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アイルトン・セナの墓参りへ
日本を出発してから24日目
ただいま3カ国目
ブラジルのサンパウロにいます


 サンパウロに来て以来お世話になっている「ペンション荒木」。この宿はとても住みやすい。
 長期旅行者と短期旅行者がだいたい別棟でわけられていることもあって、旅人同士がいい距離感をたもちながら情報交換や会食の機会などを持つことができている。

 ブエノスアイレスでは日本人宿に泊まることに不安を感じたが、この宿に来てからは宿のおかげで生活が充実できているように思う。


荒木さん。すごくいい方。


荒木さんに作ってもらったお酒、ピンガ。

 今日はサンパウロ最後の日。山田は宿に残しておいて、午前中から市内に出て行くことにした。
 山田の奴、ブエノスアイレスで合流してから、一人で観光したことがない。ちょっと近くを散歩することはあるみたいだけど、だいたいが宿で寝ていたり、溜まった日記を書いていたりする。もったいない。

 昨日は朝4時までかかって1日分の日記を書いたとかいっていた。「日記を書くのやめたら?」といっているのだが、それは嫌らしい。まあ人それぞれなので気にしないけど。

 市内めぐりはいくつか候補があったのだけれど、今日はある人の墓参りにいくことにした。
 ブラジルが生んだ偉大なレーサー、アイルトン・セナの墓だ。

 アイルトン・セナは1980年代から90年代にかけてF1ドライバーとして活躍、1994年にレース中の衝突事故で亡くなった。34歳という若さだったが、その走りと人柄で、もっとも愛されたF1レーサーだ。ブラジルでも、サッカーの王様ペレと肩を並べる国民スターらしい。

 僕も中学高校時代はセナの走りを見て熱狂していた。セナ、マンセル、プロスト、ベルガー、アレジ、シューマッハ……。うーん、なつかしい。1990年頃、ウイリアムスの黄金時代にマンセルが連戦連勝していたころ、マシンで劣るフェラーリのセナがモナコでマンセルをおさえたレースは印象的だった。

 正午ごろ宿を出てバスを乗り継ぐ。何人もの人に聞きながら、「セミテリオ・モルンビー」というセナの眠る墓地に到着した。

 墓地はサンパウロ市内の共同墓地で、そのなかにセナも眠っているときいていた。墓地のすぐ手前にある花屋でひまわりを1本買った。ブラジルの黄色と明るさが、なんとなくセナのイメージだった。

 敷地内に入ると、そこは公園のようになっていて、緑の芝生が気持ちいい。墓参しているひとは僕を含めて3人しかおらず、あとは芝生を刈っているおじさんが5、6人いるだけだった。
 
 お墓は芝生の中にプレートが埋め込まれた実に簡素なもので、いくつかの墓地には花が供えてあった。芝刈りをしているおじさんにセナの墓の場所を聞くと、敷地内のちょうど中央にあるという。遠くから見ても、それとわかるお墓はない。
 とりあえずそのあたりに歩いていってみると、小さなブラジルの国旗が立ててあり、そのまわりにいくつかの花が供えてあった。プレートを観ると、「AYRYON SENNA」と書かれてある。セナの墓だ。

 ブラジルの大スターが一般人と同じように、ひっそりと郊外の墓地で眠っている。緑の芝生に囲まれて、太陽を浴びながら、多くのブラジル永眠者の中央で眠っている。ブエノスアイレスで一軒家のようなレコレータ墓地を見ていたので、よけいに印象的だった。
 墓の前にひまわりを1本置いてセナのことを思い出すと、あの笑顔がよみがえってきた。セナのあの笑顔はブラジル国民、世界中のF1ファンの心の中にいつまでも残っている。合掌。








偉大なるスターよ、永遠に……

 セナの墓地に行った後はセントロの教会や商店街を練り歩いた。夕方には宿の前で根岸君を呼んで、山田と3人で日本料理を食べた。根岸君とはここサンパウロで別れる。彼はこのあとモロッコに飛ぶそうだ。日本での再会を約束し、お互いの旅の健闘を誓い合った。

 9時半頃、山田と宿を出る。地下鉄とバスを乗り継いで夜中の12時頃に空港に到着した。深夜4時の便で目指すは、カーニバルの地、サルバドールだ。


セントロ中心部。月曜だというのに人だかり。




日本の本だけ置いてある書店「太陽堂」




こちらの教会は歴史と風格を感じさせる。


広場の隅にはきれいな娼婦がいた
author:tiger, category:Brazil, 14:26
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