2時間ほどできりあげた。暗くなっていたので、カジノのすぐそばにあるくさり橋の写真を撮ってから宿に帰った。
ブダペストの象徴、くさり橋。夜のほうが綺麗。
橋の門番はライオン。
丘の上の王宮もライトアップされている。
こちらはお城。
ライトアップが上手だなあと思う。ブダペストの町は夜が綺麗。
昼間行ったオペラ座も閉館中でも綺麗にライトアップされてました。
今日はチェコからハンガリーのブダペストに移動する。
バスの時間は1時半なので、それまで時間はあるけれど、特にすることもない。
とりあえず、朝食がてら、町をぶらぶら歩いてみた。
プラハの町並みと大道芸、それから朝食の写真をどうぞ。
プラハの町並み
お金がいっぱい。
時計台
火薬塔
ステージで民族舞踊をやっていた。
かわいい子発見。
中央広場での路上演奏
空中浮遊の大道芸
シャボン玉の大道芸
大道芸も暑くて大変。
ソーセージ。すごく美味そう。
オニオンとケチャップ、マヨネーズはセルフでたっぷりのせられる。
朝食が終わると宿に帰り、リビングで日本人パッカーのKと話をしていた。
そして、バスは1時半にプラハを出発した。
プラハのバスターミナル
ハンガリーのブダペストに到着したのは夜8時半だった。この都市も6年前に一度来ていて、なかなか居心地の良い町だった。
そして、何より居心地がよく、何より楽しかったのがそのとき宿泊した日本人宿「アンダンテ」だ。
5年間、ママチャリに乗りながら、一切燃料の必要な乗り物に乗らず旅している無銭チャリダーのケイさんに出会い、その時は旅を本当に楽しんでいるバックパッカーが集まっていた。
そこで出会った旅仲間のMとWとNはわざわざ中国の北京まで僕を尋ねにきてくれた。それくらい濃かった日本人宿だった。
そこで当時管理人をしていたYさんはフェンシングで世界選手権ベスト8までいった人。北京オリンピックのパラリンピックで日本代表監督となり、北京で再会した。
また、その時の旅仲間の一人、Tさんは残念ながらその後、日本で事故に遭って命を落としたという知らせを聞いた。
とにかく、いろいろお世話になり、いろいろ思い出を作らせてもらった宿だったので、今回の旅ではぜひ再訪したいと思っていたのだ。
「アンダンテ」に到着したのは夜9時半だった。
地下鉄で最寄り駅までは順調についたものの、覚えている場所とそうでない場所がごちゃごちゃになって、必ず近くにあると分かっていながら、30分くらいその周囲をぐるぐる回っていた。
ようやく門のところまでくると、当時と変わらない様子に安堵した。
これが入り口。落書きだらけなのは6年前と同じだけれど、少し増えたかな?
宿は2ヶ月前にリフォームして、以前とはいくらか変わっていたものの、基本的には当時とまったく変わっていなかった。
中庭。とても涼しい。
ドミトリールーム
リフォームしてキッチンが別になっていた。
漫画は6年前より充実していた。
地球の歩き方も充実!
旅を始めて13日目でここハンガリーが早くも6カ国目。
これまではかなり忙しく旅していたので、ブダペストではちょっと休んで旅の後半戦に備えたい。
プラハ2日目。さあ、どうしよう。
町は以前にだいたいの場所を回っているし、昨日も少し散策した。
この旅初めての再訪都市だから、余裕はあるものの、何をしようか困ってしまう。
それなら、どうしてこの都市にもう一度来たかというと、プラハという町が好きだったからだ。
町並み、町の雰囲気、人のやさしさ。
無理してどうしても来たかった場所ではないのだけれど、来れるならもう一度行こうかと思わせられる町だった。
というわけで、今日は僕が好きなプラハの町の中で、特に気に入っている場所を中心に回ってみることにした。
まず、1つ目はカレル橋。
これは昨日も到着してすぐに向かった場所だ。
どうしてこの橋が好きかというと、この橋には雰囲気がある。
橋を渡る前にある大きな門、橋を渡る時に聞こえてくる路上演奏、オシャレな小物を売る店や似顔絵を書いている絵描きがいて、橋の向こう側には赤い屋根の綺麗な町並みと丘の上のプラハ城が見える。
カレル橋の入り口
可愛い小物を売っている
カレル橋といえば似顔絵描き
こちらはコミカルなタッチで
向こうに見えるのがプラハ城
路上演奏はいつも雰囲気にあった音楽を演奏してくれる
別の橋から撮ったカレル橋
次に、もう一つのお気に入りの場所は、プラハ城。
これはプラハ城というよりも、プラハ城から見える、プラハの町並みが素晴らしいのだ。
プラハ城の大聖堂
この教会のステンドグラスは素晴らしい
教会のつくりもなかなか
プラハという町、とくに中心部には無駄なものがない。
無駄なものというと語弊があるかもしれないけれど、余計なものがない。
全てがうまく融合して、素敵な町並みを作り出している。
そして、その象徴的な場所がカレル橋であり、それをプラハ城から確認することができるのだ。
プラハ城から見えるプラハの町並み。
赤い屋根の建物だけ。ビルなどは中心部には建っていない。
よくみると、向こうにカレル橋が見える
カレル橋は時間があれば何往復もしていられる。
プラハ城からはずっと町を見ていられる。
6年前、僕はそう思っていた。たぶんその感じは今も変わっていないだろう。そう思っていた……。
ただ、今日はいかんせん、暑かった。
そして、プラハの町は良しにしろ悪しきにしろ勾配のある町だ。
とくにプラハ城に登るには急勾配を登らなければならない。登らなければ素晴らしい町並みを見下ろすことは百も承知なのだけれど、暑すぎて、途中でへこたれそうになった。
観光地はミニマーケットでも値段が高い。コーラが40コルナ(200円)とかするから、水がなくなってヘロヘロになった。しかしなぜか、ビールは25コルナ(75円)。日中にビールを飲むと疲れるのは分かっているのに、ついついビールを飲んでしまった。
ビール25コルナ(125円)
んで今日は終了。
ヘロヘロになりながら上り坂を登って宿に帰ると、時間は5時過ぎだった。
夕食は昨日会った日本人のKとNと一緒にシェア飯をすることになった。
僕はビール係りでスーパーにビールを買いにいった。大型スーパーはすごく安い。町中の店よりずっと安く色んなものを売っていた。
宿に帰ると、料理が完成していた。KとNは一人130円で美味しいアボガドのホワイトソースパスタを作ってくれた。
オリーブは
10コルナ(50円)、カマンベールチーズは14コルナ(70円)。
この2リットルのオレンジジュースがなんと5コルナ(25円)
2リットルの水は3コルナ(15円)で売っていた。
ビールは5本買ってきて飲み比べ。
チェコは国民一人あたりのビール消費量が世界一だけあって、ビールの値段は安く、味も美味しい。
ビールは5本で55コルナ(750円)。一番右のが美味しかった。
というわけで、2度目の訪問となったプラハは暑かったけれど、やっぱり雰囲気の良い町だった。ずっとこのままでいてほしい。
明日は6カ国目、ハンガリーのブダペストに移動する。
]]>
昨日の夜10時半にアムステルダムを出発したバスは正午12時半にチェコのプラハに到着した。走行時間14時間。長時間移動はそんなに苦ではない。
どこでも寝られるし、バスで読書しても酔わないし、音楽聴いたり、ラジオ聴いたり、風景を眺めていたらすぐに時間が過ぎてしまう。
今回も移動していた14時間中、10時間くらい寝てたからこの旅行中で一番よく寝たことになる。
プラハに来るのは6年ぶり。今回のヨーロッパ旅行で初めての再訪都市だ。
前回の訪問では、チェコの町に魅了された。特別な観光地といえばプラハ城くらいだけど、とにかくまた来たくなるのがプラハという町。何がよいかというと、
町がよい。
町の雰囲気がよい。
町のどのあたりが良いかというと、これは実際に来てみなければ分からない。
この国の通貨はコルナ。1コルナがだいたい5円くらいだ。今まではずっとユーロだったけど、東ヨーロッパではまだ自国通貨を使っている国が多い。バスターミナルのATMで3000円分のコルナをおろす。2泊3日だからこれくらいあれば足りるはずだ。
東ヨーロッパに来たことで、物価がかなり安くなった。
ヨーロッパでは北ヨーロッパ、西ヨーロッパ、南ヨーロッパ、東ヨーロッパの順で物価が安い。
バスターミナルで次の目的地、ハンガリーのブダペストまでのバスチケットを買ったけど、7時間も乗車するのに20ユーロと安かった。
ここからしばらくはお金を気にしないで旅ができそうだ。
プラハの地下鉄
プラハの路面電車
バスターミナルから地下鉄を利用してホテルの最寄り駅まで移動し、そこから歩いて5分ほどで宿泊するホテルが見つかった。今回の宿は「CityStay Hostel」。インターネットで予約した1泊13.5ユーロのユースホステルだ。
部屋は10人部屋のミックスドミトリー。オランダとは違って広く、過ごしやすそうだ。
キッチンもついている。冷蔵庫があるのがありがたい。
とりあえずまだ時間があるので、久しぶりのプラハの町を歩いて回った。
ホテルが前回とはかなり違う場所にあるので、初めて見るものも多く、適当に写真をとって回ったので掲載しておこう。
国立博物館
国立オペラ劇場
ヴァーツラフ広場
路上演奏
プラハの町並み
ヴルタヴァ川の湖畔
ヴルタヴァ川から見えるカレル橋とプラハ城
物価が少し下がったこともあって、アイスクリームとビールをつまみぐい。
結局3時間ほど町中をぐるぐる歩いて、カレル橋の先まで行った。カレル橋は翌日も行ったので写真は明日のブログに掲載するとして、暑い中歩き回って疲れたのでホテルに戻ることにした。
ホテルに帰る途中、火薬庫の近くにある看板に目が留まった。
頤和園飯店!
