- キューバという国の魅力
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2007.04.30 Monday日本を出発してから101日目
ただいま9カ国目
キューバのハバナにいます
今日はいよいよキューバに渡る。キューバはこの旅初の社会主義国。アメリカに経済制裁を受けており、プロチームがないにもかかわらず野球がメチャ強い。
去年開催された野球のワールドカップ、WBCでは日本についでキューバは2位だった。アメリカは野球を世界に広めようというこの大会で、キューバに2位の賞金を出さなかった。経済制裁をくわえているというのがその理由だが、国同士の個人的なしがらみをスポーツの世界に持ち込むとは最低だ。リーダーシップをとらないといけない国がお山の大将だから情けない。ほんとうにアメリカはケツの穴の小さい国だ。
キューバはそれでも、「自分たちはお金のためにこの大会に出たのではない、自分たちの国の誇りのために戦ったのだ」と国家全体で準優勝に歓喜したという。なかなかかっこいい国だ。
国民は革命の士カストロとゲバラを崇拝しており、治安は意外にもカリブで1番いいらしい。カストロもまだなんとか生きているみたいだし、これまで通ってきた国とはひと味もふた味も違う雰囲気をもってそうでかなり楽しみだ。
しかも今回は心強い相棒がいる。少し前にキューバに3週間滞在していたMちゃんだ。彼女は僕にサルサを教えてくれた師匠であり、あまりにキューバを気に入って、この旅2度目のキューバ行に向かうのだという。
海外経験豊富なMちゃんをここまで魅了するキューバとはいかなる国なのだろうか。期待は膨らむ。
午後2時、ハバナ空港に到着。まずは両替をする。
キューバには2種類の通貨があり、現地人用の人民ペソと観光客用のクックがある。
1クック(150円)は24人民ペソで、クックばかり使っているとすぐ金がなくなってしまうので、貧乏バックパッカーはいかにして人民ペソで生活するかがポイントになってくる。
まず、あらかじめ用意しておいた換金率のよいユーロをクックに換え、さらにクックの一部を人民ペソに両替する。
空港で両替をすませると、すぐに最初の難関がまちかまえている。空港からセントロまでの移動だ。普通、観光客はタクシーを利用するのだけれど、それがだいたい15クック(2250円)とべらぼうに高い。2人で割れば半額になるけれど、それでも高い。ここはひとつ、生まれて初めてのヒッチハイクに挑戦してみることにした。
キューバにはヒッチハイクの文化があるらしい。空港を出て歩きながら、荷台のある手ごろな車を探すのだが、なかなか思い切って合図を送れない。何度か手をこまねいていたものの、しばらくしてつかまえたトラックは運転手がとてもいい人で、行き先を告げると荷台を指差して乗れという合図を送ってくれた。
初ヒッチ成功だ。荷台に乗ってはみたものの、本当にちゃんと伝えた場所まで送ってくれるか不安が募る。15分ほど走ったあと、「あとはこの道をまっすぐ行けばセントロにつくよ」と教えてくれて車を止めてくれた。どうやら道も間違っていないようだ。チップも要求されなかったし、初ヒッチの運転手がとても親切な人で助かった。
とりあえずセントロまでの道のりを半分進んだ。初ヒッチに気分をよくして、次なるヒッチを試みる。今度は軽トラックをつかまえた。荷台にのってしばらく進んだが、どうも方向がおかしい。あわてて運転手に伝えると、どうやらこちらが言った行き先がちゃんと伝わっていなかったらしい。それでも親切に乗った場所まで引き返してくれた。
さらにヒッチを試みようとすると、少し前に自転車で通ったおじさんが、こちらに引き返してきて、「どうしたんだい?」と尋ねてきた。セントロに行きたいのでヒッチをしていると伝えると、「それなら、今ちょうど向こうからバスがくるからそれに乗ればいい」と教えてくれた。
キューバに入国してわずかの間で親切な人にたくさん出会った。たまたまなのか、みんな親切なのかわからないけど、とりあえずかなり好印象の国だ。
