- 初のアフリカ大陸、初のイスラム圏
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2007.06.07 Thursday日本を出発してから139日目
ただいま12カ国目
モロッコのタンジェにいます
今日一日はかなり疲れた。疲れ知らずとよく言われるけれど、確かにあまり疲れることがない。でも、今日一日は疲れた。昨日もけっこうハードだったけど、それより疲れた。
夜行バスは朝の6時半にアルヘシラスに到着。そのままフェリー乗場に行ってモロッコの港町タンジェまでのフェリーチケットを購入する。料金は36ユーロ(5800円)だった。
フェリーでの国境越えはこれが初めて。甲板に登って日の出を見ながらの出港はなかなかオツなものだった。
アルヘシラス港を出港
タンジェの街
フェリーは3時間半ほどでモロッコの観光都市タンジェに到着。すぐにフェズ行きのバスチケットを購入して荷物を預けたあと、タンジェ市内観光をした。(時差が2時間あります)
バスの出発まではあと3時間。途中でガイドらしきおっさんに勝手にガイドされそうになったけれど、そこはガツンと「金は払わないよ」と言って断った(ファッキンと連呼していたが、そこはおかまいなし)。親切な人ではあるんだけどね。
こちらでは旧市街のことを「メディナ」という。新市街と比べてもこちらのほうが昔の町並みや文化が残っていて面白いらしい。実際、市場は面白かった。ニワトリを大量に売っていたり、シルクの衣装や織物、香草や花などを売っていたりと、僕のもとめる市場がそこにあった。
すごーく、人間くさい。なんかイスラム圏なんだなあと感じさせられる市場だった。一昨日見たスペインの市場には圧勝していた。
さらに海岸に行ってみる。スペインとの国境にあたる海はどのようなものかと思っていたら、これが意外にきれいで驚いた。ところが肝心な女性がいない。やはりイスラム圏だけあって、肌を露出することをよしとしないお国柄なのだろう。正直、がっかりした。
それでも海岸には多くの若者たちがいて、いたるところでサッカーをやっていた。それがみんな上手い。とくに個人技にすぐれている。このまえの大会ではワールドカップにも出ていたし、身体能力からいっても、これからどんどん強くなっていく国かもしれない。
も、平日のこの時間にこれだけの若者がサッカーをして遊んでいるってどういうことだろう?
モロッコではお酒かわりにこのミントティーを飲む
今日の昼飯。
バスは12時15分にタンジェを出発、フェズの街を目指す。「地球の歩き方」には6時間で着くと書かれていたのに、結局着いたのは街も暗くなり始めた8時だった。
もちろん、まだ宿の予約はしていない。一応、安い宿の目星はつけてあるのだけれど、バスターミナルからはけっこう離れていて、しかも部屋数が少ないので空いているかどうかあやしい。
バスターミナルに明らかにガイド料を取ろうとしている輩がいた。嬉しそうに声をかけてきたので、ここはガイド料を取られても仕方ないことにして安宿を教えてもらうことにした。
彼に紹介してもらった宿は、バスターミナルから歩いて15分くらいの場所にあり、1泊シングル60DH(750円)とお手ごろだった。宿で休もうと思ったのだが、ガイドのオヤジはこれからハンマム(サウナ、風呂)に行こうと執拗に誘ってくる。ハンマムには行ってみたかったのでオッケーしたものの、どうやら今日のガイド料金をとったあげく、サハラ砂漠のツアーに参加させようという腹のようだ。
サハラ砂漠へはもちろん行くつもりだけれど、現地に行けばもっと安いツアーを見つけられるはず。どっか適当に切りのいいところで振り切らねば。。。。
ハンマムの雰囲気は異様だった。現地人しか行かないようなところだったこともあるだろうけど、イスラム色がかなり濃厚だった。
薄暗い中でおっさんたちが男に体を流してもらっている。なかにはマッサージしてもらっている人もいて、気持ち悪い。これはいつぞやテレビで見たことのあるトルコ風呂と同じ類のもののようだ。
ガイドのおっさんがしつこくマッサージしてもらえと言うので、いやいやではあったがマッサージを頼むことにした。相手は腹の出たハイレグパンツを履いた毛深いおっさん。最初は気持ち悪いだろうと思っていたのだけれど、このマッサージがなかなか気持ちいい。サウナの中のような場所でやるので、汗も出てきて体がほてってくる。疲れがしだいに取れてきたようだ。
が、ここから更なる疲れが溜まることとなる。
サウナを出る段となって、ここの入浴料がマッサージと貸しパンツ込みで65DHと言ってきた。これは高い。宿が60DHだから、それより高いことになる。
ちょっとむかついて、でもここがチャンスだと思い、ガイドのオヤジにかみついた。
「話が違うじゃないか、こんな高い金払えないよ」
ガイドのオヤジは困惑している様子だった。多分値段もその通りで、よかれと思ってやったことなのだろう。彼のなかでは日本人が金持ちだという認識ができあがっていたようだ。