そう、中華料理店である。しかも、この店は6年前の世界一周中に米が食べたくなってかけこんだ店と同じ店ではないか。
おお、懐かしい〜
そういえば、この旅が始まって以来、米を食べていないではないか。
値段もそんなに高くなかったし、6年ぶりにその店に入ってみた。
海外をまわっていると、日本食が懐かしくなるときがある。
そんな時、旅人は中華料理店に入る。世界中には多くの国にチャイナタウンや中華料理店があるからだ。
日本料理店とは違い、値段はそんなに高くない。それどころか、現地のレストランよりも安いことが多い。
そして、不思議なことに、日本食が恋しくても、中華料理を食べると日本料理を食べたようにお腹が満たされるのだ。
鶏肉の野菜炒め&ビール(113コルナ、565円)
中華料理で腹を満たし、宿に戻ったのは夜の7時半。
すると、偶然にも同じ宿で日本人の旅行者に3人も出会った。
3人とも女性で、2人は世界一周中、もう一人はフランスに留学中で、夏休みを利用して遊びにきているという。
女性のバックパッカーは実は男性以上にかなり大変だ。
男性より体力がないのに重いバックパックをかついで移動しなければならない。
女性としての身の危険もあるし、女性としての体調不順もある。
化粧などの身だしなみも必要だし、そのぶん荷物も増える。
おまけにミックスドミトリーでは知らない男性と同じ部屋で生活し、衣類も自分で洗ってそこに干さないといけない。
男性よりもずっと大変なのである。
プラハに着いて、夜暗くなるのが早くなった。だいたい9時過ぎには暗くなる。これで少し生活しやすくなるかもしれない。
明日はまる1日、ぶらぶらとプラハの町を歩き回ろうと思う。
昨日、アムスの町を13時間近く歩き回って本当に疲れてしまった。
今日は午前11時にチェックアウト。22時半発のユーロラインでチェコのプラハに向かう。
11時ぎりぎりまで宿でのんびりして、チェックアウト。荷物を預けて、もう少しアムステルダムの町を回ってみることにした。
尚、ブリュッセルからここまで一緒だったSとは今日でお別れ。これからはそれぞれが行きたい場所を巡るので、次に会うのはヨーロッパアウトのスペインになるだろう。
まず向かったのが、「アンネの家」。
昨日も書いたとおり、あまりに長蛇の列ができていたため、昨日は断念したのだけれど、やっぱりこれは見ておきたいと思って、もう一度行ってみることにした。
到着したのは11時半。なんと、昨日よりかなり長い列ができあがっている。
ただ、今日は時間に余裕があるし、昨日より暑くなかったので並ぶことにした。
アンネが実際に住んでいた家がそのまま博物館になっていた。
3階と4階部分が隠れ家になっていた場所。
長い列に並び、近くの教会の鐘の音を何度も聞き、ようやく入場できたのは1時15分。結局2時間近く並んでいた。
それでも、旅中に文春文庫の「アンネの日記」を読んでいたので、僕にとってはかなり興味深い観覧になった。
アンネ・フランクはドイツのフランクフルトに生まれたユダヤ人。戦中にヒットラー率いるナチスドイツの影響で、オランダのアムステルダムに移住する。
しかし、オランダがドイツに占領されてしまったため、ユダヤ人狩りが始まり、アンネの家族は2年もの間、隠れ家での生活を余儀なくされるのだ。
当時13歳だったアンネは、隠れ家での生活を日記に書き残し、15歳の時にユダヤ人収容所で生涯を終える。
この日記を隠れ家生活で唯一生き残った父が出版し、世界中で読まれる大ベストセラーとなったのだ。
アンネの日記は60カ国で翻訳され、1800万部発行されている。
今回日本から持ってきた「アンネの日記」
館内をまわると、アンネの父がいかに強い思いでこの隠れ家を展示場にし、アンネの日記を世に出したかがよく分かった。
写真撮影は禁止だったので掲載できないが、本棚の裏の隠し部屋、アンネの部屋の壁に貼られた写真、そしてアンネが書いた本物の日記やノートが展示されていて、なかなか興味深かった。
ちなみに、隠れ家となった部屋は当時のものだが、隠れ家の家具は全く展示されてなかった。これは戦争で全てが無くなったというメッセージをアンネの父が残したかったからだという。
続いて向かったのは、アンネの家の次に回るべきところではないかもしれないけれど、
「SEX MUSEUM」
実は、この名前の博物館には以前にも一度、訪れたことがある。このブログでも紹介しているが、6年前にアメリカのニューヨークでいってがっかりさせられた場所だ。
ただ、ここは自由の国オランダ。欲望の町アムステルダムである。ニューヨークとは一味ちがうことを期待したい。
博物館は中央駅から南に数分歩いたところにあった。入場料は4ユーロ。安いだけにあまり期待していなかったけれど、これがなかなか面白かった。
オランダらしいジョークのきいたものから、歴史的なものから、世界中のものから、とにかくエロとセックスに関わるものが楽しく展示されていた。
かなりきわどいものもあったので全部は掲載できないけど、いくつかご紹介。
女性の観覧者の多いのに驚いた。女性同士できているグループもいる。そして、すごく興味深そうに見入っている姿は日本とは違うなと思わされた。
変態おじさん。(可動式)
というわけで、本日見たかった2つのポイントの観光は終了。
あとは、適当に撮った町のひとこま。
アムステルダム中央駅
アヒルと子供
馬車
広場の鳩
公園の銅像
アムステルダムのポスト
ここまで観光して、夕方4時。夜行バスまではまだ6時間もある。
ホテルのロビーは狭くて、チェックアウト後は利用したらいけないと言われたので、近くにあるフォンデル公園という大きな公園にいって散歩していた。
オランダに限った話ではないけれど、公園には平日だというのに多くの人が集まっていた。
若者同士、恋人同士、女同士、男同士、老夫婦、いろいろなグループが酒を飲んだり、スポーツをしたり、バーベキューをしたり、ジョギングをしたり、本を読んだり、体を焼いたり、そしてマリファナを吸ったりと、それぞれがやりたいことを自由にやっていた。
女性数人だけでマリファナをしているグループもたくさんあった。
別に合法だから問題ないんだけど、女性の喫煙率はかなり高いような気がする。
この女性3人組はみんなでマリファナを吸っていた。
ヨーロッパの公園は芝生が多い。女性でも平気で芝生の上にそのまま座り、日差しを浴びながら仲間とわいわい話している。日本も花見という文化があるんだから、暖かい時期はいつもこうして仲間と楽しめばいいのになと思った。
7時になったのでトラムに乗ってバスターミナルに移動した。今日はこれから14時間かけてチェコのプラハに移動する。プラハの町は前に一度訪れているけど、とても雰囲気のいい町だったから楽しみだ。
最後に、アムステルダムはなかなか楽しい町だった。自由な気風でみんな楽しそうだけど、特別治安が悪いわけではない。建物はフランスやベルギーとは違ってモダンな感じでかわいい感じ。
セックスとマリファナと自転車と運河の町、アムステルダム。また機会があれば再訪したいと思う。
アムステルダム2日目。今日は1日がかりでできるだけこの町をまわってみようと思う。
中心地はそんなに広くないので、全部徒歩。
全部説明すると大変なので、写真で。
ゴッホ美術館。
ゴッホは嫌いではないけれど、ゴッホの作品はオルセー美術館でたくさん見たのと、美術館に張り出してあるポスターがゴッホの自画像で、これもオルセー美術館で見ていたので、入場するのはやめてしまった。入場料も15ユーロで高かったし……。
国立ミュージアム。ゴッホ美術館のすぐ近くにある。ここも時間の都合上、外観だけ。
つづいてハイネケン・エクスペリエンス。ハイネケンが生まれたのは実はオランダのアムステルダムなのだ。
アムステルダムの町は運河の町。町を何重にも川が囲んでいて、とてもいい雰囲気。
川にはボートが行き来していて、ボートで酒を飲んでいるグループもいる。中には水着で泳いでいる女性まで!