慌ててそのバスに乗り込む。このバスは通称「ラクダバス」と呼ばれているバスで、縦に長い車体の中ほどが凹んでいて前後がラクダのコブみたいになっている。観光客はほとんど使わないバスで、地元の人ばかり乗っている。車体はボロボロ、人はいっぱい、ぎゅうぎゅうに押されながら周囲を観察してみた。
これは面白い。白人も黒人も混血も入り混じっていて、なかには真っ黒な肌なのに目が青かったり、混血なんだけど顔が中国人ぽかったり、本当にいろんな人が乗っている。それを見ているだけで楽しくなった。
30分ほどラクダバスに乗るとセントロに到着した。キャピタリオ(旧国会議事堂)まで行き、Mちゃんが以前泊まった宿を探す。キューバの宿はホテルの他に「カサパルティクラル」という宿泊可能な民家があって、そこが1番宿代が安い。
宿に行く途中、キャピタリオの周りでは、たくさんの子供たちが野球をやったり、チャリンコに乗ったり、カポエラをしたりして遊んでいた。そこで目を瞠ったのは、そのメンバーが黒人、白人、混血と入り乱れていることだ。
皆楽しそうに一緒に遊んでいる。「それが当たり前な国がキューバ」だとMちゃんが教えてくれた。たしかに凄い。しかもみんな目が生き生きしている。
こちらを意識してちょっとはずかしがりながら、思い思いのポーズをとって、こちらにアピールしている。
子供はどこの国でもかわいいけれど、これだけ生き生きした目の子供にはなかなかお目にかかれない。キューバ、恐るべし。
もう一つ、キューバの町を歩いて気づいたのは、建物の古さ。建て替えないのか、それとも建て替えられないのかわからないが(たぶん後者)、ほとんどの建物が昔のままの造りをしている。壁などは黒くススがかかっており、ボロボロなものも多いが、それをそのまま使って生活しているようだ。
カメラをどこに向けても絵になる国キューバ。建物も人も町並みもかっこいい。あっというまにキューバの虜になってしまった。
キャピタリオ(旧国会議事堂)
ほどなく宿が見つかった。チャイムを鳴らすと主人が出てきて、Mちゃんのことを覚えていていたらしい。親しげに話して宿の中に入れてくれた。一晩20クック(3000円)、一人あたり10クック(1500円)だ。ハバナは物価が高いので、まあまあの宿がとれた。
今日はかなり刺激的な1日だった。初キューバに初ヒッチ、ラクダバスにも乗ることができたし、キューバの人にもキューバの町並みにも触れる事ができて、その在りように衝撃を受けた。これからのキューバが楽しみで仕方がなくなった。
- メイデーで100万人のパレード
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2007.05.01 Tuesday日本を出発してから102日目
ただいま9カ国目
キューバのハバナにいます
今日は5月1日。「メイデー」だ。日本ではさほど注目されないが、世界的にこの日はかなり重要視されている。なかでもキューバは特別で、毎年革命広場に大勢の国民が集まって、100万人のパレードをするらしい。今年のメイデーには、ひょっとしたらフィデル・カストロが国民の前に姿を現すのでは、という噂も流れていた。
朝8時半起床。一人起きてテレビをつけると、大勢のキューバ人がパレードしている。
しまった! もう始まっているじゃないか。
革命広場には100万人の国民が集まり、パレードしている。カストロやゲバラのプラカード、キューバの国旗を手にした人々が歓喜している。
この日を楽しみにしていたくせに、何で昨日のうちに時間を確認しておかなかったんだろう。ああ、俺の馬鹿。
あわてて宿の人に聞いてみると、午前7時くらいから始まり、10時くらいまで式典が行われるという。少しでもいいから見たい。すぐにMちゃんを起こしてタクシーに飛び乗った。
午前10時15分、革命広場近くに到着。大勢のメイデーTシャツを着た人々がこちらに向かって歩いてくる。
ああ、終わってしまった……。ショック!