(ここで自分は金がないというアピールをして、今回のガイド料を安くしてもらい、砂漠ツアーをあきらめさせよう)
そう思っていたのだけれど、なんと近くにいたモロッコ人で英語の堪能な男性(顔が曙そっくり)が間に入って交渉してくれ、65DHを50DHにディスカウントしてくれたのだ。ガイドの男も風呂屋もマッサージの男性も僕の金のない話を聞いて納得してくれたようだった。
(65DHは払う予定のかましだったのに、申し訳ない。モロッコ人、いいやつじゃん)
ガイドのオヤジは帰り道、「ソーリー、ソーリー」と言ってあやまりながら、それじゃ砂漠ツアーは無理だなと言ってあきらめてくれた。飯はどうすると聞かれたけれど、話の成り行き上、「金がないから今日は我慢する」と言っておいた。
最後は宿まで送ってもらい、今日のガイド料を要求された。「いくら?」と聞いたのだけれど、「お前の払える額でいい」と言ってくれた。すっかり貧乏人と認められたようだ。一応、これが精いっぱいだといって20DH払っておいた。
宿に戻ったものの落ち着かず、10時半くらいに外に出た。外の屋台で肉の串焼きと貝の煮物を食う。今日は我慢すると言ったものの、やっぱり腹は減っている。本来ならビールでも飲んで、今日一日の嫌なことを忘れるのだけれど、イスラム圏なのでビールも売っていない。コーラを飲みながら今日のことを振り返り、タバコを吸って宿に戻った。
- 今年のロッテ
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2007.06.08 Friday日本を出発してから140日目
ただいま12カ国目
モロッコのフェズにいます
今日はのんびり休養日。たまにこういう日を意識的に作らないといけないと思う。
日本で仕事をしている時の旅行は息抜きという意味で休養になるけれど、毎日旅をしているということは、移動も観光もしない休養日を作る必要性が出てくるはずだ。(旅の土日みたいなもの)
なわけで、今日は9時に目が覚めた。寝たのが4時くらいだったから、起きて動き出してもいい時間だったのだけれど、ここはあえて無理やり寝ることにした。
で、12時半くらいに起床。てきとうに宿の近くを散歩して、そのまま昼食。あとはネット屋でブログと日本情報を見ながらくつろいでいた。
というわけで今日は何もないのでこれで終わり。
あと、どうでもいいけど、今年のロッテはやってくれそうだ。現在パ・リーグ首位で、交流戦も14連勝中の日ハムについで2位につけている。いけるぞ交流戦3連覇! ジョニーもガンバレー!
今日の昼飯はクスクスというモロッコ料理。
4ヶ月酷使したジーパンとも今日でお別れ。
- フェズのメディナは巨大な迷路都市
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2007.06.09 Saturday日本を出発してから141日目
ただいま12カ国目
モロッコのフェズにいます
昨日は休養日でネットと読書しかしなかった。なので今日は動いた。
動いたといってもお昼まで寝ていて、それからネット屋に行ったので、本格的に動き出したのは午後3時くらいになってしまった。
とりあえず、フェズにきたからにはメディナ(旧市街)に行かなくてはしょうがない。宿を新市街にとってしまったので、ちょっと距離があって面倒くさかったけれど、メディナまでは3キロくらいと聞いていたのでぶらぶら歩いていくことにした。
途中、やたら高いところまで噴き上げる噴水を発見した。足を止めて写真を撮っていると、モロッコ人男性2人に声を掛けられた。彼らは現地に住むアブドーラとムハンマド(いかにもありがちな名前だ)。2人とも学生で英語がしゃべれ、日本人が好きらしい。以前も日本人女性と友達になったらしく、財布の中から日本人女性のうつっているプリクラを取り出して見せてくれた。
「これからどこに行くの?」
「いや、メディナに行こうと思うんだけど、、、」
「なら、俺たちもそっちに行くから一緒に行こう」
というわけで、一緒について行くことにした。一昨日の一件があったので、あまりガイドらしき輩には近づきたくなかったのだけれど、迷路の町メディナで目的地に無事にたどりつけるか不安だったことと、彼らの対応を見て、とりあえずガイドだったとしても、悪質なガイドではないなと思ったからだ。
でどうだったかというと、やはり彼らはガイド狙いのようだった。お金のことは一切口に出さないけれど、実家に連れていってくれミントティをごちそうしてくれたり、サハラ砂漠ツアーの料金や行き方を事細かく説明してくれたり、普通に行ったんでは見学できない王宮に顔ききで入れてくれたりと、やたら親切にしてくれた。
いや、そんなに親切にしてもらうと、あとでいくら出せと言われるか怖いなあ。。。
1人で来たら王宮にはなかなか入れないらしい。
王宮内のに壁には至るところにこのような模様が。描かれているのではなく、パーツを丁寧にはめ込んで作られている。それぞれの色には意味があって、緑がイスラム、白がカサブランカ、青がフェズ、黄がメクネス、赤がマラケシュ、金色が普通のサハラ砂漠、黒が黒砂漠を意味するらしい。