川とか海の水がある町はとてもいい。ここは特に川が多くて緑も多いので、なんとなく町に安堵感が漂っている。
これは何?
男性用公共トイレでした。
跳ね橋。舟が通るときはここが開く。
ここで、この旅いちばんラッキーなことがあった。
欧米人女性3人組が僕に声をかけてきた。
「すいません、ちょっといいですか? 実は私たち、あるチャレンジをしているんです」
「えっ、何ですか?」
「実は、この町のいろいろな場所に行って、いろんな人とハグしてその写真を撮ってるんですけど、協力してもらえませんか?」
「え、ハグですか。いいですよ!」
というわけで、可愛い金髪のお姉さんとハグさせてもらった。
こんな夢みたいなことがあっていいのか!
アムステルダム、何ていい町なんだ!
気分がよくなったところで、続いて、蚤の市に行ってみた。腕時計が5ユーロ、Tシャツが1ユーロなど値段も安く、欲しいものはなかったけれど見ているだけで面白かった。
1ユーロの中古衣服。
50セントのDVD。
次は花市。川沿いに小さな店がずっと並んでいて、花だけでなく、花に関わるものや小物なども売っていた。値段もそんなに高くない。
オランダといえばやっぱりチューリップ。
靴の形をした植木鉢。
可愛い家のマグネット
サボテン。
次にオランダといえばチーズということで、チーズ屋へ。
こういう店ではいろいろなチーズを試食できるので、買わなくてもいろんなチーズを味わえる。小さいのがあれば買おうかなと思ったけど、大きいのしかなかったので断念。
こんな感じで試食できる。
次に向かったのは「アンネの家」。ここは前から来ようと思っていたところだ。
が、アンネの家に到着する前から、長い列が続いている。
もしかして……と思ったら、やっぱりアンネの家への入場待ちの列だった。この暑いのに、待つだけで1時間はかかりそうだ。
今日は他にも回りたいところがたくさんあるので、明日また来てみることにして今日の観覧はやめておいた。
続いて、王宮。ダム広場に隣接している。
こちらもダム広場にある戦没者慰霊塔。
さあ、ここまで早足で観光したけど、これからは少しじっくりと観光したい。
なぜなら、ここからはオランダらしい、特別な部分だからだ。
それは、何かと言うと、
飾り窓とコーヒーショップ。
飾り窓といえば、ご存知の人も多いだろうが、売春宿である。日本風に言うなら「ちょんの間」だ。
そして、コーヒーショップというのは、ただコーヒーを売ったり飲んだりする場所ではない。マリファナを売っていて、そこで吸えるようになっているのだ。
どちらも日本では非合法。というか、他の国でも非合法だ。それをヨーロッパの先進国のオランダが合法にしているというのだから、すごい。よっぽど政府が上手に管理しているのだろう。
まずは、飾り窓。市の郊外にあるのかと思いきや、飾り窓はまさに市内の中心地に広がっていた。中央駅からも王宮からも徒歩10分以内。その周辺には「SEX SHOP」やストリップ劇場なども多い。
ピンクのネオンが光る小部屋のガラスの内側で女の子がセクシーな格好をして手を振っている。写真撮影は絶対NGなので、遠くからちょっとだけ全景を。
このピンクのネオンのついている小部屋に女の子がいる。
綺麗な金髪のスタイル抜群の女性もいるかと思えば、黒人女性や東欧系の白い肌の女性もいる。中には、50歳以上だろうという太ったおばさんや明らかにオネエと分かる男もいた。
続いて、コーヒーショップ。これは色んな場所であるようだが、この飾り窓地帯は特に多いようだった。オープンカフェになっている店もあって、近くを通っただけでマリファナの匂いが充満している。
ためしに1軒に入ってみると、コーヒーを飲んでいる客などいなくて、フロントでマリファナを購入できるようになっていて、客は席に座ってマリファナをプカプカふかしていた。マリファナは1本3ユーロ〜5ユーロくらいだった。
フランスの日本人宿で出会ったそのあたりに詳しい日本人の話によれば、マリファナは中毒性もなく、体の害はタバコよりも少ないという。
オランダでは一応、コーヒーショップでやりましょうということになっているそうだが、それ以外の場所でやっている人も多く、町中を歩いていても匂いですぐに分かる。
でもこれは、オランダだけでなく欧州の国ではたまにマリファナの匂いがすることがある。ある程度は暗黙の了解になっているのだろうか。
マリファナは依存性もなく、毒性もタバコより低いらしい。
でも、かといって合法にするのは難しいようだ。より高い快楽を求めて覚せい剤やケミカルに手を出す人もいるだろうし、入手源や取引などで別の犯罪が起こる可能性もある。
そのあたりをオランダでは全て解決できているんだろうか? 民族性がそれを解決させているのだろうか? 結局、よく調べてもいないから謎は深まるばかりだった。
飾り窓とコーヒーショップ、SEXショップの中心には旧教会があった。
結局、朝早くから歩き初めて、13時間も外を観光していた。オランダは日が暮れるのが11時前。なかなか暗くならないから、気がついたら長時間歩き続けていた。
明日も1日、アムステルダムに滞在する。明日は何を見ようかなあ〜
朝食のパン。1ユーロ。
予定より駅に早く着いてしまい、とりあえずユーロラインのオフィスでチェックイン。本当は11時15分発のバスだったけど、ひとつ前のバスに空席があるみたいで、10時発のバスに変更してもらった。
10時にブリュッセルを出発したユーロラインバスは午後2時半にオランダのアムステルダムに到着した。
アムステル駅
まずは到着地のユーロラインオフィスで次のプラハ行きのチケットを購入する。
アムステルダムからチェコのプラハまでは夜行バスで14時間。77ユーロだった。
けっこう高いけど、距離が長いので仕方ない。2日後のチケットは残り1枚だったので、慌てて購入することにした。
バスターミナルから予約しておいたホテルまではトラムで1本で行けた。アムステルダムもブリュッセルと同じで、地下鉄、バス、トラムが1時間以内なら何度でも乗れるチケットだ。料金は2.8ユーロと、パリやブリュッセルよりも高い。
この町の物価はそんなに高いのだろうか?
