- ぺトラ遺跡へ
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2007.08.09 Thursday日本を出発してから202日目
ただいま14カ国目
ヨルダンのぺトラにいます
今日は朝から移動。アカバからバスでぺトラに行き、今日のうちにぺトラ遺跡を見てまわるというのが目的だ。
「ヨルダンで有名なもの」。こう聞かれればぺトラ遺跡と答える人が多いらしい。残念ながら遺跡オンチの僕にはその名前すら確かではなかった。
旅の最初のほうなら、「それなら」という感じで喜び勇んで行った遺跡だろう。
でも、最近の僕はちがう。はっきり言って、「遺跡疲れ」をしている。
カイロのピラミッド、ルクソールのカルナック神殿、王家の谷、ハプスブルク王妃葬祭殿、アスワンのイシス神殿にアブシンベル神殿。エジプトでは遺跡の連続だった。
ダハブで休養をとったものの、逆に休みボケしてしまって、よく知りもしなかった遺跡を見に行くことがおっくうになってしまったのだ。
アカバからぺトラによらず、そのままアンマンに行こうかな。そう考えていたのだけれど、ダハブを一緒に出たS君はぺトラに行くという。
一人で行くのはだるいけど、気の知れた旅友がいるなら行ってみようか。そう考えて行くことを決めたのだ。
ぺトラに着くととりあえず宿をさがし、部屋に荷物を置くと、すぐにぺトラ遺跡に向かった。
入場料21ディナール(3570円)。高い。この値段は事前に知ってはいたのだけれど、財布から金を出してみると改めて高い。
入場口を入り、しばらく行くと岩山が目の前に聳え立っていた。それが真ん中で二つに分かれ、それが道となってずいぶん先の方までつづいている。
ここはかなりよかった。
ぺトラ遺跡自体に最初からあまり期待していなかったこともあるが、正直、ここには驚かされた。このような場所は他で見たことがない。これだけで、ぺトラに来てよかったなと思った。高い入場料を払っていたので、思えたことが良かったなと思った。
岩壁の隙間を歩くこと20分。その隙間の間から、でかい神殿が現れた。この隙間から見た神殿がまたいい。隙間を出るとそこからは広い敷地になるのだけれど、出てから見た神殿はそれほどでもない。隙間からのぞく神殿が神秘的であり、幻想的なのだ。
そこから先も、岩山のいたるところに穴が空いていて旧住居のようになっていたり、岩山のなかに神殿がめりこんでいたりと、見るべきポイントはいくつかあったのだけれど、最初の岩壁の隙間のシークという道が一番インパクトがあった。
一緒に行動していたアメリカ人のジョセが行動的で、一番遠い遺跡まで行こうというので、半ばいやいや、ほとんどトレッキングのような山道を往復3時間かけて歩いたけれど、暑さと斜度のきつさでバテバテだった。
同じく行動をともにしたS君の極端なまでのバテようには正直ひいたけれど……。
- アンマンへサーメルに会いに行く
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2007.08.10 Friday日本を出発してから203日目
ただいま14カ国目
ヨルダンのアンマンにいます
昨日ぺトラに着いてすぐに遺跡を見ると、今日の早朝には早くもアンマン行きのバスに乗って移動した。
エジプトですっかりのんびり癖がついていたので、この移動は結構おっくうではあったけれど、しっかり休んだぶん、ここは早回しでまわっていくことにしよう。
アンマンにつくと、まずは「クリフホテル」を探すことにした。クリフホテルは有名な日本人宿なのだけれど、なぜそこまで有名なのか? それはそこにサーメルという有名な現地人スタッフがいるかららしい。
サーメルについての詳しい情報もあまりなかったのだけれど、とりあえず、「行ってみればわかる。サーメルはすごくいい人だから」という旅仲間の情報を信じてその宿に向かうことにしたのだ。
宿を探し入ってみると、団らん室の壁に貼り紙がしてあった。
「サーメル移籍。KODAホテルへ」
貼り紙にはKODAホテルの地図が書いてあり、どうやらすでにそのホテルに移籍したらしい。