右がアブドーラで左がムハンマド。
アドーラの家におじゃました時に、屋上からメディナを見下ろした。この町はまさに迷路都市だ。狭い路地が縦横無尽に走っていて、よほど慣れないと道に迷ってしまう。1000年以上も前に作られた都市というからそうとうなものだが、現在でもそのときの臭いが残っているような気がした。
これは、ただでさえ方向オンチな僕が一人で来ていたら間違いなく道に迷ってしまっていただろう。1度通った道もすぐに忘れてしまうほど入組んでいてわかりにくい。
ガイドの2人は人ひとりがやっととおれるような路地や建物の内部のような場所を当たり前のように進んでいく。とりあえず現時点ではガイドがいてくれてかなり助かっている。
フェズのメディナは巨大な迷路。すぐに迷子になってしまう。
みんなで糸をつむいでいる。
モスク。
モロッコの子供たちはいつも明るい。
メディナの町では現在、年に1度のフェスティバル期間中(一週間)だそうで、広場では人気グループがライブをしているという。せっかくだからということで、それに行ってみようということになった。
6時から始まったライブは大勢のお客でにぎわっていた。いったいどれくらいの人がいたんだろう? かなり広い会場が人で埋まり、子供から老人まで家族で来ているお客が多かった(1万人くらいいただろうか)。
ライブで演奏されていた曲はアフリカマンマというジャンルらしい。これまであまり触れたことのないジャンルだけれど、面白そうなのであとでCDを買っておこう。
一つ残念なことは、会場内は危険だからと言われ、写真を撮るのを控えたことだ。もし撮れていたらいい絵がいっぱいあったのになあ。
8時くらいにはライブが終わった。11時から別の会場で午前3時までつづく深夜ライブがあるけど行くか、と誘われたのだけれど、さすがに今日はもういいと思い断った。フェスティバルは楽しかったけれど、やっぱりお酒がないとちょっとねえ。
ライブが終わってから3人でメシを食いに行った。モロッコ料理が食いたいと伝えると、それならと現地の食堂に連れていってくれた。魚のフライにカレー風味の揚げ物、それにモロッコ人大好きの「ピサラ」という料理にミントティが注文された。
ピサラとはカレーのルーみたいなものをパンにつけて食べる料理で、モロッコ人は朝からこれを食っているという。味はまあまあといったところだった。
メシ代も払ってくれそうだったので、とりあえず50DH(650円)ほど渡しておいた。今日はタクシー代から、ジュース代から全部おごってもらっている。いいかげんにしないとあとが怖い。
手前のスープがピサラ。
結局メシを食ったあと、新市街のホテルの前まで送ってくれた。宿の前でガイド料をいくら請求されるのか気が気ではなかったが、
「明日はここまで迎えにくるから、早朝からナメシガワを見に行こう」
と言って、時間だけ約束して帰っていった。
まいったなあ。2日がかりになってしまった。でも、ナメシガワは見たかったからなあ。。。
すごく親切にしてくれるので、あまり不信感を抱きたくはないのだけれど、ことお金に関してはやっぱりシビアになってしまう。しかも今回の相手は2人。いったいいくら請求されるのだろうか。。。
このままばっくれることもできるんだけどなあ、という誘惑にも駈られたが、さすがにそれだけはやっちゃいけないと思い、不安になりながらも床についた。
- なめし革染色職人街
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2007.06.10 Sunday日本を出発してから142日目
ただいま12カ国目
モロッコのフェズにいます
6時ちょうどにホテルの前に出ると、ちょうどむこうからムハンマドがやってきた。アブドーラはいない。彼とは現地で待ち合わせをしているらしい。タクシーに乗り込みメディナを目指す。料金はまたしてもムハンマドが払ってくれた。
メディナの道は早朝きれいに掃除されゴミひとつ落ちていなかった。
メディナに着き、軽く食事をとって(ここは割カンだった)、なめし革職人街に向かう。作業所はメディナ中央のでかいモスクの近くにあるらしいが、突然、鼻をつく強烈なにおいがしてきた。
染料とロバのフンで汚れた階段を降りていく。開けた場所に出た。ここが染色工場らしい。
大きな穴がいくつもあって、その中に染料が入っている。まわりでは男臭い男たちが男らしい作業をしている。とりあえず臭い。
作業の順序をムハンマドに聞いてみた。
なめし革を作るには、まず革をいったんこの染料につけ、色のついたところで取り出して表面の染料をそぎとる。つぎに手動の機械で水分を搾り取ってロバで運び、乾かしてから加工して製品にしていくらしい。
水分を搾り取る機械。
「モロッコの男はストロングだからね。でないとこの作業は不可能さ」
ムハンマドが説明してくれた。まさかそのストロングな腕っぷしを武器に僕からガイド料をふんだくるつもりじゃありますまいね。。。。