そんなことを考えていたら、アムステルダムの交通事情が特別だということが分かった。
この町、とにかく自転車が多い。
若者から年配者まで多くの人が自転車で移動している。
中国のように自転車専用道路があり、歩道と間違えて歩いていると後ろからベルを鳴らされる。
町のいたるところに自転車がとめてある。
自転車専用道路
この町の中心地は交通機関を使わなくても歩けるくらい狭い。だから多くの人は自転車を利用して移動しているようだ。だから、切符が高くても平気なのかな?
自転車専用道路にも個別に信号機がついているのでちょっと面倒くさい。
今回、宿泊する宿、「ホテル・プリンセス」。1泊21ユーロ。朝食付。
アムステルダムは宿が高く、特に週末は馬鹿高いらしい。それも考えて月曜到着にしたのだけれど、21ユーロはかなり安いほうだと思う。
ホテルのリビング。ここはなかなか居心地がよい。
朝食は簡単なバイキングを無料で食べられる。
部屋は6人ドミトリー。これは狭い。そして暑い!
移動で疲れていたし、ホテルなどをインターネットで調べなければならなかったので、今日の観光はなし。夕食はスーパーで買ってすますことにした。
ホテルの近くにはスーパーが3軒あった。なかには7時には閉まるスーパーもある。ベルギーもそうだったけど、日本の店って遅くまで営業してくれてるんだなあと思う。
スーパーに行くと、そんなに物価が高くないことが分かり安堵。
町中の普通の店と比べても3分の2から半額くらいの値段だった。やっぱり貧乏旅は大型スーパーがいいね。
バジルのチーズ。1.2ユーロ。
サラミは安売りでこれだけあって1ユーロ。パンは0.8ユーロ。ワインは3ユーロだった。Sとシェアしたので、1人3.5ユーロ(450円)。
夜中は暑くて、部屋の中は蒸し風呂状態だった。
同室に宿泊していたイタリア人は、
「ファッキン ルーム!」
「ファッキン ベッド!」
「ファッキン ホテル!」
と、何かうまくいかないことがあるたびに一人で叫んでいる。
アムステルダムに着いたらますます日が長くなった。暗くなるのは11時だった。蒸し暑いうえにうるさい部屋にいたくなかったので、暑さがやわらぐ12時すぎまで、近くの公園を散歩していた。
明日は一日中アムステルダムの町を歩き回るつもりだ。
自由の町・アムステルダム。どんな町なのか楽しみだ。
といっても、昨日はスリとご対面しただけで、何もしていないので、実質今日がベルギー初日である。
明日にはオランダに移動しなければならないので、今日1日でブリュッセル市内を回らなければならない。まあ、そんなに行きたい場所もないんだけどね。
とはいえ、今日は偶然にもベルギーの建国記念日。
この日に観光をするのも何かの縁。しっかりとベルギー、ブリュッセルを堪能することにしよう。ちなみに今日は、甘いものとお酒の好きなSと一緒に観光することにした。
まず、最初の観光地は、グラン・プラス。ここは、町の中心部にあって、荘厳な建築物に囲まれた大きな広場。世界的に有名なブリュッセルの花の絨毯はこの広場で作られている。
ここは、かなり良かった。雰囲気もいいし、ベルギー王国の歴史と文化を感じさせてくれる場所だと思う。
この広場のなかには、いくつかの有名な建築物とお店が隣接している。まず、「王の家」。現在は博物館として利用されている。
そして、市庁舎。この広場のなかでも一番立派な建物だ。
そして、これがもっとも興味深い場所なのだけれど、あのチョコレートで有名な「GODIVA」の第一号店もこの広場に隣接した場所で今でも営業を続けているのだ。オープンが1926年。それから今のGODIVA のブランドを作り上げたらしい。
日本だとだいたい1個300円程度するチョコレートが、ここではだいたい1ユーロ(120円)で買える。ふだんはほとんど甘いものを食べない僕も、ここはのっとけと1個だけ買っていただいた。
普段甘いものはあまり食べないからチョコレートのことはよく分からないけれど、とりあえず、かなり美味しかった。
まあ、こんだけ高いんだから、美味しくなくちゃ困るけどね〜
続いて、この広場の周囲にあるお土産やを物色していった。このあたりの見せは可愛いお土産が多く、中でも一番の人気は「小便小僧」グッズだ。マグネット、置物、栓抜き、さまざまな形になって小便小僧が売られている。
僕もせっかくなので、ちんこドリルのワインの栓抜きを購入しておいた。
せっかく小便小僧のお土産を買ったのだから、本物の小便小僧も見なくてはなるまい。実は、なにかといわく付きのこの小便小僧はこの広場から歩いて3分のところにあるのだ。
なぜ、いわく付きかというと、誰が決めたか知らないが、この小便小僧は「世界三大がっかり名所」のひとつと言われているからだ。
ちなみに他の二つが何かとういうと、ひとつはシンガポールのマーライオン、それから、コペンハーゲンの人魚姫らしい。
でも、考えてみれば理不尽な話だ。小便小僧は別に何も悪くないのに、勝手に過度の期待をされて、勝手に「がっかり」されてるだけだ。小便小僧に何の罪もない。
ネットで調べた内容をもとに町を歩いていくと、あったあった、小便小僧。
たしかに、昔から耳にしている小便小僧がこれか、と思うとがっかりしてしまうかもしれないけれど、がっかりポイントと言う情報は何度も聞いていて、ぜんぜん期待していなかったから、とりわけがっかりすることもなかった。
それどころか、今日は1年に1回のベルギーの建国記念日。小便小僧も偉そうに1年に1度の制服に着替えていたからかなり運が良かったかもしれない。
ところで、みなさんは小便小僧だけでなく、このブリュッセルにはもう一人、小便をする像があることをご存知だろうか。実は、この町には「小便少女」なるものが存在するのだ。これは知る人ぞ知る名所。ぜひ行ってみなくてはならない。
この場所は小便小僧以上に分かりにくい場所にあり、小便小僧以上にしょぼいのであるが、「小便少女」という響きがいいではないか(僕は変態ではありません)。
少女のほうも、建国記念日ということでしっかりおめかししていたけれど、まず第一に、この顔、ベルギー人の子供には見えないんだよなあ。
次に向かったのは、やっぱりベルギーといえば「ベルギーワッフル」。お菓子をあまり食べない僕でもさすがにこのお菓子は知っている。食費にあまりお金を使いたくないのだけれど、こういう場合は別。せっかくだから、一番有名なお店で一番美味しいワッフルを食べてみたい。
そう思って事前にネットでしらべたら「DANDOI」というがとても有名らしい。広場の近くになるので行ってみることにした。
頼んだワッフルはプレーンのワッフルとチョコアイスのワッフル。とくにチョコアイスのほうは興奮するほど美味かった。
と、ここで、ワッフル屋の店員さんから、重要なニュースが飛び込んできた。
なんでも、今日は1年に1度の建国記念日なので、王宮の前では、今ちょうど記念パレードをやっているというのだ。
これは、できれば見たい。
というわけで、僕とSは小走りで王宮に向かうことにした。
ここブリュッセルは地下鉄やトラム、バスなどの交通機関はまあまあ充実しているけれど、町自体があまり大きくないので、主要な市内の中心地なら、歩いて全部まわることができる。
会場付近からは歩いて帰っていく人たちも多くみられ、間に合わなかったかと思っていたら、パレードはすでに終わっていたものの、戦車とか顔にペイントをしたベルギー人なども多く見られ、それなりに楽しむことができた。
王宮の前にはひとだかり。
軍隊も出動して、子供たちと交流していた。
地雷撤去の体験コーナーもあった
つづいて向かったのは大聖堂。これは入場料が無料で、なかなか立派な教会だったけれど、いかんせん、2日前にパリでノートルダム寺院を見ているので、物足りない感じだった。
以上で観光は終わり。見たいものはすべて見たと思っていたら、まだやり残したことが一つあった。それは何か。
ベルギーといえば、忘れてはならないのは、やっぱりベルギービールである。
ベルギービールといえば、多くの人はギネスの黒ビールを思い出すかもしれない。でも、この国には他にも美味しいビールがたくさんあって、フルーツビールや、氷をいれて飲むビールなど、多種多様なのだ。
今日は特に暑かったので、お酒好きなSと一緒に、せっかくなので昼間からバーで一杯やることにした。
1杯4.5ユーロ。手前はフルーツビール。
日中のビールはすぐ酔ってしまう。本当は夜中に飲みたいところだけれど、ここブリュッセルもパリと同じく、今の時期は昼が異様に長い。暗くなるまで待っていたら夜11時になってしまう。
僕が頼んだのはフルーツビール。なんかハイビスカスティーのような感じで、あまりお酒という感じではなかったのだけれど、1杯飲んだだけで、かなり酔っ払ってしまった。やっぱり太陽の下で飲むビールは美味くて酔いやすい。
Sが頼んだビールは一般的なビールだったけど、ビールにはレモンスライスが入れられていた。
これで本当に観光は終わり。今日は暑かったので早く宿にかえって、シャワーを浴びたかったのだけれど、やらないといけない大事なことが一つ残っていた。
それは明日移動するオランダまでの移動チケットを入手することである。
いろんな人にユーロラインのチケット売り場を聞いて、中央駅にいったり、MIDI駅に行ったり、いろんなところを3時間以上歩き回った。
かなり疲れはしたけれど、普通に観光していては行かない場所にも行けたし、そこで面白いものを見つけたり、いろいろな現地人と話をしたりできた。
旅はインターネットを使って、どんどん便利に、どんどん手軽になっていく。でも、やっぱり旅って、足を使って、言葉を使って、交流しながらするもんなんだよなあ、と思う。
ようやく見つけたユーロラインのチケット売り場はなぜか閉まっていた。
町中にあった男性用公衆トイレを発見。三方向からできる。
パン屋
オリーブ
鶏の丸焼き
シーフード
屋台で買った肉を肉ではさんだもの。1ユーロ。
店先のワッフル
さっき美味しかったのでもう一つ食べた。1ユーロ。
衣類の市場
いろんなところをさんざん回ったけれど、結局、チケットは入手できなかった。
そして、なんだかんだで宿に戻ったのは夜の8時。
仕方ないのでインターネットでユーロラインのHPを調べてネット購入した。
何て簡単!
