- 大都市バンコクへ
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2007.12.30 Sunday日本を出発してから345日目
ただいま39カ国目
タイのバンコクにいます
シュムリアップの宿を7時半に出発して、バスはタイのバンコクを目指す。
砂埃を巻き上げながら舗装されていない道路を走るバスは上下に激しく揺れ、冷房設備がないもんだから蒸し風呂のように暑い。
これまでも悪路はいくつか通ってきたけれど、今回のバス移動はかなり疲れた。ただし、疲れたのは悪路が原因ではなく、窓際に座っている僕の隣座席、そして後ろの座席に座る3人の欧米人の節操のなさに疲れたのだ。
車外は周囲の景色が見えないほど砂埃が舞っているというのに、彼らは暑いという理由で僕の窓を開けてくれと言ってきた。仕方ないので3分の1ほど窓を開けると、開けた瞬間に大量の砂埃が入ってきた。
目も辛いし鼻も辛い。さすがにこれは無理だと思って半分ほど閉めると、僕になんの断りもなしで横から手が伸び、窓をこじあけてくる。これにはこちらもむかついて、全部窓を閉めてやると、今度は後ろから手が伸びて窓をこじあけてきた。
「おいおい、かんべんしてくれよ。砂が入ってきて目と鼻が辛いんだって」
「暑いんだからしょうがないだろ。開けてくれよ」
「他の人も砂埃が入ってくるから開けてないだろ」
「いやいや、開けてるよ。よく見ろよ」
彼らの指差す方向を見ると、前の方の座席で一人だけ窓を開けている乗客がいた。
――あの人だけじゃん!
さらに僕の座席の上に頬杖をつき、頭をのせる部分のすきまから手を伸ばしてくる。手を入れるなと言っても、しばらくするとまた同じことを繰り返す。
――こいつら、どこまで自分勝手なんだ。こういうところが嫌なんだよ、欧米人は。
ユースホステルに泊まっているときも、自分の使った食器や調理器具を洗わずに流しにほったらかしにしているし、夜中遅くまで騒いでいて平気で真夜中に電気をつける。
もちろんそうでない親切でつつましやかなパッカーも多いのだけれど、少なくとも僕は日本人のパッカーでそこまでずうずうしい人間を見たことがない。
――やっぱ、日本人はいいなあ。
彼らの行動にむかつくということは、自分もやっぱり日本人なのだと実感した。生活文化の違いというのは想像以上に大きいもんだ。
ひさしぶりに(たぶんイスタンブール以来)にむかついて、日本語で「いい加減にしろよ!」と怒鳴り、あっちが視線をそらすまで睨みつけてやった。
そのあとはオール無視。窓は締め切ってそのうえにすがり、音楽を聴きながら寝たふりをしていた(というより寝れなかった)。
バスは6時間ほどでタイの国境に到着。珍しくバスで眠れなかったのと欧米人へのストレスですっかり疲れが溜まってしまった。
タイ国境。
残りあと半分。これからの道のりを考えると憂鬱になっていたのだけれど、昼食休憩をはさんでタイに抜けると、そこからは今までの悪路が嘘のような天国のようなバス移動だった。
まずタイのバスに乗り換えたのだけれど、それが冷房完備で座席も広い。
車道は舗装され、道の両側には等間隔で街灯が灯っている。車道も1車線から片側2車線にかわり、まるで高速道路を走っているかのような感じだった。
ベトナム、カンボジアと比べると多少は都市化されていると思っていたけれど、タイは想像をはるかに超えた都市だった。
バンコク市内に入るとさらに驚かされた。東京までとはいかないが、それに近いものがある。高速道路がはしり、巨大なビル群が散在している。町のネオンも今までみてきた東南アジアのそれとは明らかに違っていた。
あまりの驚きに途中からは眠気もさめてバンコクの街を見入ってしまった。
バスがバンコクで有名な安宿街、カオサン通りの前に停まったのは夜中の8時半だった。とりあえず宿のあてはないので、カオサン通りをうろつきながら安宿を探していく。
通りの両サイドには煌々と灯りがともり、いくつもの露店が出て土産物や食いものを売っている。欧米人向けのオシャレなバーやカフェも多く、バドガールみたいな格好をしたおねえちゃんが愛想よくふるまっていた。
宿探しは思いのほか難航した。値段は思ったより高く、なかなか希望額の宿にたどりつけない。年末をカオサンで過ごそうというパッカーが多いせいか、満室の宿もいくつかあった。
5、6軒まわってさすがに疲れていたので、とりあえず少し高くても今日のところは泊ってしまおうかと思ったのだけれど、カオサンの一番奥のほうにあった「7HOLDER GUEST HOUSE」が1泊シングル150バーツ(450円)と安く、そこに泊ることにした。
チェックインをすませ、荷物を置いて外に出る。何はともあれビールが飲みたい。
屋台で焼きそばを頼んで、そのへんに座ってビールを飲むと、疲れがたまっていたのかビール1本でよっぱらってしまった。時計を見ると1時前。通りはまだまだ賑わっていたけれど、今日のところは宿に戻って寝ることにした。
この焼きそばが一皿25バーツ(75円)。
明日からは楽しみにしていたバンコクを存分に堪能するつもり。旅人がバンコクにはまる理由をこの目でしっかりと見極めなければ。
- 友と再会、そしてカオサンでカウントダウン!