多少の不安を抱えつつ、次は織物の作業場をまわることになった。
この作業場はムハンマドの知り合いがやっていて、いろいろな場所を見せてもらったのだが、カーディガンは織機をつかって1カ月、絨毯になると完全にハンドメイドになるので1つを作るのに6カ月かかるということだった。まったく、仕事とはいえよく気力がつづくよなあ。
このあともムハンマドは昨日まわっていない場所をまわってくれ、事細かに説明してくれた。途中、アブドーラの家にも寄ったのだけれど、彼はすでに僕らを探しに外に出ていったらしい。携帯電話に電話してみたのだけれど、なかなかうまく捕まえることができなかった。
時間は9時。今日の予定はとムハンマドが聞いてきたが、さすがにこれ以上ガイドしてもらうわけにはいかない。
「そろそろ宿に戻って昨日の宿泊料を払い、モロッコで合流する予定のジャパニーズフレンドにメールして連絡をとってみなければならない」
そう言って、これでお別れすることにした。結局アブドーラとは再会できずじまいだった。
新市街までのタクシーをひろってくれたムハンマドが、最後の最後でガイド料を請求してきた。
最初から払うつもりでいたし、かなりよくしてもらったのでここで揉めるのは嫌だったのだが、料金は2人で200DH(2500円)だった。これはたぶん妥当な額だろう。一般旅行者を相手にしたガイドならもっとふんだくっているかもしれない。
あとでガイドブックを見てみると、半日ガイド(2、3時間)で100DHが相場らしい。昨日は6時間、今日も3時間ガイドしてもらっている。しかも昨日は2人だったことを考えると格安かもしれない(別にこちらがお願いしてこうなったわけではないんだけど)。タクシー代とかいろいろ出してもらっているし。
それでも200DHはぎりぎりの額だった。300DHなら値ぎり交渉に入っていただろう。とにかく、向こうの提示額で払えたことに胸をなでおろした。
こんな細い通りもある。
今日の晩飯。
- メディナで迷子に
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2007.06.11 Monday日本を出発してから143日目
ただいま12カ国目
モロッコのフェズにいます
今日は久しぶりの対面があった。ペルーのリマで同じ宿だったH君とここフェズの町で2カ月ぶりに再会したのだ。彼はリマで会ったあと南米を南下し、僕の方は北中米へ北上、たまたまモロッコ入りが重なったわけだ。
H君も同じ宿で宿泊することになり、今日はフェズの町の(3日だけ)先輩である僕の案内でメディアを探索することになった。メディナを回ったことがあると言ってもモロッコ人の案内で、後ろをついてまわっただけなのでかなり不安だ。おまけにここは迷宮都市フェズである。
途中までは記憶をたどって進んでいったのだが、途中から記憶がとぎれる。というか、あとはどの道もこの道も全部一緒というイメージしか残っていない。さすが迷宮都市、完全にお手上げだ。
H君に悪いことをしたなあと思いながらも、迷子になっていること自体がちょっと楽しい。
「やっぱりフェズにきたら迷子にならなきゃいかんでしょ」。などともっともらしいことを言いながら適当に歩いていった。
一応、「地球の歩き方」はもっていたのだけれど、そもそもこの町は道が入組み過ぎて地図が役に立たない。地図を見ながら困っていると、例の「俺がガイドしてやろう野郎」が何度も声をかけてきた。しかし、ガイド料が馬鹿にならないので、そこは知らん顔をして通り過ぎる。
でも、さすがに目指す場所にどうしても行けないので、今回もまた優秀なガイドを雇うことにした。そのガイドとは、、、
そう、彼らが今回のガイドの2人。見た目で判断してはいけない。これがなかなかよく道を知っているのだ。彫刻、なめし革細工、陶器などの店の前に来て、「さあ、こちらへどうぞ」と手招きし、なかで手作業している職人さんに紹介してくれる。なめし革の作業所に行ったときは、そこの職人さんに僕らのことをお願いしてくれ、店の外で待っている。
気を遣わなくていいし、たまにジュースやアイスをおごってやって一緒に食べたりし、楽しい時間をすごすことができた。チップも気持ち程度でオッケー。H君とお金を10DHずつ出し合って彼らに渡すと喜んでくれた。
これ、使えるなあ。また今度も子供たちに道案内をお願いしようかなあ。
これ、すべて革製品。しかもハンドメイド。
メディナの町を練り歩き、買い物をしたり、その町並みに感嘆したりしているうちに、いつの間にか暗くなってしまった。思わず時間も忘れてしまうくらいメディナは面白い。市場好きな僕をうならせるだけのものがわんさかある。歩いているだけでゾクゾクしてしまった。
H君と宿に戻ったのは9時。今日は昨日発見したアルコールを売っている店でビールを購入し、宿の部屋で再会を祝して乾杯した。3日ぶりのアルコールの味は格別だった。3日もアルコールを飲まないなんて、この旅はじまって以来じゃないだろうか。うーん、やっぱりビールは美味い!