でも、これってなにか違うんだよなあ〜
チケットの心配がなくなったところで、今日も自炊。
パスタをいただきながらスーパーで買ってきたベルギービールをいただいた。
3本買って飲み比べてみたけど、ギネスの黒ビールが本当に美味かった。
日本で飲んだのとは天と地の差。やっぱり本場、素晴らしい!
]]>
この2日間でパリの主な観光地はほぼまわっていたので、今日の午前中はのんびりと過ごすことにした。
現在宿泊している日本人宿「Paris KYO」は2日間しかいなかったけれど、なかなか居心地の良い宿だった。
パリの名所、宿の近くの店、ヨーロッパの移動の方法など、いろいろな最新情報が生の声で聞けるのは日本人宿のよいところだ。
荷物の心配もする必要がない。なんだかんだ言って、日本人って信用できるよね。
泊まったドミトリー
リビング
宿を出たのは正午0時だったけれど、管理人の京さん、それにこの宿に長期滞在しているルーマニア人のアンドレアがわざわざ下の道まで見送りにきてくれた。
京さんらに別れを言い、地下鉄を使ってユーロラインズの乗り場にむかう。パリではドイツと違い、チケットを持っていても、1時間前からのチェックインすることが必要で、そこで荷物のラベルと番号札をもらい、それを運転手に見せないと乗車できない。
地下鉄オペラ駅のホーム。
パリの地下鉄。日本とあまり変わらない。
ブリュッセルへは今回もユーロラインバスで。
パリ郊外は広大な農地が広がっている。
午後2時半にパリを出発したバスは午後6時半にベルギーのブリュッセルに到着した。
バスが到着したModi駅。
ちなみに、バスチケットは28ユーロ(3500円)だった。
さあ、あとは予約しておいた宿に向かうだけ、のはずが……今日のハイライトは実はこれからだった。
ブリュッセルの人はみな穏やかな感じで、とても親切だった。宿までの行き方がわからずに話しかけたベルギー人は皆親切に説明してくれたし、なんとなくパリと比べるとのんびりした感じがする。パリではスリや睡眠薬強盗などがあると聞いてかなり警戒していたから、ベルギーはもう少し安心できそうな感じだ。
と思っていたのだが………
実は、ブリュッセルに到着早々、なんとスリに会ってしまった。
事件が起こったのはここからトラムに乗ってすぐ。
地下鉄からトラムへ乗り換えたのだが、トラムがなかなか来なくて30分以上待たされた。ずっと待っていた乗客が一気にトラムに乗り込んで、チケットを機械に通す。
ブリュッセルの交通は便利で、地下鉄、トラム、バスが同じチケットで乗れ、1時間以内なら、どれだけ乗っても、何度乗り換えても2ユーロ。僕はお得な5回券を7.7ユーロで購入していた。
人混のなか、改札の機械の近くにいた乗客の老人にチケットを渡して機械に通してもらう。老人はとても親切で、ちょっと談笑していたのだが、左のほうから何か違和感があった。
振り返ってみると、大柄の40代くらいのおっさんが、スーツを右手にまきつけて、その間から手を伸ばしている。慌てて肩掛けのショルダーを見ると、前面のポケットのチャックが全て開けられている。しかも、一番大きいポケットは中の隠しチャックまで開けられているではないか。
こういうバッグが、
こんな感じに開けられていた。
こいつ!
おい、取ったものを返せよ!
周りは人でいっぱいなのに、大声でどなってやった。
もちろん、日本語で。
そいつはニヤニヤしながら、お手上げのポーズを取る。
お前、俺の財布とっただろ!
返せよ! 返せよ!! 返せよ!!!
周りにいる人たちもざわつきだした。
その人たちによく見えるように、すべてのファスナーがあけられたバッグを四方に見せ、おっさんが手に持っていたスーツを奪って、その中から手を伸ばしていた様子を周りにいる全員に分かるように再現した。
おっさんは相変わらずニヤニヤしながら、取ってないと言っている。
そして、何度も、バッグの中を確認してみろ、確認してみろと繰り返し言ってくる。
実は、財布の中には20ユーロ程度しか入っていなかった。
大事なものは全て別の場所に入れているから、そんなに痛手ではなかったのだけれど、ニヤニヤしながら笑っているのと、自分が全くチャックを開けられていたことに気づかなかったことで腹が立った。
こちらの大げさなアピールで周囲から変な目で見られ、そのおっさんも多少慌てたようだが、相変わらずニヤニヤしながら確認してみろ、確認してみろと繰り返し言っている。
そこで、ふと頭にあることが思い浮かんだ。
そういえば、小銭の入った財布は、スリ対策として、バッグの裏側、つまり体に接するポケットの奥に見つかりにくいように隠していたのだ。
ということは、何も盗まれていないじゃないか!!!
盗まれていないのに、盗んだと言いはっていた僕。
盗んではいないが、明らかに盗もうとしたおっさん。
これはどっちが悪いのか?
そんなもん、おっさんが悪いに決まってる。
そのおっさんは次の停留所に止まると、慌ててトラムを降りていった。こちらは追いかけるふりだけして、トラムに残った。
だって、何も取られてないんだもん!
