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日本帰還。この旅でわかったこと。

ヨーロッパ旅 31日目
ただいま、日本の東京に戻ってきました



昨日の11時半にマドリッドを出発した飛行機は今日の午前5時に経由地である北京空港に到着した。
日本からヨーロッパに向かう飛行機でもそうだったけど、日本に帰国した10日後にはまた北京に戻ってくる。そう考えると、経由地が北京というのはやっぱり微妙な感じだ。

飛行機を乗り換えるために連絡通路を歩くと、モワっとした熱気を感じて北京がそうとう暑いことが分かる。また、空気が汚れているために視界がぼんやりしている。
日本、ヨーロッパはともに青空が広がり、空気が綺麗だったから、普段は当たり前のこの光景もいっそう痛々しく思えてくる。

日本への便は4時間後の9時半発だから外にも出ず空港で待つことになった。
大声で話す中国人、質問してもいい加減に答える空港スタッフ、北京空港についたとたんに中国らしさ満開だ。
とはいうものの、中国で仕事をしている僕にとって、北京はホーム。日本では中国に対する批判的な報道が続いているけれど、やっぱりアウェイの欧州と比べれば何倍も落ち着ける。
不思議なことに、すでに日本より落ち着ける場所になっているのではと思えてしまう自分がいる。

空いている売店に行ってタバコとカップラーメンを買う。
日本なら1カートン4000円以上するタバコが、中国タバコなら37元、600円ほどで買える。約7分の1だ。
中国の空港では熱湯マシンが設置されているので買ったカップラーメンをさっそくいただいた。
こちらは日本のカップラーメンと比べるとかなり不味いのだけれど、ヨーロッパの味に慣れてしまっていたから、すごく美味しく感じた。やっぱり僕はアジア人ということなのだろうか。


日本行きの飛行機は空港への到着が遅れたため、搭乗時間が30分遅れたものの、無事に機内に誘導。
さあ、あとは日本に帰るだけと思っていたら、「故障が発生したので一旦飛行機を降りてください」という放送が入る。



乗客は中国人ばかりだった。


これはもう、Sの負の連鎖としか思えない。
クロアチアで30時間飛行機が飛ばず空港待機。バルセロナ観光ができなくなり、マドリッドでは財布を失くす。
Sの落胆ぶり、不安がはっきりと表情からうかがえた。
自分の乗る飛行機が遅れることより、思わずSに同情してしまった。

これはいつまで待たされるのだろうと思っていたら、1時間半後の11時には無事に北京空港を飛び立った。

午後4時。飛行機は定刻の1時間半遅れで成田空港に到着した。

これから東京の友人宅に5日間ほど居候し、夜行バスで故郷に戻り、3日後には北京へ戻らなければならない。

もう少し旅人のような生活が続くけど、何はともあれ、無事にヨーロッパから戻ってこれて良かった。





今回のヨーロッパ番外編は今日で完結。
でも、もう少し書いておきたいことがあるから、今日も昨日に引き続き、この旅を振り返ってみたいと思う。


まず、今回の旅で分かったことが2つ。

ひとつ目は、6年前と比べて、旅のスタイルが大きく変わっていたということ。

その要因は何かといえば、旅をする上でインターネットはなくてはならないものになってきたことだ。
これはヨーロッパを旅していたから特に感じたことかもしれないけれど、インターネットの普及により、旅先の情報入手が容易になった。言い方を変えれば、安い宿を見つけるにも、移動に必要なチケットを入手するにも、インターネットが必要となるのだ。

これは旅人にとっては便利で有難いことだと思う。ホテル、列車、飛行機、バス、入場券に至るまでネット予約が可能となり、旅の情報もその場で簡単に入手できるようになった。

6年前の旅でネット予約をした記憶は1年間旅をして1回くらいしかなかった。
どうしていたかというと、全て現地のユースホステルや現地のチケット売り場に足を運んでその場で交渉したりチケットを入手していた。
情報はホテルの人や現地人に聞いたり、日本人宿に行って旅人と情報交換したり、情報ノートをメモしながら入手していた。
口コミで情報が伝わるから、ヨーロッパでも行ったほとんどの宿に日本人バックパッカーがいたし、口コミ情報を得るための交流はなくてはならないものだった。

便利になって良かったではないかと思う人も多いだろう。でも、それによって、人と人とのコミュニケーションが減り、極端な話をすれば、全く話をしなくても旅ができるようになってしまった。
以前の旅のスタイルを知っている身からすれば、旅がずいぶんと味気ないものになってしまったような気がした。

そういえば、前回は10人中2、3人しか持ち歩いていなかったパソコンや携帯電話を現在はほぼ全ての旅人が持ち歩いている。


このことは、もう一つの変化をもたらしている。
それは旅人の質が6年前とは変わってきていることだ。

日本人宿に行っても、暇な時間はノートパソコンと向かい合って時間を潰す。情報を入手する場合も人に聞くよりネットが早くて正確だから旅人と交流する機会が減る。道に迷ってもGPSで現在の場所を知ることができるから現地人と交流しない。
全てがネットで情報収集できることで、多くの人が旅をしやすくなった反面、交流が減り、楽ちんで緊張感のない旅になっているのではないだろうか。

こんなことを書くと、「沢木の時代と比べれば、あなたの6年前の旅だって恵まれた環境だし、本当の旅っていえないよ」と言われるかもしれない。

確かにそうだと思う。

バックパッカー経験のない僕が1年間で42カ国を回れたのは昔と比べて旅をしやすい環境が整っていたからだと思う。けれど、それでも現地人や旅人から情報を聞き、本当に必要な情報だけネットカフェに行って短時間で情報収集していた。

