RSS | ATOM | SEARCH
余裕のあるイタリア人、余裕のない日本人。

ヨーロッパ旅 23日目
ただいま、9カ国目
イタリアのレッチェにいます


レッチェ3日目。
昨日も朝まで話していて、僕は昼前に目が覚めたけど、圭さんが起きてきたのは2時頃だった。



ところで、個人旅行をしない人がよく挙げる理由に「言語が話せないから」というものがある。


確かに言葉が相手に伝わらなければ不安も大きいだろう。
でも、「旅に言語は必要か?」という問いを受けると、僕はいつも「いらない」と即答する。
なぜなら、「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」「いくらですか」、この4つの挨拶さえ話せれば旅をしていく上でほとんど問題ないからだ。

宿やスーパー、切符売り場などではだいたい話す内容が決まっている。だから、相手の表情を見ていればなんとなく理解できるし、自分が相手に何かを伝える時も、紙に数字を書いたり、地図を指差したり、ジェスチャーで相手に伝えようとすれば、だいたい理解してくれる。
ただ、そのためには相手が自分の言いたいことを理解しようと努力してくれなければならない。だから、相手に気持ちを伝えようとすることは旅をしていく上で非常に大切なのだ。


もちろん、現地人とコミュニケーションをとったり、旅仲間と仲良くなるためには言語は必要不可欠なものだけれど、本当に言語が話せないと困るのは何か問題が起きた時だけだ。

ちなみに、ここレッチェではどうかというと、イタリア人は英語が話せない人が多く、僕の言葉は通じない。それでも特には困らないのだけれど、必死なジェスチャーなども必要とせず、快適に生活できているのは、圭さんのイタリア語がかなり上手で、全部助けてくれるからだ。

手品をする時もイタリア語で説明し、手品の合間や手品後に地元の人にイタリア語で話しかけられてもほとんど理解して、イタリア語で受け答えしている。

「一応、手品用語はどの国に行っても全部覚えるようにしています」

「特にイタリアは長いですからね。それに、僕は昔、スペイン語をやってましたから。イタリア語とはかなり似ているんですよ」


なるほど。金も持たずに日本を飛び出し、大西洋を手漕ぎボートで渡ろうとしている「ミスター無鉄砲」のような人だけど、だてに11年も旅を続けてこれたわけではないのだなあと思った。






というわけで、昨日予告したように、今日は地元のスーパーに行ってみた。


ここレッチェのスーパーは昼の暑い時間帯に店を閉めているところも多いらしい。だからスーパーに行ったのは夕方になってからだった。

そういえば、ハンガリーのブダペストにいたときも、スーパーは日曜日は休みだったし、他の国でも、夕方の7時くらいにスーパーが閉まる国が多かった。

日本人からすると、「どうしてやってないの!」「日本は24時間スーパーもけっこうあるし、なんて便利なんだろう」と思ってしまうけど、こちらの人から見れば、それが当たり前だから特に困らないのだろう。

便利になれば不便が増える。

そういえば昨日の夜、圭さんがこんなことを言っていた。

「こっちの人は幸せを得る方法をよく知っているんですよね」

お金を得ることのみを幸せと考えるのではなく、いかに生きている時間を充実させ、楽しく過ごせるかを考えているそうだ。
なにも休日や夜遅くまで働かなくたっていいじゃないか。そこで得る賃金よりも、その時間を自分のために使い、家族と過ごし、時間的な余裕をもって生きていったほうが幸せに生きていける。金は必要な分だけ稼げればいい。

戦後、必死に働きながら苦しい時期を乗り越え、経済発展とともに生活が豊かになっていった日本を否定するつもりはないけれど、ここの人たちは長年に亘って培われた文化の中で人生を楽しむ術が養われているような気がした。


レッチェの人たちの生活を見ていると、それが非常に分かりやすい。

ここの人たちは、夕方になると家族や仲間と一緒にまず家の近くのバーに行き果実酒などの食前酒を飲むアペリティーボという習慣がある。アペリティーボが終わったらセントラルに出て夕食を食べる。
食事が終わってもすぐには帰らない。広場を散歩しながら自分のお気に入りのアイスクリーム屋でアイスを食べ、夜中の1時2時まで広場でのんびりしてから家に帰る。