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2007.12.31 Monday日本を出発してから346日目
ただいま39カ国目
タイのバンコクにいます
今日は午前9時に起床。10時に通りに出てまずは航空券を探すことにした。
本当は陸路でラオスを通って香港まで戻ろうと思っていたけれど、残念ながら時間がない。無理をすれば行けなくもないだろうけど、いまさら焦るのもいやなのでバンコクにしばらく滞在することにした。
旅行会社をいくつかまわって値段を聞いてみたところ、バンコクから香港までの便は5500バーツ(17000円)くらいが相場らしい。とりあえず、香港から成田の航空券を1月8日でおさえてあるので、それまでに香港に帰らなければならなかったのだけれど、空席があるというので一安心。
値段もそんな高くない。さすがバンコクだ。
バンコクの航空券は安い。旅なれた旅行者のなかには日本から海外に行くときにバンコクを経由し、そこで数日滞在してから別の場所に飛ぶ人がいる。航空券も安く、バンコクも楽しめるのでお得なのだそうだ。
ベトナムでもバンコク発香港行きの航空券を探したのだけれど、安いチケットで3万円くらいした。格安航空券が生まれたのはバンコクという話を聞いたことがあるが、それもうなずけるほどバンコクはチケットが安くて豊富だった。
結局、一番安かったカオサン通りぞいの「MPツアー」で5日のチケットの予約をしておいた。ここの旅行会社は日本人が経営していて、日本語で話せるのでほんとに便利。現地ツアーも色々あって値段も安いのでおすすめです。
チケットを入手したあとは、とりあえず昼食タイム。タイにきたからにはトムヤムクンをと思い、近くの食堂で食っていると、カオサン通りになにやら見覚えのある顔を発見した。
よーく観察してみると、間違いない、ケニアで一緒にサファリツアーに行ったトオルさんだ。
トムヤムクンの残っていたスープを一気に飲み干し、あわててお勘定してあとを追いかける。
トムヤムクン。
「トオルさん?」
「えっ、あっ、なんでここにいるの?」
「いや、なんではこっちですよ。もっと早くバンコクに着いてるはずじゃなかったんですか?」
「いや、そうなんだけど……。ちょっと色々あってね」
話を聞くと、一緒にサファリツアーに参加していたM子ちゃんとあのあと付き合うことになったのだという。予定を変更してしばらく彼女とアフリカをまわり、ここバンコクで待ち合わせをしているのだそうだ。
いや、サファリツアーの頃から何となくいい感じだったけれど、そういうことか。それはそれはおめでたい。旅を始めてそろそろ1年になるけれど、僕にはそんな出会いなかったなあ。。。
トオルさんと一緒にバス停でM子ちゃんを待っていると30分ほどでバスがやってきた。
いたいた、M子ちゃんだ。
M子ちゃんはアフリカからの長距離移動で疲れているのか死にそうな顔をしてバスから降りてきた。こっちには目もくれず、でっかいバックパックを重そうに担いで歩いていく。あわてて呼び止めると、
「あっ、あれっ、なんでー!?」
トオルさんと全く同じ反応だった。
しばらく再会を楽しんだあと今夜はどうするという話になり、せっかくだから夕方待ち合わせて一緒にタイスキを食いにいき、そのあとカウントダウンをしようという話になった。
これはありがたい。一人で年越しするのは寂しいなあと思っていたので願ったり叶ったりだ。
とりあえず2人と別れたあとは、土産物屋をまわり、そのあとタイ式マッサージを体験して(1時間250バーツ、750円)、夕方には3人で合流した。トゥクトゥクに乗って美味いと噂のタイスキ屋に行った。最近はバンコクでも普通のタクシーがふえてトゥクトゥクは減ったというが、風をかんじながら走れるトゥクトゥクはいい。
「タイスキ」とは「タイ風すき焼き」の略らしいが、すき焼きというよりはシャブシャブ。思いっきりシャブシャブだ。好みの具材を選んで鍋の湯に入れ、タレをつけて食っていく。特別驚きはしなかったけれど、味はなかなか。久しぶりにアフリカ話で盛り上がって、今年最後の食事は楽しい時間だった。
これがタイスキ。
飯を食っている時、一番幸せそうな顔をするトオルさん。
満腹になったあとはカオサンに移動してカウントダウン。11時くらいから通りは人で埋め尽くされ、歩くのも困難なほどになってきた。
店の人以外はぜんぶ旅行者。欧米人ばかりであまりタイの正月という雰囲気はなかったけれど、とりあえずこういうときは盛り上がった者勝ちなので乗っておく。通りにはカウントダウン用のステージもできていて、DJがみんなを盛り上げていた。
ステージに掲げてある電光掲示板がカウントダウンの時を刻んでいる。
10分前、5分前、3分前、2分前、1分前……。
さあいよいよと思った1分前、電光掲示板が60秒の数字にかわるかと思いきや、故障して数字が出なくなった。
こんな大事なときに……。
こういうところはさすがタイ。ここが唯一のタイらしいカウントダウンだったかもしれない。いつが年越しの瞬間かわからない通りの連中は2度3度と盛り上がり、時間差で風船を飛ばしたりクラッカーを鳴らしたりしている。
わけのわからぬまま年を越してしまったけれど、僕らもとりあえず抱き合って年越しを喜びあった。去年1年、旅が無事に続けられたことをお祝いして……。
盛り上がりが1段落すると、カオサンの1本裏の通りにはいって、屋台で新年会を開始した。この通りの屋台はカオサンよりもずっといい。品数豊富で値段も安い。お粥だったり麺類だったりが20バーツから30バーツ(60円から90円)で食べられる。
3人いれば、1つずつ頼んで3種類食べられる。ホント、2人と再会できてよかった。言い方を変えれば、アフリカで出会えて良かった。一人だったことを考えると……。
コンビニでビールを買って屋台で乾杯!