フィデルの演説はなかったときいて、少し救われた気がしたが、それにしてもショック。この日を特に楽しみにしていたMちゃんは僕以上にショックを受けているようだった。
メイデーTシャツを着た人が帰っていく……
革命広場は閑散としていた。
失意のまま2人でハバナ市内を散歩する。ハバナはかなり大きな街で、旧市街と新市街がある。旧市街を歩いていると、支倉常長の銅像を発見した。うーん、日本人は昔から世界中で頑張っていたんだなあ。
支倉常長像。
しばらく歩くと海に出た。キューバの海はバラデロがリゾート地として有名だけれど、このハバナの港はお世辞にも綺麗とはいえない。というより、汚い。なのに祝日の今日は、大勢のキューバ人が海に集まっていた。皆、生き生きとした表情を見せながら泳いでいる。
海岸沿いに歩いていくと、多くのキューバ人が気さくに話しかけてくる。カメラを見つけると、俺たちを撮ってくれと言い、デジカメの画像を見て歓喜している。昨日ラクダバスに乗ったときもそうだったけれど、この海岸もキューバが凝縮されているように思えてゾクゾクしてくる。
↑ちょっと左の君、やばいよその腹。
キューバで有名なモヒート。これは美味い。(ラム酒)
夜には「ナシオナル・デ・クーバ」というホテルで「エル・パリシャン」というキャバレーを観た。キューバのキャバレーというのは日本にあるキャバクラとは違う。客が食事をしながらステージで行われるショーを鑑賞するのだ。
戦後の日本にはそれと同じようなキャバレーがあり、特に港町横浜では多くの米兵がそこで金を落としていったらしい。ミュージシャンや踊り子が客をわかせ、ホステスがお客さんの相手をし、それぞれの店が趣向をこらして客を呼び込む。
ここのショーはホステスはいないけれども、さまざまな衣装を着た踊り子がラテンの血を存分に感じさせる踊りを披露し、歌い手が熱のこもった歌を熱唱する。ショーは2時間ほど続いたが、まったく飽きることもなく、総合的にかなりレベルの高いショーだった。以前ラスベガスで見たショーもよかったが、個人的にはこちらのほうが断然よかった。
チケットは30クック(4500円)。かなりの出費だったけれど、これでこのショーが見れたのなら全然おトクと思えるほど充実したものだった。
深夜1時すぎ、心地よい夜風を感じながら、幸せな気分で宿に帰った。
- 古都・トリニダーへ移動
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2007.05.02 Wednesday日本を出発してから103日目
ただいま9カ国目
キューバのトリニダーにいます
今日は朝早くから、一人でクバーナ航空のオフィスに向かった。5泊6日予定でとっていた航空チケットの日程変更をするためだ。
入国初日からキューバの魅力にとりつかれ、これは5泊では全然足りないと思っていた。そのあとの日程もかなり押しているので、本当なら5泊でぎりぎりだったのだけれど、何の迷いも無く3日延ばし、8泊9日にしてしまった。
こういう、そのときのフィーリングで日程を変更するのって、何かいい。多分後悔はしないだろう。
ハバナの街
キューバのおじさん。ちょっとヤバイ。
キューバの車はどれもかっこいい。
昼過ぎにはハバナからトリニダーに移動した。トリニダーはハバナからバスで東に5時間ほど移動したところにある町で、キューバの古都として有名だ。町自体はさほど大きくないのだけれど、観光地として多くの旅行者が訪れるという。
道路は石畳、その両サイドには薄手のかわいい色の住居が立ち並ぶ。なんかあったかい空気が流れている。
宿はバスターミナルに近いところにある「カサパルティクラル」(民宿みたいなもの)。2人で10クック(1人750円)とかなり安い宿を見つけることができた。
このへんもMちゃんのおかげ。初めてキューバに訪れた旅行者は、だいたいハバナだと25クック(3750円)、トリニダーでも15クック(2250円)の宿代に食事代がそれぞれ5クック(750円)必要となる。
この金額でキューバを楽しめずに出国するパッカーも多いと聞くが、こちらは交渉して1泊5クック、食事も1人1クック(150円)にしてもらった。
食事の1クックというのは、宿の人に「お金がない」といったら、「いくらなら出せる?」と聞かれ、特別に出してくれた料理だ。本当にいい宿に泊まることができてよかった。
宿の息子&トリニダーの町並み。
宿の娘。
夜中は町の青空サルサに挑戦。キューバサルサに圧倒されながら他の人の踊りを見守っていると、日本人がめずらしいのか、何人ものキューバ人がステップを教えてくれた。みんないい奴だ。たまにちょっとしつこいのもいるけどね。
ハバナからトリニダーへ移ったけれど、どっちの街も子供が元気、街が元気。嬉しくなった。
キューバの子供は野球が大好き。
- キューバの家庭
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2007.05.03 Thursday日本を出発してから104日目
ただいま9カ国目
キューバのトリニダーにいます
今日は1日、トリニダーの町をプラプラ歩いた。両替したり、人民ペソのレストランを探したり、土産物屋を物色したり……。
そのなかでも革命博物館で鐘衝き台から見たトリニダーの景色は心いやされる眺めだった。綺麗な色のレンガ(?)の屋根が並び、遠くには海が見える。何も考えないでしばらくボケーっとして時間をすごした。
「ブエノスディアス!」(おはよう!)