でも、これはさすがに、恥ずかしくて周りの人には言えなかった。
周りでその一部始終を見ていた客は、こちらを不憫に思ったのか、降車するときに、「GOOD LUCK!」と声をかけてくれたり、席を譲ってくれたり、僕が降りる駅を教えてくれたりした。
でも、僕は何もとられていない……
だから、本日のタイトルは「スリに遭った」ではなく、「スリに会った」である。
にしても、安全そうに思えたブリュッセルの町にも、こんなスリ野郎がいたとは残念だ。
実は、フランクフルトで別れたSとブリュッセルの宿で合流したのだが、Sも危うく置き引きにあいそうになったという。
ベンチで座っていると、現地人から話しかけられ、その瞬間に別の奴にリュックを奪われそうになったらしい。
幸いなことに、Sはすぐにそれに気づいてリュックを引き寄せたため、そいつはすぐに立ち去ったそうだが、日本人二人がブリュッセルに来て早々、別々の場所、別々の手口でスリに遭いそうになったのだから、これはそうとう気をつけなければいけなそうだ。
宿に到着すると、とりあえず、シャワーを浴びて、洗濯をして、スーパーに買い物に行き、スパゲティーを自炊した。
。
今回の宿、「Solys Hostel」。一泊16.5ユーロ
今回のドミトリー
買ってきたワインを飲み、パスタを食べながら、今日のことを反省した。
スリや強盗に遭わない一番の方法はしっかり注意しておくこと。
相手もプロだから注意している人間は狙ってこない。
そして、もし狙われたら、抵抗することなく身を守る。
今日の僕はどちらもできていなかった。
でも、本物のスリに会い、犯罪現場に立ち会えた。
被害はゼロ。
なかなか面白い体験ができたと言えなくもない。
トラブルやアクシデントを旅ネタに変えて前に進む、それはバックパッカーの常套手段ではあるけれど、やっぱりこれからはもっと気をつけようと思う。
眠い目をこすりながら目覚ましの音で10時半に起床。
寝たのが7時だから3時間半しか眠れなかった。
今日も観光観光!
同室で泊まっているTさんと、蚤の市に行こうという話になり、駅前のマーケットに足を運ぶ。本当は週末やっている大きな蚤の市でアンティークを見たかったのだけれど、明日にはパリを離れてベルギーに向かうので、今日行くことにしたのだ。
とりあえず、駅前のカフェでエスプレッソを飲む(2ユーロ)。
朝までお酒を飲んでいたので体が重い……。
いざ、蚤の市へ!
と思ったら、蚤の市というより、日用品の安売りセールみたい。アジアの市場のような感じだった。もう一日あれば、大きい蚤の市に行けるのになぁ。残念。
というわけで、Tさんとは別れ、気を取り直して今日の観光へと出発した。昨日、1日でかなりの場所を回ったので、今日どうしても見たいポイントは2つだけ。
1つ目は、ノートルダム寺院、2つ目はオルセー美術館だ。
地下鉄でCHATELET駅まで行き、そこから歩いてノートルダム寺院へ向かう。
平日だというのに、寺院の前には多くの人だかり。かなり長い列ができていたけど、回転が速く、そんなに待たずに中に入ることができた。
入場料は無料。フランスは観光地が多く、入場料もばかにならないのでかなり助かる。
なぜカトリックの教会なのに、教会ではなく寺院というかはよくわからないが、これが想像以上に素晴らしかった。今まで、教会はいろんな国で何度も見てきたけど、ノートルダムはその中でも一番建物が素晴らしいと感じた教会だった。
寺院の外にはこんな人たちも
次にオスロー美術館に行こうとセーヌ川を歩いていると、変な方向にエッフェル塔が見えた。
あれ、おかしいな?
何も気づかずに歩いていたけど、完全に反対方向に歩いてしまっていた。
この間違いのせいで1時間半歩きっぱなし。1時間もロスしてしまった。
セーヌ川沿いにはこんな露店がいっぱい並んでいる。
公園では剣道をしている現地人の姿も。。。
そしてようやくオスロー美術館到着。
入場料は9ユーロとルーブル美術館よりは安いが、残念なことに、この美術館は2011年から写真撮影が禁止されていて、写真が撮れない。
美術館内の様子。これだけ写真を撮っちゃった。
オスロー美術館のいいところは、大英博物館やルーブル美術館と違って、展示物がほぼ絵画に絞られている点だ。しかも、大物画家の絵画が何人も並んでいる。ゴッホ、ルノアール、モネなどは一人が20点近くも展示してあったのでかなり見ごたえがあった。
この中で、僕が特に好きなのがルノアール。
最初にアメリカのメトロポリタン美術館で実際の絵画を見て以来、大英博物館や東京の特別展示会など、ことあるごとに彼の絵画に触れてきた。
絵のことはよく分からないんだけど、彼の描く女性の目がすごくいいんだよね。
これは写真をとってもいい最上階テラスからの写真。
美術館帰りにルーブル美術館の前を通ったら、多くの人が体を焼いていた。
早朝7時、夜行バスはフランスのパリに到着した。
花の都・パリ。
パリ・コレクション。
パリジェンヌ。
何かにつけて華やかなイメージのあるフランス、そしてパリに来るのは今回が初めて。そして、新しい国を訪問するのも、実は2007年以来なのだ。
パリは地下鉄がとても便利。どこまで乗っても同じ料金というのも分かりやすくていい。1枚1・7ユーロのチケットは10枚組(カルネ)だと12.7ユーロで買える。
パリの地下鉄
駅のトイレは有料でした。
今回宿泊する宿は昼の12時以降でないとチェックインできないので、それまでは荷物をもったままで観光することにする。
夜行バスが到着したバスターミナルは地下鉄に直接つながっていて、オペラ駅で降りて、地下鉄から出口を上がっていった。
おお、これがパリか!
たしかに荘厳! 正直圧倒された。興奮してきた〜
荷物はあるけど、昨夜は夜行バスで4時間くらいしか寝てないかど、心は軽い。
荷物をもったままオペラ駅周辺を観光していった。
パリのゴミ箱
マドレーヌ寺院
ヴァンドーム広場
コンコルド広場。マリーアントワネットが処刑された場所。
向こうのほうに見えるのはエッフェル塔。
そして、オペラ座。
パリのオペラ座は世界一素晴らしいオペラハウスと言われている。これは一回、公演を見たい! 10時からチケット販売をしていると聞いて10時にチケット売り場に行ってみた。
「今日は公演はないよ。明日もない。見学だけ」
「えっ……」
どうやら公演は8月にならないとないらしい。
公演のチケットは安い席なら10ユーロ前後。そして、今日見学をするなら見学だけで10ユーロ。損だわ〜。
とは思ったものの、時間もあるので、せっかくだから荷物を預けて見学することにした。
建築は確かに素晴らしかった。ここで公演をみたいなあ。
3時間くらい観光して、今日泊まる宿の最寄り駅まで行き、宿に電話をかけて駅まで迎えにきてもらった。
今回泊まる宿は日本人宿「Paris KYO」。日本人の管理人の人が経営している宿だ。
パリにいる時間は2日間のみ。見所だらけのパリにせっかく来たのだから、できるだけ観光しておきたい。すぐにシャワーだけ浴びてパリの町へ飛び出した。
地下鉄に乗って、まずたどりついたのはセーヌ川。そして、この川には面白い橋が架かっている。それは、「恋人の橋」。
恋人同士が橋の欄干に二人の名前を書いた南京錠をかけ、その鍵をセーヌ川に投げ入れる。永遠の愛を誓う意味で、はじめに誰かがやったのを真似してみんながやり始めたらしい。
続いて向かったのが、セーヌ川沿いにあるルーブル美術館。
この美術館はロンドンの大英博物館、ニューヨークのメトロポリタン美術館を上回る年間900万人にも及ぶ世界一位の来館者数だという。
昔から一度は行ってみたい美術館だった。
入場料は12ユーロ。大英博物館が無料なので、安いとは言いたくないけど、12ユーロ以上の価値は絶対にある。
このピラミッドが入場口となっていて、周りの建物がすべて展示室になっている。
まずはハンムラビ法典
続いて、今回一番見たかったミロのヴィーナス。
やっぱり人気で大勢の人がいたけど、小さい頃から写真でよく見ていたので、実際に見ると「おおっ!」ってかんじで感動した。
ちなみに、このミロのヴィーナスがルーブル美術館を出て国外にわたったのは1964年に日本で特別展示会が行われた時だけらしい。
奴隷。セクシーですね。