「ハッピーニューイヤー!」
日本とは2時間時差があるのでいつもより遅い年越しだけど、実は僕、これまでの年越しはすべて故郷でむかえている。正月は実家に帰る(そう決めておかないと全く帰らなくなってしまうので)、それがついに今年とだえてしまったわけだ。
毎年実家で見ていた暮れの格闘技も紅白も今年は見れない。年明けのニューイヤー駅伝も箱根駅伝も今年は見れない。駅伝のほうはかなり好きなので実家の弟にビデオを撮ってもらうことになっているけれど、オンタイムで見れないのはちょっと寂しい。
でも、今は楽しい。いや、今が楽しい。それでいいではないか。
3時過ぎまで屋台で飲んで、酔っ払って宿に帰り、去年1年の思い出に浸る間もなく熟睡した。
今年もいい年でありますように。
これ、かなり美味かった。
- 元旦からゴーゴーバーへGO!
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2008.01.01 Tuesday日本を出発してから347日目
ただいま39カ国目
タイのバンコクにいます
明けましておめでとうございます。
ずいぶんと遅いご挨拶になってしまった。このブログを書いているのは2月下旬。これまでは何とか追いつこうと頑張ってきたのだけれど、オンタイムでお届けできないもどかしさと、もう少しちゃんと書きたいという葛藤にさいなまれているうちに時間だけが過ぎてしまった。
やっぱり毎日書くっていうのは大変だ。新聞連載をしている作家の人には頭がさがる。仕事といえばそれまでだけど、毎日毎日よくもまああんな精度の文章が書けるもんだ。
でも駄目だなあ。ぜーんぶ中途半端。自分でも嫌になってくる。とりあえず旅の最後までは書ききるつもりだけれど……。
と、新年早々(ではないのだけれど)自己嫌悪な文章から始まってしまった今回のブログ、旅のほうは楽しくやっているのでいましばしのお付き合いを。
というわけで、今日は1月1日。気持ちも新たに残りの旅を楽しもうと思い、新年早々ゴーゴーバーにくりだした。
ゴーゴーバーとはおねえちゃんがステージの上で踊っていて、指名して一緒にお酒を飲めるところ。そして、そのおねえちゃんとそのあと遊べるところ。というところまでは知っている。
が、そこまで。バンコク初心者の僕にはどこにそのお店があって、そこでどうすればいいか全くわかっていない。
でも、せっかくバンコクに来たんだからゴーゴーバーには行ってみたい。最近はゴーゴーバーも観光名所みたいになっていて、女性やカップルも足を伸ばすらしい。いわばバンコクの代名詞みたいな場所だ。
どうしようかと悩んでいたのだけれど、ちょうどいい助っ人を見つけてしまった。昨日再会したトオルさんだ。
彼はその手のお店には通じているらしく、今回はM子ちゃんと一緒なのでどうかと思っていたのだけれど、彼女も寛大で、
「行こう行こう、私も行ってみたい!」
とノリノリだった。これで万事解決。新年早々ゴーゴーバーというのも勢いがあるみたいでいいではないか。
夕方昨日と同じように待ち合わせをして3人で屋台へ。今日は昨日以上にいろいろ食べた。お粥、ヌードル、鍋、炒め物、焼きそば、クレープ……。
屋台を何軒もハシゴして食べ歩いたのだけれど、驚いたことにトオルさんが本当によく食べる。今まで見た大ぐらいのなかでもトップレベルだ。気がつけばどこからか食い物を買ってきて頬張っている。でも、彼がいてくれるおかげでいろいろな物が食えていい。屋台のメシが美味いバンコクでは特にいい。
M子ちゃんの頭にあるのは猫の耳です(断固として鬼の角ではありません)。
こんなのや、
こんなのも食ってみました。
腹ごしらえがすんだところで、いよいよゴーゴーバーへ。ゴーゴーバーは3箇所くらい有名な場所があるらしいけれど、そのなかでも一番賑わっているパッポンという場所がおすすめらしい。僕は何もわからないので、言われるままそこに行ってみることにした。
移動はもちろん今日もトゥクトゥクだ。
パッポンは日本の歌舞伎町を思わせるようなネオンに包まれた繁華街だった。歌舞伎町と違うのは、道幅がそれより狭く、その通路に土産物や日用品の屋台が並んでいることだろう。そのぶん雑踏感があり、無数にあるゴーゴーバーから流れてくる音楽がさらに町を賑やかにしてくれている。
とりあえずいろいろ見てみようということで、声をかけられた店をのぞきながら値段と女の子を観察していった。
途中で強引な客引きにつかまって、いろいろな店に連れて行かされた。全部で5、6軒まわったのだけれど、それがいかがわしげな店ばかりだった。
ある店は2階の奥まった場所にあり、薄暗い照明のあやしい店だった。
ピンポンができるというので何かと思えば、女の子が素っ裸になってアソコにピンポン玉を入れ、それを発射して客が打ち返すという実にくだらない企画だった。