キューバのおじさんはオシャレだ。
大量のいかりや長介を発見!
カフェで生演奏
葉巻が似合うなあ。。。
世界遺産にもなっているトリニダーの町並み
タイガーです。(素顔は内緒で)
夕方には宿を移動した。本当にいい宿だったのだけれど、今日は別のお客さんの予約が入っていたそうで、やむなく宿替えをすることになった。
次の宿も2人で10クック。今の主人の友達のカサ(家)で、金額交渉もしてくれた。
この宿には少し長居する予定。主人夫妻とその息子夫婦、それにその娘姉妹が暮らす6人家族だ。
そのなかでも、3歳のセタマリアはだいたい家にいて、とても人懐っこい。僕のことを気に入ってくれたらしく、手をひっぱりながら「一緒に遊ぼう」と言ってくる。すましてみせたり、はにかんでみせたり、怒った顔をしてみせたり……。
一つ一つの表情やしぐさがかわいくて、このカサに滞在中、家にいるときはしょっちゅうこの子と遊んでいた。
しっかりもののお姉さん。
すべての動きがかわいい妹。
キューバの家庭もこれで3軒目。それ以外にもいくつかの家庭を見たけれど、どこの家庭にもテレビとオーディオと冷蔵庫がある。
社会主義国ならではの配給で与えられているのだろうか。テレビなどは情報操作という目的もあるかもしれないけれど、国民が豊かな気持になれるためのアイテムが各家庭にあるということはよいことだと思う。
夜中は昨日にひきつづきサルサに行った。ステップがよくわからないが、キューバ人のなかで踊っていると次第に楽しくなってくる。明日も行こっと。
黒人の踊りはなんかモノが違うんだよなあ。
おじさんのくせに踊りはなかなか。
- 馬トレッキングに挑戦!
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2007.05.04 Friday日本を出発してから105日目
ただいま9カ国目
キューバのトリニダーにいます
今日は馬トレッキングに挑戦した。昨日の夕方、街角でツアー会社の人に声をかけられ、8クック(1200円)までねぎって申し込んだのだ。
9時に集合場所に行くと、昨日ツアー会社の人と話している時にたまたま出会った日本人旅行者のHさん(35歳男性)がそこにいた。
「いや、本当は朝からハバナに行く予定だったんですけど、ちょっと気になっちゃって……」
というわけで、僕とMちゃん、それにHさんの3人の日本人に、欧米人4人の計7人でツアーに参加することになった。
ツアー会社の人が耳打ちしてきて、「ツアー代金は25クック(3750円)ということにしといてね」と言ってきた。どうやら他の欧米人はこちらが8クック(1200円)で参加しているツアーに25クック払って参加しているらしい。余りに得してしまって、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
町の外れまで歩き、そこから馬に乗って移動する。馬トレッキングは前々からやってみたいイベントだった。メキシコのサンクリストバルでもチャンスはあったのだけれど、結局時間がなくてできなかった。
そのチャンスがたまたま巡って来たわけだけれど、馬にまたがったこともなかったので、正直、かなり緊張していた。今回相棒となる馬は「ムラタマンゴー」。綺麗な女性に対する最上級のほめ言葉らしいが、この馬にその面影はない。むしろ疲れきった感じの馬だった。
馬に乗る。手綱さばきを教えてもらう。手綱を右に動かせば「右」、左に動かせば「左」、手前に引けば「ストップ」。この3つの動作だけ教えてもらった。レッスンはものの20秒で終了。「あとは1人でやってくれ」って、こんなんで大丈夫なんだろうか(Mちゃんのときはもっと親切に教えていた)。
でも、いざ馬に乗ってみると、馬のほうが動き方をよく叩き込まれているようで、勝手に正しい道を進んでくれる。
タイガーも頑張っています。
次第に慣れてきて馬を走らせる。景色もよくて気持いい。山を越え、草原を走り、途中の民家でキューバコーヒーやサトウキビジュースをごちそうになる。わずか1200円でいたれりつくせりだ。
キューバコーヒーは挽きたてで美味かった。
サトウキビジュースのおもてなし。
中間地点では滝で泳いだりして(水が干上がって湖みたいになっていたけど)、6時間にわたる盛りだくさんの馬トレッキングは終了した。
Hさんの滝壺ダイブです。
ムラタマンゴーよくやった。
今夜もやっぱり青空サルサ。会場に行くと、まだ人の少ない客席の前のほうに見覚えのある男を発見した。山田だ。ぽつんと一人さみしそうにタバコを吸っていた。しばらく後ろの席のほうから様子をうかがって楽しんでいたが、それも30分ほどで飽きたので合流した。奴は明日のバスでハバナに戻り、そこからメキシコシティに移動するという。
再会も4時間で終了。夜中の1時半には山田と別れて宿に戻った。