サモトラケのニケ
この人込みは何だ〜と思ったら……
この美術館で一番人気のモナリザだった。
これは僕が大好きなルノアール。
凱旋門。ナポレオンがフランス軍勝利を記念して作らせたもの。
凱旋門の下では何か軍隊の儀式を行っていた。
シャンデリゼ通り。凱旋門のところから南東にまっすぐのびる通り
パリ市内は地下鉄がとても便利だけれど、市内中心部はそんなに広くないので、全部歩いても回れるくらい。観光地以外の町並みも楽しいから、地下鉄を1回使っただけで、あとは全部歩いて移動した。
ここまで回った時点で午後8時。本当なら暗くなるはずなのだが、今の時期、ヨーロッパの日は長い。せっかくだから、エッフェル塔の夜景を見に行ってみることにした。
エッフェル塔といえば、あの翼くんと岬くんが再会した場所である。
とりあえず、朝から何にも食べてなかったのでお腹が減った。エッフェル塔を見ながら食事をしようとスーパーに行って食料調達。
チケット代で今日はかなり出費が大きかったので、フランスパンとブルーチーズ、それにビールで花見ならぬエッフェル塔見をすることにした。
実際に見たエッフェル塔は、何か物足りない感じで、荘厳さとか煌びやかさが感じられない。東京タワーのほうがかっこいい感じもする。
高さは320メートルくらいで、東京タワーよりは少し低く、想像していた黄色い感じではなくて、ただの鉄骨の塔という感じだった。
夜8時半
大勢の家族や恋人たちが平日にもかかわらずエッフェル塔を見に来ていた。
今日の夕食〜。
夜9時半。
10時。おーい、暗くならないぞ〜
パリはあまり治安がよくないらしい。僕の友人のバックパッカーは仲良く話しかけてきたフランス人にクッキーをもらって、その中に睡眠薬が入っていて持ち物全部を盗難されたらしい。宿についてすぐ会った旅人もパリ初日にスリに遭ったという。
さすがに遅くなりすぎるかなと思ったけれど、こんな機会はめったにないから、11時までねばることにした。エッフェル塔は毎時0分にネオンが綺麗に点滅すると聞いていたからだ。
10時半。もうちょっと近くまでいってみた。
さらに近くまで行ってみた
夜11時。毎時0分〜5分まで電飾が点滅してとてもきれい。
結局、宿に帰ったのは、夜中の12時過ぎだった。
暗くなって間もないのに、もう深夜12時って……。なんかへんな感じだ。
夜行バスであまり寝てなくて、そのまま1日中、市内観光。
あれ、これ、フランクフルトでもあったような……。
そう、そして今日も宿の日本人と話が盛り上がって夜遅くまで話をしてしまいました。
しかも、朝6時まで……。
明日も観光しないといけないんだけどなあ。。。
フランクフルト2日目、今日は夜行バスでフランスのパリに移動する。
フランクフルトの市内観光は昨日しっかりしておいたので、今日は宿泊しているホテルで旅人と話をしたり、ホテルの近くのスーパーや雑貨屋をのぞきながらバスの時間まで、のんびりとすごしていた。
夜行バスのチケットは昨日、駅の近くのチケットオフィスで入手しておいた。料金は55ユーロ(7100円)。本当は列車移動をしたいのだけれど、列車だと料金が倍以上かかってしまう。僕のような貧乏パッカーは長期間旅をするために、できるだけ節約しながら安い交通機関で移動していく。
ヨーロッパの場合、特に物価が高いため、削れるところは削って、楽しむべき部分にお金を使っていかなければならない。もちろんタクシーなんて絶対に使わない。まず、できるだけ歩く。
そして、公共バス、路面電車など、地元民の交通手段を使って移動する。これは何も物価の高いヨーロッパに限ったことではない。できるだけ、現地人と同じ生活を体験して、その都市の文化や生活様式を感じられるというメリットもある。
もうひとつ、お金を節約する方法としては、宿泊する宿をできるだけ安くすませることだ。ヨーロッパのホテルは国にもよるけど、通常は1室5000円〜1万円くらいかかるだろう。日本と同じような感じで考えてもらっていいと思う。
それを、安くおさえるために、夜行バスを使ってホテル代を浮かせ、泊まる時は「ユースホステル」に泊まるのだ。
ユースホステルは日本はもちろん、世界中にある安ホテルなのだが、普通のホテルよりかなり安く泊まることができる。そして、僕のようなバックパッカーが泊まるのは「ドミトリー」と言われる、知らない人同士が同室になる一番安い部屋である。4人部屋から大きい部屋では20人部屋なんてのもある。男女が分かれているものもあれば、今泊まっている部屋のように男女混合のMIXドミトリーの部屋もある。
今泊まっているドミトリールームだと1泊料金が8ユーロ。これはかなり安く、通常は15〜20ユーロくらいなのだけれど、とにかく安いということ、そして、いろんな人と出会い、いろんなことを話すというのがユースホステル、ドミトリールームの特徴である。
今回泊まったユースホステルはとても過ごしやすかった。
実は昨日、日本から19時間の移動のあと、1日中フランクフルト市内を観光してかなり疲れていたのにもかかわらず、夜中の3時半まで起きていた。昨日初めて会った旅人とずっと話をしていたからだ。
昨日知り合った旅人をちょっと紹介しておこう。
まず一人目が日本人大学生のYくん。
つづいて、コロンビア人のカエロ。
韓国人女性のYU。
最後にポルトガル人のマリオである。
Yくんは現役の大学生で、1年間休学してアメリカに半年留学、その後、ペルーでスペイン語を学び、残った時間で南米、ヨーロッパ、アジアを旅している途中だという。
コロンビア人のカエロは現在スイス滞在。カポエラの先生をしているのだそうだ。休みを利用して、ドイツやノルウェーを旅しているらしい。彼は日本も大好きだそうで、一番好きなのは「ワンピース」。独学で勉強してけっこう話せる。日本語だけでなく、英語、スペイン語、スイス語、ドイツ語と5ヶ国語に堪能だ。
韓国人のYUは英語が堪能で、休みを利用して旅しているらしい。このあともヨーロッパを回って、別の大陸にも行きたいと言っている。
最後にマリオはポルトガル人で、空港で仕事をしているらしい。今回は仕事関係でフランクフルトに来ているという。彼はヨーロッパ言語など7カ国語が話せるらしいが、何を話せるかは聞いたけどもう忘れてしまった。
まあ、たまたま話をした4人がこんなに個性的なのだから、ユースは費用を浮かせるためだけでなく、国籍を越えた非常に興味深い交流の場でもあるのだ。
本日の食事。フランスパン0.8ユーロ、生ハム1ユーロ、kräuterquark 0.4ユーロ。合計2.2ユーロ(285円)
生ハム美味しい。
今日は夕方19時の夜行バスでパリに向かう。パリでは日本人宿に泊まろうと思っている。もちろんドミトリーだけど、久しぶりの日本人宿なのでどんな輩が集まっているか楽しみである。
トラム。短い距離だと1.6ユーロ。
ドイツのビン回収は種類わけされている。
オリーブも買ってみた。1ユーロ(120円)。
ユーロラインバス。ヨーロッパ中を走っている。
フランクフルト空港に到着したのは定時より30分早い午前6時だった。
成田→北京が4時間、北京→フランクフルトが11時間、乗り継ぎも合わせると19時間の長旅である。ちなみに航空券は往復で10万円。もっと早く予約すれば6万円くらいのもあったんだけど、思いのほか高くなってしまった。
早朝のフランクフルト空港は少し肌寒いくらいだった。市内中心に向かおうと、空港電車を探す。表示にしたがって階段を降りていくと、そこはホームだった。
あれ、切符はどうすればいいの?
このまま電車に乗ればキセルになってしまう。近くにいたスーツ姿のドイツ人に尋ねると、ホームにある自動販売機で買えばいいと言い、自分の乗る電車を1本遅らせて、わざわざ自動販売機のところまで来て買い方を教えてくれた。
空港から中央駅までは4.5ユーロ。2人分の料金8.5ユーロを払おうと20ユーロ札を入れてみたけど、なぜかお金が戻ってくる。
よく見ると、使用可能な紙幣は5ユーロ札と10ユーロ札のみだった。僕もSも小さい紙幣を持っていなかったので、どうしようかと困っていると、そのドイツ紳士がポケットから10ユーロ紙幣を取り出して、二人分のチケットを買ってくれた。
おお、ドイツ人、なんて親切なんだ!