- 近況報告
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2007.06.12 Tuesday日本を出発してから144日目
ただいま12カ国目
モロッコのフェズにいます
本日ものんびりデー。ネット屋に行ったあと昼飯を食い、バスターミナルにつぎのチケットのことを調べに行ったあとはあんまり動き回る気にならなくて、宿に戻った。
買ってきたビールを飲みながら音楽をかけて(携帯スピーカー使用)、ボケーっとしていると気分がよくなっていつのまにか眠ってしまっていた。
というわけで、今日は何もないので簡単な近況報告を。
本来ならばリンクしてある[山田はドコへ行った!!]というHPにこういう内容は掲載するはずだったのだけれど、山田のやつがいっこうに更新しない。あいつが今どこにいるのかも分からないので、勝手にこっちのブログで書いていくことにしよう。
・体調……いたって健康。病気もケガもなく元気そのもの。モロッコにきてのんびりし、精神的にも絶好調。
・見た目……体重は7、8キロ痩せたみたいだけど、動いているからだと思う。ベスト体重に近づきつつある。あと、日焼けしてかなり黒くなった。
・最近のブーム……スペインで入手した魔法瓶をフル活用。
・好きな国……今まで通過した国の中ではキューバ。人間が最高だった。
・嫌いな国……アメリカ。あのジャイアンぶりには閉口してしまう。
・南米を旅してみて……それぞれの国が全部興味深かった。
・中米を旅してみて……雰囲気とノリがかなり楽しかった。
・北米を旅してみて……物価の高さとアメリカ人の横柄さにまいった。
・これから楽しみな国……アフリカ諸国。どうやらパンチのある国を欲しているようだ。
・日本のことで気になること……千葉ロッテの勝敗とジョニーの復活。
・最近旅をしていて思うこと……趣味の範囲でいいので、世界規模で何か本気になれるものを見つけたい。
というわけで今日はここまで。
- フェズという町
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2007.06.13 Wednesday日本を出発してから145日目
ただいま12カ国目
モロッコのフェズにいます
今日は夜行バスでフェズの町からメルズーガに移動する。メルズーガに移動する目的はもちろんサハラ砂漠。今回の旅のなかでもかなり楽しみにしているイベントの一つだ。
というわけでフェズの町とも今日でお別れなわけだけれど、この町は非常に居心地のいい町だった。久しぶりにのんびりできたことと、久しぶりに物価の安い国にきたことで精神的にも楽だったけれど、この町にはそれ以上のものがあった。
もともとモロッコという国がどんなところかも知らずにやってきたわけで、初のイスラム圏ということもあり最初は緊張もあった。
アラブ式トイレも初体験だったし、布を頭からかぶっている女性にも最初の数日は抵抗があった。けれどもこの国はいい。人が元気で親切だ。なんか僕の中ではキューバとかなりかぶっている。
多くの人種が混在し、貧しい人も多いのに治安がよく、悪質な商売や性質のわるい輩も少ない。なんか不思議な国だ。
フェズ最終日の今日はどこに行こうか悩んだのだけれど、結局、メディアに行くしかないなということになった。これで3度目になるけれど、やはり新市街よりもメディナのほうが人間くさくて面白い。何度行っても飽きない場所だ。
メディナの町を迷路に迷いながら歩く。もう道に迷うことにあせりなどない。
日本人がいると嬉しそうに話し掛けてくるモロッコ人。道を聞くと行き先まで案内してくれるモロッコ人。コーラ一杯で2時間くつろぎ、昼寝までしていたのに笑っているモロッコ人店主。写真を撮ってもいいかと聞くと、照れくさそうにしながら笑顔でうなずいてくれる若いモロッコ人女性。反対に、デジカメをいじっていると、「私を撮って!」と言っていろんなポーズを撮ってくるモロッコ人少女。さらに、その周りでひやかすモロッコ人少年たち。……見ているだけで面白くて仕方がなかった。
この人、きれいだったなあ。
この少女は写真好き。カメラの前でポーズをとって何枚も撮らされた。
お店もいい。革製品、織物、陶器、ガラス、石、いろんな素材からほとんどのものがハンドメイドで作られている。一つ一つの製品に味があり、その店の店主には更に味がある。
今日は通算3度目となるメディナを6時間かけて回った。これまで発見できなかった市場も見ることができてご満悦。迷路都市にはまだ慣れていないものの、道の聞き方は慣れてきたので、過去2度と比べるとスムーズに観光することができた。
毎日通ったサンドイッチ屋のおじさん、最初は怪しいかと思っていたけれど、実はすごく親切だった宿屋のオヤジ、好き勝手させてくれたネット屋の兄ちゃん、みんな今日でお別れだ。やっぱりある程度同じ場所に滞在すると、思い入れも深まり情も生まれる。