ゲバラのタトゥーをしてるおっさんに会った。
- ゲバラの参謀役の家を訪問
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2007.05.05 Saturday日本を出発してから106日目
ただいま9カ国目
キューバのトリニダーにいます
今日は昼すぎからビーチに行った。キューバのビーチといえばバラデロのビーチが有名だけど、トリニダーのビーチも綺麗という話を聞いていたので、近くのアンコンビーチに向かうことにした。
僕の中で海といえばやはり生まれ育った日本海。荒波のなか、岩場でもぐってアワビやサザエを取っていたころの印象が強い。なので、これまで「ビーチ」と呼ばれるリゾート地には国内外を問わずあまり興味を示さなかった。
南米ではブラジル、アルゼンチンでビーチを経験したけれど、ビーチ自体にはさほど感動することはなかった。
で、今回のビーチ。実はけっこう感動してしまいました。
なにせ、エメラルとグリーンのビーチを見たのが生まれて初めて。しかも水温は温泉みたいに温かくて気持ちよく、観光客が少なく地元民が多いというところもいい。
ビーチで身体を焼いたり、水に浸かったりして遊んでいたら、隣にいた家族連れが話しかけてきた。
「どこからきたんだい?」
「仕事は何をしているんだ?」
質問に答えながら話しているうちに、その家族の主、エディは以前フィデル・カストロの護衛をしていたという話になった。
「えっ、あのカストロの!」
Mちゃんとびっくりしていると、さらに彼は、
「うちの親父は昔、ゲバラと一緒に戦っていたんだよ」
と話してくれた。
「ええええっ、ほんとに!? それはすごい!」
僕もMちゃんもゲバラ好きなので更に驚いていると、
「親父は今も元気だから、よかったら家に話を聞きにくるかい?」
と、お誘いを受けてしまった。
うーん、これは思い切って行ってみるしかない。Mちゃんと相談して、今晩エディのお宅におじゃますることにした。
宿に帰り、色々聞きたいことを考える。そうそう、ついでに言うと、この日都合3度目の毛染めに挑戦。おかげさまでようやく茶色くなったかな。本当はシルバーにしたかったんだけどね。
夜9時半、宿を出てエディの家に向かう。宿のおじさんがエディの親父さんと知り合いらしく、「近いから一緒に行くよ」といって家まで案内してくれた。
歩くこと15分。エディの家に到着。エディ夫妻に歓迎をうけたあと、奥の部屋から彼の父親であるゴルバンが登場した。
鼻髯をたくわえ、優しそうに見える顔立ちながら目に鋭さを感じさせる。全体的には静かな雰囲気なのだが、部屋に入ってきた瞬間になんともいえないオーラを感じてしまった。いくつもの修羅場を乗り越えてきたからこそ出せる風格なのだろうか。
まず、最初に見せられたのが、彼とゲバラがツーショットで1面にデカデカと写っている新聞だった。
内容は、2人のロングインタビュー。どうやら彼はただ一緒に戦っていただけではなく、ゲバラの参謀役として、常にゲバラとともに行動していたようだ。他にも彼とゲバラが一緒に写っている写真がいくつもある。
凄い! こんな人と話ができるなんて!
彼は現在78歳。コンゴ、アンゴラ、パナマなどでもゲバラとともに戦ったが、コンゴで胸を負傷し、ゲバラが殺されたボリビアには同行できなかったという。ゲバラからは「ワシリ」という名で呼ばれていたらしい。感激しながらゲバラの人となりを聞くと、ゴルバンはゲバラについて静かに話しだした。
「彼は、とても静かな人だった。声を荒立てたりするようなことはなく、口調もおだやかだった。カストロとは一心同体で、言葉をかわさなくともお互いのことをわかっていたよ」
すごい人に会えた。いろいろと話を聞いた後、お礼を言って最後に写真をお願いした。すると彼は「写真はやめよう」と断ってきた。
過去の栄光を誇ろうともせず、心だけは今もゲバラと一緒なのだろう。本当にかっこいい人だった。
- 老兵78歳にしていまだ衰えず
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2007.05.06 Sunday日本を出発してから107日目
ただいま9カ国目
キューバのトリニダーにいます
本当は今日、トリニダーを出る予定だった。それが1日ずれたのは、昨日あったゴルバンが今日の夜、青空サルサでギターを弾くと聞いたからだ。
昼間はロマンティコ博物館に行ったり、土産物屋を物色したりして過ごし、夕方からは宿の娘、セタマリアと一緒に遊んで時間を過ごす。
民家で闇ルートの葉巻をゲット。銘柄は「COHIBA」です。
僕ら2人のためにゲバラの曲をひいてもらいました。
のりのりのマリア。
夜10時、今夜もまたMちゃんと青空サルサに乗り込んだ。
しばらくすると、生バンドの演奏が始まった。人ごみのなか昨日見たゴルバンの姿をさがす。
いた!