サーメルという人物に会わないと意味がないので、その地図をたよりにKODAホテルを探したのだが、暑い中近くの現地人に場所を聞きながら1時間探しても見つからない。
仕方なくもう一度クリフホテルに戻ったのだが、ホテルの入り口にいた男性が僕とS君を親切に宿に迎えてくれた。
その対応があまりにも親切なので、ひょっとしたらと思い聞いてみた。
「What is your name?」
「Samer(サーメル)」
サ、サーメル! 鼻ひげを生やし、眼鏡をかけ、帽子をかぶっている細身の男性。彼こそがサーメルだった。
「サーメル、今僕らはあなたを探して町を歩いていたんだよ」
「おー、ごめんなさい」
移籍したかと思っていたのは貼り紙の説明の不十分さと、こちらの早合点が原因だった。
サーメルは9月いっぱいでこの宿をやめ、ここから歩いて3分の近くの宿に移籍するらしい。情報ノートによると、これまでサーメルはクリフホテルで14年間働いていたのだが、オーナーがかなり嫌な人物で、サーメルをこき使ってばかりいるという。
なんとか自分で自由に運営できる日本人宿を作りたい。月2万円という安月給で働いているので、オーナーになるのは無理だけれど、今度雇われる宿では自分が中心の運営をしていけるらしいのだ。
部屋に入り、団らん室でくつろいでいると、サーメルが一緒にメシを食いにいかないかと誘ってくれた。
せっかくなので近くの食堂に行き、現地料理を食べていると、サーメルが支払いを済ませてきてくれた。
「いくらだった?」
「いや、いいいい、大丈夫」
「いや、待ってよ、そういうわけにはいかないよ」
「ほんと、大丈夫だから」
適当にお金を渡そうとしても、断固として受け取ろうとしない。金額をきいても教えてくれない。
宿に戻るとネスカフェを入れてくれた。どうもこのネスカフェもサーメルが自分で買って宿泊者にふるまっているらしい。
サーメルはいい人と聞いていたけど、宿にきてさっそく、そのいい人ぶりに触れてしまった。
旅友達が勧めてくるのもわかる。こんな宿の管理人、見たことがない。昼飯をごちそうになったぶんは、滞在中に何かで返そう。S君と相談して、なんとかサーメルに喜んでもらえる手立てを考えることにした。
サーメルについてはまだ色々書きたいので、明日のブログで。元編集者としては、彼で1冊本が作りたい、そう思わせるほどサーメルはすばらしい人物です。
今日の夕食。「イラキ食堂」
- 中東一いい人、サーメル
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2007.08.11 Saturday日本を出発してから204日目
ただいま14カ国目
ヨルダンのアンマンにいます
クリフホテル2日目。予定では明日、イスラエル入国に挑戦する。入国できるかどうかは国境でパスポートにスタンプを押されるかどうかにかかってくる。ここにスタンプを押されてしまっては、次に滞在予定のシリアに入国できなくなってしまうからだ。
とりあえず、今日はその情報収集と短期移動の疲れを癒すべく宿でのんびりすることにした。
というわけで、今日のブログもクリフホテルのスタッフ、サーメルについて書くことにしよう。
サーメルは現在34歳。パレスチナ人で身寄りはない。日本人が本当に好きで、食事をごちそうしたり、死海のおみやげ物売り場に連れて行ってくれたり、ネスカフェをいれてくれたりする。すべてサーメルの好意。
その食事代、タクシー代、ネスカフェ代などは全部サーメルが出してくれるのだが、いくら宿泊客が自分で払おうとしても決して受け取ろうとしない。
給料は日本円で月に約2万円。ヨルダンの物価を考えても、決して裕福ではなく、1年365日休みなしで働いている。みんなが寝静まったあとに団らん室のソファをベッドにして眠るので毎日の睡眠時間も短いのだが、いくら遅くまで話し込んでいても、それをやめさせようとすることはない。
宿にはサーメルへの恩返しとして、旅人がいろいろな形で感謝の気持ちをあらわしている。