明日からのサハラ砂漠が楽しみな反面、フェズという町を離れるのが名残惜しく感じた1日だった。
- メルズーガの日本人宿
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2007.06.14 Thursday日本を出発してから146日目
ただいま12カ国目
モロッコのメルズーガにいます
今日は早朝6時に夜行バスがリッサニという町に到着。そのあとグランタクシーという乗合タクシーを利用して9時にはめざすメルズーガに到着した。
メルズーガは本当に小さな町なのだけれど、こんな場所にも日本人宿がある。ここはイースター島で一緒だった若さんという旅人がメールで教えてくれた宿。宿の後ろにはすぐ砂漠という絶好のロケーションで、宿自体もとても居心地がいいらしい。
宿名は「WILDERNESS LODGE」といい、ノリコさんという日本人女性が宿主をしている。ノリコさんはフランスを中心に活躍していた写真家の方で、2002年にメルズーガに来てここの土地に惚れ、2005年には日本人宿を作ってしまったらしい。
宿内にはとても居心地の良い空間が作られており、テラスの上からは砂漠を見渡すことができる。ついたそうそう気に入ってしまった。
宿のテラスから見える夕日
砂漠ツアーもこの宿から申し込めるらしい。現在宿にいる日本人3人も今日の夕方から2泊3日の砂漠ツアーに参加するというので、便乗することにした。こういうのは人数が多いほうが面白い。夜行バスでは1時間しか寝ていなかったけれど、俄然パワーがみなぎってきた。
夕方5時にガイドのモロッコ人が宿に来た。出発が夕方ということで、最初は遅いなあと思ったのだけれど、その理由もすぐにわかった。昼間は暑くて何もできないのだ。気温は風通しのよい室内でも37度をさしている。外に出たらさらに暑い。これで砂漠を歩いたらすぐに熱射病だなあ。
参加者はフェズから一緒の(H君改め)ヒロシ君、一つ年上で現在8ヶ月旅しているというKさん、フランスに留学しているNちゃん、イギリスでワーキングホリデーをしていたというAちゃん、それに僕の合計5人だ。
ツアー代金は2泊3日で700ディラハム(1万円)。宿代とすべての食事込みでこの値段なのでそんなに高くないかもしれない。(相場がよくわからないけど)
宿の前にはすでにラクダ5頭が待機していた。これがなかなかカワイイ。またがってみると想像以上にラクダがでかく、座る位置が高くて驚いたが、ただまたがっているだけでいいのでラクダ。(失礼)
砂漠の中をラクダで歩く。夕方なのでいくぶん暑さも弱まり、いいかんじだ。サハラ砂漠の砂は日本の砂と比べると粒が細かい。色も赤っぽくて、本当にきれいな砂なのでさわってみても気持ちいい。
砂丘の稜線はこれでもかというくらいはっきりしており、まったく同色の砂地は遠近感を失ってしまうほどだ。
サハラ砂漠はすごい。今まであまりに期待していた場所は、実際行ってみると、「まあ、こんなもんか」という感じの場所が多かったのだけれど、ここサハラ砂漠はかなり期待していたにもかかわらず、期待をはるかに上回るほど僕を驚かせてくれた。
ラクダに乗って2時間くらいで今日の宿泊地に到着した。宿泊地は多少砂地が固い場所にあり、簡単なテントが張ってあった。そこに何人かのモロッコ人が住んでいるようだ。
砂丘に登って夕陽を見る。砂丘に光と影が映し出され、砂が太陽の光でまぶしいほど反射している。
でも、その美しさに感動したのは夕陽よりもむしろそのあと現れた満天の星空のほうだった。360度ほぼ地平線、明かりは全くなし、空気は澄んでいる。これだけの条件が揃っているのだから夜空はまさにプラネタリウムだった。
これまで見た星空で一番きれいだったのは、ボリビアの太陽の島で見た星空だったけど、この砂漠の星空はそれを凌駕している。とりあえず上空に星のない場所がない。流れ星もしょっちゅう見える。
空ってこんなに広かったっけ……。夜空が本当に広く見えるのは、周囲に山などがなく目線に近いかなり低い位置にも星が見えたからだろうか。
その星空の中、テントではなく、外にふとんを敷いてみんなで眠った。こんな贅沢な寝室はこれまで経験したことがない。いつまで見ていても飽きない星空を眺めながら、幸せな気分で眠りについた。
ガイドのおっさんがタムタムを演奏してくれた。
今日の夕飯はモロッコ名物のタジン
砂漠のなかの星空寝室
- 砂漠で水を飲みたくなった
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2007.06.15 Friday日本を出発してから147日目
ただいま12カ国目
モロッコのメルズーガにいます