ここまで露骨に裸を見せられるとさすがに萎えてしまう。くだらなすぎてちょっとウケたけれど……。
そういうお店はちょっと様子を見て、早々に退散。座ってオーダーするといくらボったくられるかわからないのでやめたほうがいいとトオルさんが教えてくれた。
さすがこの道のプロ。頼りになる。(こんなこと書いていいのだろうか……)
結局、パッポンのなかでも人気のある「キングス」というゴーゴーバーに入ってみることにした。
店の中に入ると、中央のステージでレオタード姿の女の子が10人くらい踊っていた。身体にはナンバープレートが貼り付けてある。これを見て客が指名するのだろう。曲が終わるたびに何人かの女の子が入れ替わり、そのなかには指名されてお客さんのもとにいく女の子もいる。
みんなスタイルがよく、なかなかの美形だ。タイの娘は本当に綺麗だ。日本人の男性がこぞってバンコクに行き、現地人女性と遊びたがるのも分かる気がする。実際にこの店にも日本人男性のお客はたくさん混じっていた。
ただ、この中には結構な数の男性も混じっているという。タイは同性愛者が多く、その多くが手術済み。つまり、見た目も身体も女性と一緒なのだ。僕らがふつうにイメージしているオカマとは違って、みんな女性と変わらないかそれ以上に綺麗なので全く見分けがつかないらしい。
旅中に知り合ったT君はタイで女を買ったところ実は男で、裸にしたらモノがついていたらしい。「どうしたものかと思ったけれど、すでにお金を払っていたし、勢いでやっちゃいました」。衝撃のカミングアウト。ここでは彼の名誉のため、タイの男はそれほど美しいということにしておこう。
ゴーゴーバーの料金はというと、飲み物代のみ。ビール1本がだいたい100バーツ(300円)くらいなので、1本だけ頼んで見ているぶんには100バーツで済む。時間は無制限、いつまででもいれる。
女の子をよこにつけると女の子の飲み物代もこちらがもたなければならないのだけれど、結局のところ、女の子を買わなければたいしてお金はかからないらしい。
女の子の料金はまちまちで、相場は2000バーツくらいだそうだが、お店にも500バーツくらい払わなければいけないみたいで、自分と女の子の飲み物代も含めると合計で3000バーツ(9000円)近く必要になるようだ。
日本とくらべれば安いけど、でも結構いい値段だ。(旅人にすればかもしれないけれど)
店内の雰囲気は嫌いではなかった。女の子を見ているだけでも面白い。でも、確かにみんな綺麗だけれど、綺麗すぎて僕にはちょっと敷居が高かった。
僕の好みは花屋で売っているバラの花ではなく、道端に咲いているタンポポなので……。(そんなことどうでもいいか)
途中、一人の女の子を指名した。メガネをかけた健康的な子で、彼女だけレオタードを着ておらず、私服のまま楽しそうに踊っていた。3人の間に座ってもらって話を聞いたのだけれど、彼女は数年前に日本に住んでいたらしい。
東京でマッサージの仕事をしていたらしく、そこで知り合った日本人男性と結婚したのだけれど、1年ほどで別れたという。なるほど日本語も流暢だった。
普通に見ても日本人とあまりかわらない。タイの女の子も日本人の男性は優しいので好きという子が多いと聞くが、日本人の男性もこの手の女の子が好きなのだろう。
彼女に別の指名がかかったところで、もうゴーゴーバーはいいかと思い店を出ることにした。かかった金額はというと、女の子の飲み物代をいれて240バーツ(750円)。飲み物代もそれほど高いというわけではないので、結局ゴーゴーバーは売春目的のお店なのだろう。
でも、ゴーゴーバーに行けたのはよかった。ゴーゴーバー自体の雰囲気も面白かったし、パッポンの町の雰囲気も楽しかった。ここには夜の遊びがつまっている。セックスバーがあったりボクシングバーがあったり、くだらないピンポンバーなんてのもあったりする。
もちろんお洒落な飲み屋も多いし、近くにタニヤという日本人町もあって歩いていると日本の銀座と錯覚してしまいそうになる。
ガイド役をつとめてくれたトオルさん、ありがとう。ついてきてくれたM子ちゃん、ありがとう。でも、今度は男数人で酒を飲みながらこのあたりの店をハシゴしてみたいな。東京の歌舞伎町を練り歩くように……。
女性の方も風俗に興味のない方もバンコクに来たなら一度ゴーゴーバーに行ってみてはどうですか。タイの文化の一端が垣間見れますよ。
(本当にやってないのかと勘ぐる人がいるかもしれませんが、誓って買ってません。ここでムキになって否定する必要はないのだけれど)
※ゴーゴーバーは写真撮影禁止のため残念ながら写真なしです。それ以外の町の写真は……すみません、撮るのを忘れてました。
タニヤは日本語の看板だらけ。
- タイに来たからにはムエタイ観戦!