まず、「サーメルノート」。これはサーメルが今まで出会った日本人のことを思い返せるように作られたもので、旅人が自分の写真を貼って、サーメルへメッセージを書いていくノートだ。このノートを見ると、みな一様にサーメルに感謝の言葉を残していた。日本人だけでなく、韓国人、欧米人のコメントも書かれており、僕がこの旅であった旅仲間の顔も多く見られた。
次に「サーメルボックス」。これは頑なにお金をもらうことを拒むサーメルのために設置されたボックスで、旅人が感謝の気持ちで現金を入れていくボックスだ。これをもらうことも最初は頑として断り続けたサーメルだったが、長時間の説得のすえになんとか受け取ってもらえるようになったという。
情報ノートにはサーメルがオーナーにどやされている話や、困っている内容の文章がいたるところにあり、何とかサーメルに迷惑をかけないように、宿泊客みんなが気を付けているようすがわかる。
みな短期の滞在期間にもかかわらず、サーメルにお世話になり、彼にみせられているのがわかる。それだけサーメルは「いい人」なのだ。
そして、ここで書いておかなければならない重要な過去の出来事がある。2004年にイラクで拉致され殺害された幸田証生さんが最後に訪れた宿、それがこの「クリフホテル」なのだ。(「サーメルノート」には彼の写真も貼られており、彼が寝たベッドも今でもそのまま使われている)
彼は滞在期間は短かったものの、イラクの子供たちを救いたい、この目でその現状を見てきたいという断固たる決意のもとでこの地をたったという。そのときにルートを聞かれ、教えてあげたのがサーメルだったらしい。
当時は日本からの報道陣も多数クリフホテルを訪れ、イラクで人質になっている幸田さんの映像をクリフホテルでサーメルとともに見守ったという。当然サーメルは報道陣からの質問攻めにあったらしく、サーメルはそのことを今でも本当に気にしているらしい。
昨日、食事の前に次に移動するホテルを案内してくれたのだけれど、その宿名「マンスールホテル」の下に「―KODA HOTEL―」と入れるんだと、嬉しそうな顔で話してくれた。そこまでサーメルは幸田さんのことを気にしているのだ。
今クリフホテルに来ている旅人のYさんが「KODA HOTEL」のミクシィを立ち上げ、サーメルのために次の宿の名刺を注文して作っているという。これは僕らもサーメルの次の宿が成功するよう何か力になりたい。
S君と考え、それならとサーメルの写真入りで10月1日からオープンする「KODA HOTEL」の宿紹介のチラシを作ることにした。
これを中東、アフリカ、欧州、アジアを中心とした日本人宿の情報ノートに貼り付けていく。サーメルは移籍先の宿に日本人が来てくれることを心から願っている。
旅人の情報網、口コミによる宣伝は想像以上に効果がある。これで少しでも新しい宿に日本人が流れてくれればサーメルもよろこんでくれるだろう。
明日イスラエルに行き、また数日後にはクリフホテルに戻ってくる。S君と相談し、そのときにこのチラシを作ろうと約束した。
- 5リットルバックパッカー
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2007.08.16 Thursday日本を出発してから209日目
ただいま15カ国目
ヨルダンのアンマンにいます
今日はエルサレムからレバンノのアンマンに戻る。ここでもパスポートはノースタンプでなくてはならないのだけれど、入国の時と比べると比較的楽に突破できるらしい。
案の定、ボーダーが混みあったほかは順調に進み、昼すぎにはクリフホテルに到着した。
サーメルが温かく出迎えてくれた。この顔を見ると安らぐ。カイロのサファリホテルの従業員、アブドといい勝負だ。
話はそれるが、もし僕が日本人宿を経営するとしたら、まず、アブドとサーメルを引き抜く。そしたら絶対間違いなしだ。
宿の設備、清潔さより、一番大事なのは宿の管理人。そんなに宿泊費が高くなければ、きっとお客は口コミで集まるはずだ。この2人、全然性格は違うけれど、絶対に人気日本人宿にしてくれるだろう。