今日は早朝5時に目が覚めた。夜中、けっこう風が吹いていたらしく、頭から耳から鼻から、身体中のいたるところが砂まみれだ。
顔を洗う水もないので、とりあえず砂まみれの顔をタオルでぬぐう。小高い丘まで登って砂漠の朝陽を見たあとは、軽い朝食を食べて移動した。
Aちゃんだけ1泊ツアーで先に宿に帰っていったので、メンバーは4人。今日は丸一日砂漠にいることになる。
出発したのは午前7時だったけれど、もうすでに暑かった。砂漠は早朝と夕方からしか動けないから、のんびり寝ていることもできない(どうせ昼寝するからいいのだけれど)。
今日は昨日よりもさらに「砂漠」という場所を歩いて移動した。まわりは砂しかない。とりあえずガイドのオヤジが道に迷ったら僕らは死ぬだろう。
日ざしもだんだん強くなる。もう、「暑い」というより「熱い」かんじだ。
喉は渇くわ、ラクダに乗りすぎでお尻が痛いわで、いい加減まいっていたら、ようやく目的地の黒い砂漠(ブラックデザート)が見える場所に出た。
ここはアルジェリアとの国境付近の場所らしい。地面は砂地というより砂利地で、草木も遠くのほうに見ることができる。時間は午前9時半。まだ早いけど、今日の予定はそこでひたすらのんびりするだけらしい。砂漠での生活になるとそれも仕方ないのだろう。
ブラックデザートには行かないのかとガイドのオヤジに尋ねると、
「アルジェリア、マフィア、ヤクザ、危なーい」
と言っていた。国境付近は危険ということだろうか。
ここは簡単な土壁の建物があるのだけれど、そのなかに入っていても暑くて仕方がない。暑くて昼寝することもできないので、ヒロシ君とNちゃんと一緒にトランプで大富豪をして遊ぶことにした。砂漠の真ん中で大富豪をするというのもなかなか痛快だ。最初は神経衰弱をやっていたのだけれど、暑さで頭がまわらないのですぐにやめてしまった。
でも、久しぶりの大富豪はかなり面白かった(一番面白かったのは、トランプの罰ゲームでNちゃんが「もののけ姫」のモノマネをしたときだったけど……)。
夕方にはみんなで近くに水汲みに行った。どこに井戸があるのだろうと思っていたら、砂漠の真ん中にタイヤがひとつ置いてある。よくみると、その穴が井戸につながっていた。蓋などない。タイヤひとつが唯一の目印だ。
井戸はそんなに深くなかった。それなのに水が冷たい。僕の実家も井戸だったけれど、夏は水が冷たくて冬は水が温かかった(何かでその理由を読んだことがあったのだけれど、すっかり忘れてしまった)。
ガイドのオヤジに頭から水を掛けられる。気持ちよすぎる。それまでの疲れが一気にふっとんだ。水って偉大だなあ。
これが井戸。
水が偉大だといえば、今日は僕にとって、ちょっとした事件があった。
実は僕、結構かわっていて、水が飲めない。18歳のときに東京に上京して水道水を飲んだのがきっかけで、水が飲めなくなってしまったのだ。
あの塩素くささは衝撃だった。実家の井戸水が美味かったからというのもあるかもしれないけれど、それっきり、水はミネラルウォーターでさえ飲めなくなってしまったのだ。もうかれこれ12年くらいになる。たぶん水を単体で飲むことは1年にコップ1杯も飲んでいないはずだ。
飲めないといっても、ウイスキーの水割りなんかは飲めるし、何かの味がついていれば大丈夫。でも、それが旅に出たわけだから大変だった。
水の飲めない旅人なんて聞いたことがない。日本にいるときはお茶を飲んでいたので、さほど困ることもなかったのだけれど、アジアや先進国は別にして、海外ではほとんどの国でペットボトルのお茶など売っていない。あるのはコーラやスプライトの炭酸水ばかりだ。このたぐいは嫌いではないのだけれど、お金もかかるし、糖分が多いので飲むと逆に喉が渇く。
時間に余裕のあるときはお湯を沸かしてTパックで紅茶やマテ茶を作り、冷ましてペットボトルに入れて持ち歩いていた。最近はそれも面倒くさくなって、ミネラルウォーターを買ってきて、少量の果実ジュースで割るようにしている。これだと費用の節約にもなるし、水で薄めてあるので喉もあまり渇かない(果実ジュースと水の割合は1対4くらい)。
話が長くなってしまったけれど、要は、そんな僕が砂漠で水を飲みたくなってしまったのだ。これは普通の人から見ると普通のことだと思うだろうけど、僕にとってみればかなりの衝撃だった。なにせこの12年間、一度も水を飲みたいと思ったことがないのだから。
で、どうしたかというと、やっぱり水は飲まなかった。飲んでもよかったのだけれど、何となくその機を逃してしまった。これでこの先もしばらくは水を飲むことがないと思う。今思うと、もったいないことをしたなあという気がする。
ヒロシ君とヒロシ君似のラクダ。