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2008.01.02 Wednesday日本を出発してから348日目
ただいま39カ国目
タイのバンコクにいます
1月2日。この日は毎年、日本で箱根駅伝を見ていたのだけれど、今年はついにオンタイムで見ることができなかった。
僕は本当に箱根駅伝が好きで、毎年、関東インカレ、日本インカレをチェックし、出雲駅伝、全日本大学駅伝の結果から区間配置を考え、「箱根駅伝公式ガイドブック」を購入して、本戦はビデオまで撮って繰り返し見ている。
今年はいったいどこの大学が往路を制したのだろう。今井の抜けた順天堂は戦力補強に成功したのか、山梨学院のモグスは2区の区間記録をぬりかえるのか、佐藤・伊達の2枚看板をようする東海大は彼らをどの区間に配置するのか。見所満載でかなり気になる。帰ってビデオを見るのが楽しみだ。
そういえば、ボリビアのウユニを一緒にまわったパッカーで異常にスポーツに詳しいMさんという女性がいた。彼女はスポーツのなかでも特に陸上長距離が好きで、去年は中国の昆明まで行って日本女子長距離選手の高地トレーニングを見学したという。
すごい力のはいりようだ。きっと今日はテレビにくぎづけになっていただろう。いや、彼女のことだから沿道に応援にいっているかもしれない。帰国したら酒を飲みながら箱根談義に花を咲かせたいところだ。
駅伝ランナーが頑張っているのに、自分だけバンコクでのんびりしているわけにはいかないだろう。そう思って、今日は夕方からムエタイを見にいってきた。
タイといえばムエタイ。スポーツは好きなのでムエタイがどういうものか少しは知っているが、実際にこの目で見るのはこれが初めて。バンコクには有名なムエタイのスタジアムが2つあるらしいが、今回はそのうちのひとつ、「Rajadamnern Stadium」(ラジャダムナンスタジアム)に行ってみることにした。
ムエタイはもともと素手で相手を倒す軍用格闘技として生まれたらしく、400年以上の歴史をもっている。攻撃はパンチ、蹴り、膝蹴り、肘打ちなどが認められていて、日本で行われているK−1などとくらべてもルール規制の少ない危険な格闘技だ。
ムエタイの「ムエ」とは格闘技という意味で、「タイの格闘技」ということで日本人は「ムエタイ」と呼んでいるようだが、現地人はムエタイとは言わずに、「ムエ」とか「ムワイ」とか呼んでいる。
スタジアムまではカオサンからトゥクトゥクで10分ほど。チケットは3種類あって、前のほうの席から2000バーツ(6000円)、1500バーツ(4500円)、1000バーツ(3000円)となっている。
はっきりいってこの値段は高い。現地人は現地人料金で入っているけれど、外国人からはたんまり取ろうというわけだ。
それでもせっかくなので前の方で見てもいいかなと思ったのだけれど、トオルさんに話を聞くと「前より後ろのほうが面白いよ」と言っていたので、今回は1000バーツの席で見ることにした。
会場のキャパや雰囲気は後楽園ホールに似た感じだろうか。完全に円形のスタジアムで椅子席ではなくコンクリートの段になっている。正面スタンドを中心に客が入っていたが、試合開始の18時ちょうどくらいに会場入りしたときは、ほとんど客はいなかった。
渡されたプログラムを見ると、全部で10試合組まれていたのだけれど、初めに行われた試合はムエタイではなくボクシングだった。
あまり盛り上がりもないままに2試合が終わり、ムエタイはいつ始まるのかと思っていたら、ようやくそれらしい音楽が流れてきた。コスチュームに身をつつんだ選手が赤コーナー、青コーナーから入場してくる。
音楽に合わせて入場してきた選手は頭にモンコンという輪っかをはめ、上腕にはパープラチアットという紐を結んでいる。手にはグローブ、ムエタイパンツをはいて、足は素足だ。無駄な肉はまったくなく、鍛え上げられた肉体をしている。
リング上にあがるとお決まりの踊りが始まる。この踊りはワイクルーといい、今までお世話になった人や神様に捧げるお祈りらしいが、腕を顔の前でまわしながら両膝を交互にあげてリングのまわりを周回し、そのあとリング中央に片膝をついてさらにお祈りをする。これが3分から5分くらいつづく。
リング上の選手が音楽の流れるなかお祈りしているのを見ていると、
おおっ、これぞムエタイ!