お礼を言って20ユーロ紙幣を渡し、おつりをもらおうとすると、
「この切符は僕からのプレゼント。ようこそフランクフルトへ」
いやいやいや、それはいくらなんでも申し訳ない。僕とSが何とか受け取ってもらおうとすると、
「このお金は君たちがまたフランクフルトに来て、僕らが再会するときに返してくれればいい。その日が来るのを楽しみに待ってるよ」
おお、ドイツ人、マジかっこいい!!!
日本だったら歯の浮くような臭いセリフを見事なまでに自然に言ってのける。さすがヨーロッパ! さすがドイツ紳士! 僕らはいたく感動し、丁寧にお礼を言って彼の厚意を受け入れることにした。
ヨーロッパ旅行、しょっぱなから調子いいじゃないか!
空港から中央駅までは4.25ユーロ。
中央駅まで行くと、なぜか改札がない。気がついたらそのまま駅の外に出てしまった。電車に乗るときも、電車から降りて駅を出るときも何のチェックもない。これならはっきり言って、無賃乗車なんて余裕でできる。切符のチェックもしないドイツって国は、どこまで国民を信用しているんだろうか。そして切符のチェックが必要ないドイツ人はどんだけしっかりしてるんだろう。
駅のホームに切符券売機がある。
とりあえず、中央駅近くの道端に並んでいたワゴンのハンバーガー屋で朝食タイム。ヨーロッパ最初の食事は〆鯖バーガーだった(2.5ユーロ)。これがかなりボリュームがあって美味かった。〆鯖も美味いがとにかくパンが美味い。
その後、トラムに乗ってユースホステルの最寄り駅まで行ったけど、そこでもドイツ人紳士が切符の買い方を丁寧に説明してくれた。トラムの切符検査もまたもやなし。面倒なチェックがなくていい。
宿は「AOホステル」のミックスドミトリーで一人8ユーロ(1000円)。シーツ代で3ユーロ払わされたけど、それにしても安い。本当は午後3時にならないとチェックインできなかったんだけど、レセプションのお姉さんが調整してくれて、午前10時にはチェックインさせてくれた。
安宿だけど、とても綺麗。4人用のMIXドミトリー。
荷物を置いて、シャワーを浴びて、いよいよフランクフルト観光スタート。市内の主だった見所は中央駅東側にかたまっているので、全部歩いて回っていった。
ひとつひとつ書くと面倒なので、写真とキャプションで簡単に紹介していこう。
フランクフルト中心部の南を流れるマイン川。
ゲーテの家。もっとゲーテについて勉強しておけばよかった…
ゲーテの書斎。
市内中心部にはヨーロッパならではの建築物が。
フランクフルトでは昼食をハンバーガーですますサラリーマンがたくさんいた。
ハンバーガー、ソーセージ、ドイツの定番。
見ているだけで美味そうなソーセージ、ハム、サラミ。
せっかくなので、こちらもハムバーガーをいただきました。もちろんビールも。
大聖堂。入場料は無料。
町の市場。ここでもやっぱりソーセージ。
オリーブの漬けたやつ。ちょっと買って食ってみた。
野菜の彩りがなんかいいんだよね〜
山イチゴも売っていた。
市場のテラスにはワインバーがあった。せっかくなのでここでも一杯。
観光地というより、パンやバーガー屋の並ぶ通りの雰囲気、市場の品揃えと色鮮やかさ、市場に隣接したワインバーの雰囲気が印象に残る街だった。
観光を終え、ビールとワインでほろ酔いになりながら宿に戻る。今日はなんだかんだで、6時間くらい歩いた。ヨーロッパ到着初日はなかなかハードではあったけど、ドイツ人の優しさに触れられて有意義な一日だった。
2007年、世界一周の旅をスタート、1年間で42カ国を周遊。2009年、世界一周の忘れ物をさがしに3ヶ月間インド・ネパールへ。でもって、世界一周の旅は終了しました。
実はその後も中国で時間を見つけて旅してて、気がつけば中国国内を40都市も訪問してました。東南アジアも正月休みを利用して2年続けて旅して、旅は続けているんだけれど、ブログに書こうとは思いませんでした。
なぜなら、書くのが面倒くさい!
そして、もうひとつの理由は、2007年の世界一周を超える旅は絶対できないと思ったからです。
10年くらい前、沢木耕太郎の「一号線を北上せよ」を読みました。旅人のバイブル「深夜特急」の訪問地を再訪するという内容で書かれたノンフィクション作品でしたが、その内容にはがっかりさせられました。内容に新鮮さがない、緊張感がない、読んでいてもドキドキしない。
最近の僕の旅もそんな感じです。
まず、新鮮さや緊張感がない。旅に慣れているから困ることはほとんどないし、これから訪れる場所がどんな場所かもなんとなく想像できる。今まですごい遺跡や自然をたくさん見ているから、少しくらい有名なものを見ても驚かなくなった。
「旅」の醍醐味って何でしょう?
新鮮さ、緊張感、驚き、発見、出会い……いろいろあるとは思うのだけれど、今の旅にはそのいくつかが欠如しているような気がします。
でも、旅に慣れていても、やっぱり好きな旅を楽しみたい。旅に慣れているからこそ楽しめることもあるかもしれない。そんな気持ちになって、6年前を思い出し、今回は久しぶりに旅中にブログを書いてみることにしました。
相変わらず面白味のない文章ですが、コメントは受け付けない自己満足のブログです。少しくらいは旅人の情報源になればいいかなと思っています。
ヨーロッパ旅 1日目
ただいま、ヨーロッパにむかう飛行機に乗っています!
ヨーロッパ旅1日目は東京・梅屋敷の友人宅からスタートした。
実はこの1週間、故郷の島根県から上京し、何人かの友人宅に居候させてもらいながら、キャリーバックを引っ張って東京都内を旅している。
社会人時代の仲間と会ったり、日本に来ている中国人留学生と会ったり、北京で会った日本人留学生と再会したり、毎日誰かしらと会っていて、毎晩飲んでいるから、お陰で日本の美味いものがたくさん食べられた。
中国に住んでいても美味い食い物はいっぱいあるけど、やっぱり美味しい白米と新鮮な魚介類は日本でないと味わえない。しばらく食べられなくなる今日の昼飯も、居候先の友人と一緒に梅屋敷の商店街にあるトンカツをいただいた。
ヨーロッパへの出発便は午後7時成田空港発の中国国際航空。梅屋敷から2時間かけて成田空港に午後5時に到着した。
実は今回の旅、最初は1人同伴者がいる。そして2日目にはもう一人増える。そして3日目には自分ひとりになってしまう。
そもそも、北京で以前知り合った2人の友人と話の流れでヨーロッパに行くことになったけど、僕は2007年にヨーロッパをけっこう回っているので、日程が合うときは一緒に旅をすることになったのだ。
空港に着くと、友人Sはすでに空港に到着しており、そのご両親も見送りに来てた。初対面の僕に「どうぞよろしくお願いします」と何度も言われ、「いや、ほとんど別行動だから……」とは言えなくて、「まあ、大丈夫ですよ」とお茶を濁した。
友人Sは僕が北京第二外国語学院で日本語教師をしていたときの日本人留学生で、元気なこととお酒が好きなことが取り柄の29歳。この旅でも一緒にいるときはしっかりお酒を付き合ってもらおうと思う。
飛行機は予定を30分遅れて成田を飛び立ち、午後10時に経由地である北京空港に到着した。どうせ4時間しかいないのだけど、なぜ、よりによって北京……。6年ぶりのヨーロッパで新鮮な気持ちになりたいのに、いつもいる滞在先の北京が経由地だなんて、最初から拍子抜けだ。
最初の機内食。もみじ饅頭〜
北京は雨が降っていた
ともあれ、ヨーロッパ旅行初日は、北京を深夜2時に出発して、とりあえず順調にスタートした。最初の目的地はドイツのフランクフルト。どんな旅になるのか見当もつかないけれど、とりあえずせっかくだからしっかり楽しみたい。
中国国際航空でこんな広い機体に乗ったのは初めて。
ゲームも楽しめた。カジノゲームで500ドルを100万ドルに増やす。
本日2回目の機内食。ホワイトソースのパスタでした。
最後の機内食は朝方、中華風のお粥でした。