だから、大道芸をやっていても、興味をもったらすぐに足を止める。
すごい芸を見たら拍手し、面白い芸を見たら大人も老人も表情を崩してよく笑う。
良い芸だと思ったら、財布の中から小銭を出して缶に入れ、子どもが喜んでいたら、子どもに小銭を渡して缶の中にいれさせる。


きっと、小銭を渡していた親も子どもの頃には自分の両親からもらった小銭を缶の中に入れていたのだろう。
そんな文化は今の子どもが大人になったときにも子どもに引き継がれていくはずだ。




広場は毎晩こんな感じ





大人も子どもも楽しそう


大道芸に足を止められる余裕がある。
笑ったり、驚いたり、拍手をおくられる余裕がある。
自分が楽しんだことにコインを入れられる余裕がある。

時間だけでなく、心にも余裕があるんだろうなと思う。



日本はどうだろう?
圭さんに聞くと、日本は大道芸をやりにくい国らしい。

大道芸をしていても、足を止めずに横目で見たり、遠くから見て様子を伺ったりする。
芸を見ていても笑う人が少なく、芸が終わる前にその場から離れてしまう。
経済的な余裕はイタリア人よりあるはずなのに、財布の中の100円を入れようとしない。

日本人がケチだとは言わないけれど、日本人は心に余裕がないなあと思う。


日本で生活していた時、僕もそんな感じだった。


中国で生活している時、喧嘩や事故があると不思議なほど多くの野次馬が集まってくるのを見て、「なんて中国人は暇なんだ」と思ったこともあったけど、事故や喧嘩があっても何もなかったかのように横目で見て通り過ぎる日本人のほうが異常なのかもしれない。







閑話休題。
スーパーに行くと、その品数の多さと安さに驚いた。圭さんが特に安いスーパーを教えてくれたのだけれど、でっかりティラミスが3ユーロ、ビールが0.45ユーロ、生ハムやオリーブ、チーズなども日本よりずっと安くて、物価の高いイタリアをびびっていたのが嘘のようだった。

やっぱりナポリ以南のイタリアは物価が安くなるようだけれど、安いと思っていた東ヨーロッパのチェコやハンガリーと比べても同じかそれより安いくらいの値段だった。



スーパー・EURO SPIN


ティラミスがこの量で3ユーロ。
ちなみにティラミスはイタリア発祥で「私を元気づけて」という意味らしい。



今日は圭さんのところのキッチンを使わせてもらい、ちょっとした手料理を振舞うことになっていた。必要な野菜を買い、圭さんはあっという間になくなってしまったストックのビールを18本も買い足してくれた。


部屋に戻ると、圭さんは手品に出かけていき、僕はキッチンで料理にとりかかった。実は今回の旅では費用節約のために自炊しようと日本からいろいろな調味料を持ってきていた。
でも、宿にキッチンがなかったり、観光で疲れ果てて料理をする気にならなかったり、キッチンが他の旅人で埋まっていたりして、ほとんど自炊していなかった。

作ったといえば、パスタを茹でて、瓶詰めのトマトソースをかけたくらい。あとはフランスパンと生ハムとチーズを買ってすませていた。
やっぱり日本人、いくら美味しいといってもパンにはもう結構前から飽きてしまっている。


圭さんが部屋に帰ってきたのは午前2時過ぎだった。
今日のメニューは中米料理のセビッチェ、中華料理の凉拌黄瓜、辣子鶏丁、西紅柿炒鶏蛋、あとは日本の居酒屋料理のジャーマンポテト、鶏の竜田揚げ、鶏汁。

ちょっと期待されていたので、お世話になっている手前もあり頑張ってみた。



鶏の竜田揚げ


中華料理の辣子鶏丁


あまりうまくいかなかった料理もあったけれど、圭さんは全部美味いと褒めてくれた。
もちろん今日買ったビールも大量に冷やしていたので、ビール飲みながら今日も明るくなるまで話し続けた。

 

 

 

 

author:tigerblog, category:ヨーロッパ番外編, 04:24
-, -, - -