という感じでうれしくなってきた。
お祈りが終わるといよいよ試合が始まった。体重が50キロもない少年2人がリング上で向かい合い、最初のうちは様子うかがい。互いにけん制しながら前蹴りをいれていく。
しばらくすると首相撲の形になって、互いのリバーに膝蹴りをたたきこんでいく。
試合は3分5ラウンド制でインターバルは2分。KOかポイント制で勝敗が決まるらしいのだが、ポイントについては見ていてもあまりよくわからなかった。
ラウンドが進むにつれて打撃は勢いをましてくる。最後のほうは喧嘩みたいになって、お互いもみあいながら倒れることが多くなった。
にしても、ラウンド終盤になってもいっこうに手数が減らない。いい加減疲れているだろうに、果敢に相手に向かっていく。よっぽど鍛えられているのだろう。
結局この試合はポイント判定で勝負が決した。
つづいて第二試合、第三試合とつづくにつれて選手のレベルも上がっていった。会場の観客も増え、スタジアム全体が熱気をおびてくる。
KOで決まる試合は少なく、あまり格闘技に興味のない人は物足りなく感じるかもしれないけれど、これはこれで面白い。いくらやられていても最後まで選手が頑張って反撃しようとするので、応援したくなってしまう。
日本の素人格闘家がたいした訓練もしないでリングにあがり、大金を払ってチケット入手した観客にしょっぱい泥仕合を見せていることを考えればよっぽどマシだ。
試合も第四試合、第五試合くらいになると、僕のいる後部シートのほうがより熱気を帯びてきた。というのは、タイのムエタイでは観客が試合の勝敗をめぐってギャンブルをしているからだ。
普通のかっこうをしたオッサンが試合の中盤くらいから、片手を上にあげてその手首を振りながらタイ語で観客をあおりたてている。こういう輩が何人もいる。それに呼応する賭け手。全部身振りと口答で取引が行われているので、どうやって賭けているか全くわからないが、みな予想紙を手にし(競馬新聞みたいなもの)、試合よりも賭けで盛り上がっているかんじだった。
その盛り上がりにはタイらしさ、タイ臭さが感じられて面白かった。選手が一つ蹴りを入れるたびに、その選手に張った観客から掛け声がかかる。ドーム型のスタジアムは熱気でムンムンとなり、歓声が会場いっぱいにこだまする。トオルさんが「前より後ろのほうが面白いよ」と言っていたのはこのことなんだろう。
このあたりの席が一番盛り上がっていた。
手をあげているのが胴元。
僕も賭けに参加してみたかったのだけれど、あいにくタイ語はまったくわからない。掛け金も見ていると1000バーツ札(3000円)が飛び交っていたので、結構でかい金額で行われているようだ。
知っている人と一緒にこないと賭けに参加するのは難しいだろう。
試合結果は試合の途中でもポイント差でわかるらしい。接戦のときは試合の最後まで盛り上がっているが、一方的な試合では選手はまだ闘っているというのに途中でお金の受け渡しが始まってしまう。今まで立ちあがって試合を見ていた観客も、みな座りこんだりトイレにいっていなくなってしまう。
これもタイの文化なのかもしれないが、これでは選手がかわいそうだと思った。
しだいにテンションがあがっていき、1番盛り上がったのは第七試合だった。
選手のレベルもあがってきて、パチンパチンという鋭い蹴りの音が僕らの席まで聞こえてくる。一打一打に観衆の掛け声が飛び、轟音となってスタジアム中に響いていた。かなりの金額が選手に張られているようだ。
にしても、ムエタイ選手はすごい。KOこそ少ないものの、そのタフさには感心してしまう。タイのボクサーがKO負けが少ないというのもうなずける。(亀田の相手は違うけど)
が、第七試合が終わったと同時に、多くの観客が席を立ってしまった。たしかまだプログラムでは3試合残っているはずなのに。
たぶん、第七試合が今日のメインだったんだろう。競馬でいう11レースのようなものかもしれない。残りの試合でも賭けは行われているようだったが、ごく少数。リングサイドで賭けに参加していない人はほとんど残っていたが観客は半分以下に減り、会場のボルテージはすかっり下がってしまった。
僕も第九試合の途中でスタジアムをあとにした。18時に始まった試合もすでに22時半。23時からは今日でお別れになるトオルさんとM子ちゃんと晩飯を食うことになっていたからだ。
タイのムエタイにとって、賭けはなくてはならないものなのだろう。賭けを中心にまわっているので金も動き、会場に足を運ぶ観客も増える。八百長試合も多いと聞くが、それとは別にムエタイ選手のポテンシャルは高いと思った。
今日はどちらかというと賭けをする会場の雰囲気を味わったかんじだったけれど、またムエタイに来る機会があれば、今度はリングサイドで見てみたい。間近でバチンバチンやる選手の攻防を楽しんでみたいからだ。
晩飯は今日もカオサンの一本裏通りの屋台にいって現地料理を堪能した。すでに夕飯はすませたというのにトオルさんは本当によく食べていた。
彼ら2人は明日からカンボジアに向かうそうだ。ケニアで出会い、タイで再会。次はどこで会うのだろうか。日本で偶然ばったりというのはほぼありえないので、会うとしたらまた海外だろう。
次に会うとき、2人がまだ一緒かどうかはわからないけれど、とりあえず身体には気をつけて。無事に日本に帰国できることを願っています。
ボンボヤージュ!