海外にいても日本の情報が毎日苦もなく入手でき、宿ではwifiを使いながら日本のテレビ番組を見られる。これって旅って言えるのだろうか。

これは主観的な見方かもしれないけれど、6年前に出会った旅人たちの多くは旅に対する思いが強かったように感じる。
各々が自分の旅に対するそれぞれの決意を持ち、何か大事なものを捨てて世界に飛び出していた。
だから話していても楽しいし、別々のルートで全く違った旅をしている人と会ってもどこか運命共同体みたいな感じがあって、仲間意識や一体感も生まれやすかった。

これはヨーロッパだからそうであって、アフリカや南米ならそうではないかもしれない。でも、6年前のような旅はしにくくなっていることが分かって、ちょっと寂しい気持ちになった。


2つ目は、ヨーロッパの生活スタイルやヨーロッパ人の考え方が日本のそれとはかなり違っていることに気づかされた。

これはレッチェ滞在中のブログでもすでに書いていることだけれど、ヨーロッパの先進国の人たちは長年の歴史と文化の中で人生の幸せの得方をよく心得ている。

お金があれば幸せ、便利になれば幸せという考え方はしない。
経済的にある程度余裕があるからこそ、自分の幸せのために自分の時間を有意義に使う。

スーパーは日曜日は休み。暑い時間帯は昼間でも店を閉める。人気レストランは味を守るために店舗を増やそうとはしない。時間があれば散歩し、公園や海岸沿いにはいつもバーベキューをしたり、お酒を飲んだりする家族連れや仲良しグループで賑わっている。

日本のように連休に気合を入れて遠出し、祭りやイベントでここぞとばかり日頃の鬱憤を晴らそうとしなくても、日常の中に楽しみと幸せを得ることができているのだ。

人間は幸せになるために経済を発展させ、便利な世の中を作ろうとしている。でも、今の日本人はそれで幸せになっているのだろうか? 
今の日本は経済が発展することで人々の生活が窮屈になり、生活を便利にするはずが、逆に不便を増やしている。今の日本人は自分が幸せになる術を知らないような気がする。
経済的に豊かになることこそが幸せと感じている日本人は、生活に余裕を持ちながら日常に幸せを感じて生きていく方法をもっと探してもよいのではないだろうか。



 

次に、今回の旅が僕にとってどのようなものであったかについて書いてみたい。

実は今回の旅を始める前、僕は今回の旅が楽しいものになるかいささか不安だった。
それは初日のブログにも書いたように、6年前の世界一周の時と比べれば、新鮮味、緊張感、発見などの面で必ず前回を下回ると思ったからだ。
これは旅をもっと楽しみたいと思っている多くの世界一周パッカーが感じているジレンマだと思う。

その中で、旅に慣れたからこそ、二度目のヨーロッパだからこそ楽しめる部分もあるのではないか。そう思って旅をスタートさせた。

実際はどうだったかというと、確かに旅慣れていたからこそ、不安なく旅を続けられたし、スムーズに観光地を回ることができた。
二度目の訪問地では観光地に時間をとられず、町を時間をかけて回ることができた。
でも、6年前と比べると、やっぱり物足りなさはいなめなかった。

結論から言うと、今回僕がヨーロッパでしてきた1ヶ月の周遊は「旅」ではなく「旅行」だった。

分かりやすく言えば、短期旅行を繋ぎ合わせたようなもので、それを節約しながら続けていた感じがある。

1ヶ月間で多くの国を回り、いろいろな名所を訪れ、楽しむところは楽しんで、宿代や移動などの費用はできるかぎり節約した。

それは何も悪いことではないと思う。一つの旅のやり方といえるかもしれない。でも、僕の中では「旅」ではなく、「旅行」だった気がする。

これから、僕が「旅」を続けていくのかは自分でも分からない。
でも、旅は好きだし、旅には僕の知らないもっと面白いことが隠れているような気もする。
そのヒントとなりそうなことが旅中にあった。

イタリアのレッチェで無銭チャリダーの圭さんと再会した時、別れ際にこんな約束をした。

「圭さん、次は中米あたりで再会しましょう。何年後になるか分からないけど、また6年後くらいかな。また圭さんを訪ねて会いに行きますよ」

圭さんは本気にしたかどうか分からないけれど、僕はけっこう本気だった。
今度は中米の現地ビールを飲みながら、また圭さんと朝まで旅の話をしたいと思った。

そこにははっきりとした「目的」と「意思」がある。

圭さんが旅に目的を持っているように、僕も6年前の世界一周の時には目的と意思があった。

「自分には世界一周ができるのか」
「自分の全く知らない世界をこの目で見てみたい」

旅のスタイルが変化してきている、自分が旅に慣れてしまった、そんなことは実は言い訳で、旅することに価値観を見出せていなかったから、不完全燃焼な旅だったのかもしれない。

今回の旅でこれまでの訪問国は49カ国になり、行きたい国もだんだん減ってきた。
次の「旅」をする時は、何ヶ月も前からドキドキし、飛びあがるくらいの喜びを感じられる旅にしたい。そんな目的と意思のある旅をいつ見つけられるかは自分でも分からないけれど、案外それは6年後の中米かもしれない。

 

author:tigerblog, category:ヨーロッパ番外編, 22:09
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