宿に戻ってローマ劇場、オデオンを軽く観光したあと、古着屋で170円のTシャツを2枚購入。町をふらふら歩いて宿に戻った。
ローマ劇場
オデオン
砂で絵をかいてるおっさん。
宿に帰ってからは酒を飲みながらみんなで遅くまで話していた。
そのなかで一人、面白い日本人パッカーがいた。名前はチカラ君。旅行期間は1ヶ月ほどなのだが、なんとバックパックの容量が5リットルしかない。これ、普通のデイバックよりも小さいサイズだ。
最初はバカにしているのかと思ったけれど、どうやら本当にそれで旅を続けているらしい。1ヶ月でも1年でも必要なものはさして変わらない。僕の場合、50リットルのバックパックを使っているが、これでも旅行者のなかでは小さいほうだ。中には70リットル、80リットルの輩も多くいる。
何が入ってるのと聞くと、着替え1組と洗面用具、デジカメ、観光地図のコピーが数枚、あとは貴重品のみだという。
「えっ、それだけ!?」
と聞くと、
「他に絶対必要なものってありあすか?」
と聞き返されて、何もいえなくなってしまった。
確かにそうかもしれない。でも、だからって、なかなかそれは出来ないでしょ。
彼の職業を聞くと、東京で補助教諭をやっているという。
社会に出ていない同じような思考をもった教員が多い中、このような教員がいてもいいと思う。というか、自分が生徒だったら間違いなく面白い。
僕も昔は教員に憧れて4年間塾講師のバイトをしたこともあった。もう教員になることはないとは思うけど、今までの経験をいかして教員として生徒と接することができれば、それはそれで面白いかなと思った。
- 「KODA HOTEL」のチラシ完成
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2007.08.17 Friday日本を出発してから210日目
ただいま15カ国目
ヨルダンのアンマンにいます
今日は宿でのんびりして時間を過ごした。
本当は今日の朝、シリアに向かうこともできたのだけれど、最近忙しくてゆっくりしたかったこと、サーメルともう一日一緒にいたかったこと、それにサーメルの新しい宿の紹介チラシを作成しなくてはいけなかったこともあり、もう一日宿泊することにしたのだ。
サーメルの次の宿「KODA HOTEL」は10月1日からオープンする。クリフホテルのオーナーには内緒にしてあるので、密かに準備を進めているらしい。前のブログにも書いたけれど、そこで、サーメルにお世話になっているお礼に、僕とS君で日本人宿の情報ノートに貼るためのチラシを作ることにしたのだ。
必要事項を調べて文章と地図を書き込み、あらかじめ撮っておいたサーメルの写真をコダックで現像する。原本が完成したらコピーしにいき、写真を貼り付けて完成だ。きれいにできているとはいえないけれど、情報ノート用なので、これくらい味があったほうがいいだろう。
サーメルを部屋に呼んで、出来上がったチラシの半分、20枚を渡す。
「おー。ありがとう。ありがとう」
本当に嬉しかったらしく、何度も何度もお礼を言ってくれた。
残りの半分は今宿にいる連中にお願いして、中東、エジプト、アジア方面の情報ノートに貼っておいてもらうことにした。
サーメルが10月に「KODA HOTEL」に移籍したとき、一人でも多くの旅人がサーメルに会いにこの宿を訪れてくれればと思う。
夜中、サーメルに僕の旅人ノート(連絡先とコメントをもらっている手帳)にコメントを書いてもらった。宿の管理人では初めての執筆者だ。
彼は僕のノートに、
<私はいつも一人だった。でも、日本人のお客さんと話をすると、一人ではないような気がしてくる。だから私は日本人なしの生活は考えられない。あなたは私のために新しい宿の紹介のチラシを作ってくれた。これで日本人のお客さんも来てくれると思う。ありがとう。あなたのことは決して忘れない。サーメル>
というコメントを残してくれた。
本当にこれで日本人のお客さんがきてくれるといいな。で、サーメルにまた会いに「KODA HOTEL」に遊びにいこう。
その時、日本人のお客さんがたくさんいるといいね、サーメル。