屋台のスルメはローラーでのばして売っていた。
- 日帰りでアユタヤへ
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2008.01.03 Thursday日本を出発してから349日目
ただいま39カ国目
タイのアユタヤにいます
今日は日帰りツアーでアユタヤに行ってきた。
ツアーは宿についているオフィスでとったのだけれど、宿までの送迎と昼食、遺跡の入場料も全部ついて500バーツ(1350円)は安い(MPツアーだと450バーツ)。
朝7時半にカオサンを出発し、ワゴンに乗ってアユタヤへ向かう。今回はたまたま同じワゴンに乗り合わせた日本人がひとりいた。S君だ。
S君は東京で働いていて、正月休暇に有給をひっつけて2週間の旅を楽しんでいるという。今回は東南アジアを高速でまわっているそうだが、将来的には世界一周をもくろんでいるらしく、一緒に旅の話で盛り上がった。
そういえば、僕も旅に出る4ヶ月前にベトナムのホーチミンで世界一周をしている日本人バックパッカーと出会った。でっかいバックパックをしょい、地図一枚で行き先も決めずにルートを考えている彼を見てかっこいいなと思ったことは鮮明に覚えている。
僕も少しは彼に影響を与えられたかなあ。悪い影響を与えてないか心配ではあるけれど……。
アユタヤには1時間半ほどで着いた。アユタヤは14世紀中頃に創設されたアユタヤ王朝の都で、約400年の歴史があるという。数多くの仏塔、寺院が散在していているが、1767年にビルマの攻撃を受けて敗北。略奪、破壊を繰り返され、壊滅的な打撃をうけて滅んだらしい。
今回のツアーではそのなかの主だったものをつまみ食いする形で6箇所くらいあわただしく回っていったのだけれど、遺跡につくと集合時間だけ決めてあとは勝手にまわれたので気楽でよかった。ツアー参加者と一緒に説明を聞きながらまわるのは疲れるので。
でっかい仏像や無数に立ち並ぶ仏塔、日本とは違う仏教作法など興味深いものも多く、見ていて飽きることはなかったが、とても一つ一つ書ききれないというわけで、今回も写真を中心に見ていってもらおう。
まずは「ワット・チャイワッタナラーム」から。
この仏塔の造りは初めてみるもので新鮮だった。
仏像の頭はすべて破壊されていた。
他の仏塔に登って撮影。
向こうに見える2体の仏像の頭は修復されたもの。
続いて「ワット・ロカヤスタ」へ。
でっかい仏像が寝てた。
ジャイアント馬場の32文ロケット砲も真っ青です。
お次は「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」。
日本の焼香みたいなもの。油を容器に入れていく。
タイでは仏像に金箔を貼る作法があるらしい。
つづいて……???。すいません、場所の名前忘れてしまいました。
焼香する参拝者。
僕も参拝グッズを購入。ハスの花、ロウソク、線香2本、金箔(紙の間に5枚くらいはさんである)がセットでした。
千手観音。(桜木花道のフンフンフンディフェンスを思い出してしまった)
ここで昼食タイム。チャオプラヤ川の川べりのレストランで豪華ランチ。
トムヤムクン。
タイ式オムレツ。
チャオプラヤ川。
午後の部スタート。まずは「ワット・プラ・マハタート」。
木の根っこのなかに仏像が……。なぜ!?
このへんの造りは面白いなあ。
この状態でよく残っていると思う。
最後のポイント「ワット・プラ・シー・サンペット」へ
遺跡めぐりを終えたのは午後4時くらい、夕方5時半にはカオサンに帰ってきた。
アユタヤ遺跡はなかなか面白かったが、もったいないのは先にアンコールワットに行っていたことだった。あっちのインパクトが強すぎて、こちらの驚きが半減してしまったことは否めない。旅のルートの決め方はこういうところにも影響してくるのだなと勉強になった。
カオサンに戻るとS君と一緒に屋台で乾杯した。
彼にはぜひとも世界一周にチャレンジしてほしい。本人の気持ちしだいではあるけれど、世界一周を一度志した人間はやらないと絶対に後で後悔すると思う。逆にやって後悔することはたぶんないはずだ。
それだけ異国をまわることは素晴らしいことだと思う。
- 再会の町バンコクで“ポイ”に挑戦!