今日の夕食はモロッコ料理のクスクスだった。腹を満たし、気温も下がってきたところで、今日も気持ちよく満天の星空のなかで就寝した。昨夜は砂まみれになったけれど、今日もやっぱり外で寝ることにした。この星空の中で眠るという最高の贅沢を、砂をかぶるなんていうちっぽけなことを理由に放棄するなんてとてもじゃないけどできなかったからだ。
モロッコ料理、クスクス。
ガイドのオヤジは変な人。
- タムタムに挑戦
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2007.06.16 Saturday日本を出発してから148日目
ただいま12カ国目
モロッコのメルズーガにいます
今日は朝4時にガイドのオヤジに叩き起こされた。砂漠の朝は早い。特に今日は4時間かけて宿まで帰らないといけないので、この時間に起床して出発することになったのだ。
4時間ラクダに乗っているのは辛い。ガイドのオヤジはずっと歩いてラクダをひっぱっているからもっともっと大変なはずなのだけれど、平然とした顔をしている。仕事とはいえ、さすがの一言に尽きる。
ラクダでの移動で何がしんどいかというと、お尻が痛いのはそれはそれでキツイのだが、それよりも何よりも眠くて仕方なかった。僕は乗り物に乗るとすぐに寝むくなってしまうという病気にかかっている。電車が最も顕著で、仕事帰りなどはものの30秒で眠れるのだが、ラクダも慣れてくると気持ちよくなってすぐに睡魔が襲ってきた。
何度も瞬間的に眠ってしまってラクダから落ちそうになる。ラクダはけっこうでかいので下が砂地とはいえ、落ちるとただでは済みそうにない。結局2時間近く歩いて移動してしまった。
慣れてないので坂道が辛い。ガイドのオヤジのようにスタスタと歩けず、すぐに足が砂にとられてしまう。それはそれで砂漠を歩くのはいい経験になったけど……。
宿についてしばらく休むと、すぐにまた遊びに行きたくなってしまった。このへんは好奇心が簡単には休ませてくれない。夕方からみんなでサンドボートに出かけることになった。
サンドボートとは要するにスノーボードの雪が砂にかわっただけ。砂ですべるのはどんなものか興味があったが、砂では思ったようにスムーズにすべることができなかった。ターンもきついし、スピードが出ない。途中で止まってしまうと最悪だ。
さらにリフトなどもちろんないので、ほんの短い時間すべると、その何倍の時間をかけて砂山を登らないといけない。さすがに辛くて、3本くらい滑ったら飽きてしまった。
サンドボードのガイドをしてくれた少年たち
ボードをほったらかすと、そのあたりの砂丘で1番高いところまで登って夕陽を見ることにした。本当に砂漠の太陽は赤い。イースター島で見た夕陽も赤くて綺麗だったけれど、ここの夕陽はまたそれとは違って、とにかく赤いという感じだった。なんでこんなに赤いんだろう。
ボードをレンタルショップまで返しに行くと、そこのお兄ちゃんがなかでミントティをごちそうしてくれた。モロッコではいつもミントティがふるまわれる。アルコールの飲めないモロッコではこれが酒代わりのウイスキーだといわれているが(もちろんアルコールは入っていない)、疲れているときに飲むとカロリーもとれてなかなか美味い(砂糖をたっぷり入れているので)。
ミントティを飲んでいると、店のお兄ちゃんとその従兄弟にあたる少年が2人でタムタムという太鼓の演奏をしてくれた。
これがすごくかっこよかった。だんだん叩くスピードが速くなり、踊るように太鼓をたたいていく。みんなその演奏にひきこまれて言葉ひとつ発せずに見入ってしまった。
僕もやってみろと言われて挑戦してみたのだけれど、リズムと叩き方はわかっても、彼らのようにいい音が出ない。それでも除々に慣れてくると、一緒にあわせて叩けるようになって、そのお兄さんから「ムハンメド」という名前をいただいてしまった。
なんで「ムハンメド」かはわからないけれど、とにかくそれが嬉しかった。モロッコではこの名前で通すことにしよう。タイガーの名前ともしばしお別れだ。
この人は本当にいい人だった。
あまりに楽しかったので、いったん宿で食事をとって、もう一度お店に行ってもいいかと聞いたら、「ノープロブレム。ノークローズ」と言ってくれた。料金はタダ。完全に彼らの好意だった。
結局、夜中の10時にお店にいって、12時すぎまでおじゃましてしまった。モロッコ音楽の素晴らしさに触れ、タムタムの面白さを満喫し、モロッコ人の親切をいっぱいに感じて宿に帰る。僕はもちろん、一緒に行った全員が幸せな顔をしていた。
本日の寝床もやはり星空の下だった。オーナーのノリコさんに屋上のテラスで寝かせてもらった(テラスで寝ると宿泊費が25DH(370円)になる)。これで3日連続。空を見ながら寝るのが癖になってしまいそうだ。
布団に入って空を見上げると、タムタムの太鼓のリズムがまだ頭のなかに残っている。星空の下でタムタムのBGMをかけながら、今日も幸せな気分で眠りにつくことができた。