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2008.01.04 Friday日本を出発してから350日目
ただいま39カ国目
タイのバンコクにいます
ここバンコクのカオサンという場所は旅人の聖地と言われている。たしかに居心地のすごくいい場所で、それを納得させられる再会がここ数日でいくつもあった。
まず、年越しカウントダウンを一緒にやったトオルさんとM子ちゃんはケニアのサファリ以来の偶然の再会。次にカオサンの寺裏の路上でばったり再会したSさんはブルガリアのソフィア以来。さらにホーチミンで会ったN君とは僕の宿の前でばったり鉢合わせ、シュムリアップでたまたま同じ宿だったK君とはバンコクでもたまたま同じ宿だった。
みんな年越しはカオサンでと思って集まってきたのだろうか。まったく待ち合わせもしていなかったのにこれだけの再会があるとは驚きだ。
今日は夕方からさらに2人の日本人パッカーと再会することになった。香港の日本人宿で一緒だったY君とTちゃんだ。
彼らとは偶然というわけではなく、同じ時期にバンコクにいそうだから会えたら会おうと連絡を取り合っていて、ちょうど今日時間が合ったので一緒にメシでも食おうということになったのだ。
夕方6時にバーガーキングの前で待ち合わせする。1ヶ月ぶりに会った2人は真っ黒に日焼けして別人のようになっていた。Tちゃんなんていつのまにか編みこみまでくっつけていた。
というわけで今日もカオサンの裏通りの屋台をまわる。何軒も屋台を移動して腹を満たすと、時間は9時半になっていた。
まだ早いからもう少し飲もうということになり(もうけっこう飲んでいたけど)、バケツカクテルを頼んで3人でチューチューやっていたのだけれど、話を聞くとTちゃんはジャグリングのポイができるという。
ポイとはハンガリーでお世話になったM君もやっていたいわゆる「大道芸」で、玉のついた紐を両手でひとつずつ持って、それをいろいろなバリエーションでまわしていく。
酔っ払った勢いでTちゃんに、「やってやって!」と煽ると、彼氏のY君も「これでお金かせいでよ!」と煽り立てる。さんざん2人でお願いすると、Tちゃんもようやくその気になったようだ。
宿に戻ってポイを持ってくると、通行人を気にしながらもポイを披露してくれた。
電気仕掛けで色の変わるすぐれもののポイは夜中の路上でやると映える。僕とY君も挑戦してみたけれど、これがなかなか難しくて、気を抜くと漫画の1コマのように頭にボールが当たったり、紐がからみついたりする。
Tちゃんは自分では「まだまだ」と言っているけど、酔っているとは思えないほど上手く玉をまわしていた。ポイをもったときから顔つきがかわるのはさすがだ。
ポイは本当に単純な道具なのにいろんな技のバリエーションがあって、見ていて飽きない。Tちゃんくらい上手くまわせたら面白いだろうなと思う。
Tちゃんのポイ。
Y君も挑戦!
僕も挑戦!
まわりで飲んでいた欧米人も最初は面白そうに見ていたけれど、途中からは地元のガキんちょが集まってきて、ポイを興味深そうに眺めていた。あんまりやりたそうなのでやらせてやると、楽しそうにボールをまわしはじめた。
Tちゃんのポイを真剣に見るガキんちょ。
ノリノリのガキんちょ。
この子は上手かった。顔も可愛いくて将来有望。
この子は下手くそだった。
ポイに飽きると、今度は2人の女の子が僕をからかってきた。こういうガキんちょを相手にするのは慣れているので、追いかけっこをしたりして2時間近くも一緒に遊んでしまった。
酒を飲みながら走り回っていたので、途中からはヘロヘロ。びっしょり汗をかくほどかけずりまわって、最後のカオサンの夜を堪能した。
最後はカオサン通りに移動してポイを披露。疲れ果てて2人とは深夜1時過ぎに別れた。バンコクに来て今日で6日目。明日には香港に飛んでしまう。
観光はアユタヤしかいっていないけど、飽きることのない6日間だった。昼間から酒を飲み、夜中遅くまで酒を飲む。食い物は美味いし安い。タイ式マッサージもなかなかよかった。バンコクは僕にぴったりの町かもしれない。たぶんこの地にはこれからも何度となく来るだろう。
夜の遊びもほとんど味わっていないしね。
朝飯に食った煮込んだ肉かけご飯。カオサン裏の通りの端っこの屋台で売っていたのだけれど、めちゃくちゃ美味い。カオサンに来た方は是非!