他の若い演奏者のなかに違和感なく入り、それでいて威厳をかんじさせる彼は78歳という年齢を感じさせず、ギターで主音声を弾いていた。近くにいってみると、こちらに気づいたらしく、目で合図を送ってくれた。
彼のギターに合わせてMちゃんとサルサを踊る。ゲバラと戦った時代の生き証人のギターに合わせて踊るサルサはなんか不思議な感じがした。
写真を撮ってもいいかときくと、うなずいてくれたので、何枚か撮らせてもらった。
トリニダー最後の夜が最高の形でしめくくれた。
- 「ハバナクラブ」と「コヒバ」
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2007.05.07 Monday日本を出発してから108日目
ただいま9カ国目
キューバのサンタクララにいます
今日はトリニダーからサンタクララに移動した。最初はサンタクララに移動する予定はなかったのだけれど、この町には「ゲバラ・メモリアルミュージアム」がある。ゴルバンに出会ったのも何かの縁、Mちゃんと相談して、これは立ち寄っておかねばということになった。
トリニダーの小学校。
午後2時半にトリニダーを出たバスは夕方5時半にサンタクララに到着。バス乗り場の近くに停まっていた馬車に乗り、セントロを目指す。
ちなみにこの町は急遽訪れることになったので、2人とも地図や資料はいっさい持っていない。わかっているのは、ゲバラ博物館がこの町にあるということだけだ。
馬車の運転手に話すと、ゲバラ博物館の場所を教えてくれ、宿も安いところを紹介してくれた。キューバの人は本当に優しい。めずらしく、言い値にチップをつけて渡しておいた。
宿に着き、そこで食事をとったあと、この旅で初めてゆっくりMちゃんと酒を飲んだ。明日はゲバラ博物館に言った後、Mちゃんと別行動になる。僕はハバナに戻って1泊し、そこからカンクンに移動する。一方のMちゃんはこの先3週間、キューバ内を移動しながら旅していく。
Mちゃんには色々とお世話になりっぱなしだったので、ひそかにトリニダーで仕入れていた「ハバナクラブ」を取り出した。「ハバナクラブ」はキューバで一番メジャーなラム酒。色々と種類があるのだけれど、今回は奮発して一番高い7年ものを入手していた。
こういう特別な時に金をつかうのは気持いい。Mちゃんもとても喜んでくれ、2人でグラスを傾けた。葉巻を吸う。銘柄は「コヒバ」。これもキューバで1番有名な葉巻で、カストロはこの葉巻を愛用しているという。
キューバのよさとこれまでの旅であったことを振り返りながら酒を飲む。特にゴルバンの話では盛り上がった。あまりに気持いいので酒がすすむ。葉巻もすすむ。いつのまにか酒がまわってロレツがまわらなくなってしまった。
というところまでは覚えているのだけれど…………。
この詳細は明日の日記で。
- チェ・ゲバラ・メモリアル・ミュージアム
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2007.05.08 Tuesday日本を出発してから109日目
ただいま9カ国目
キューバのサンタクララにいます
今日の寝起きは最悪だった。胸焼けがする。そして非常に酒臭い。
昨日はいつのまに寝たのだろう……。
Mちゃんに聞いてみる。
「○○君、昨日、すごかったよ」
ええっ! な、なにが……。
どうやら酒を飲みすぎて、夜中便所にこもってゲーゲーしていたらしい。
全く覚えていない。そういえばジーンズがオシャレな色に染まっている。
詳しいことはみっともないのでここでは差し控えることにして、とにかく「ハバナクラブ」で完全に潰れてしまったのだ。
さらに予想外の事態が。明日のハバナ発カンクン行きのチケットを確認してみると、なんと明日だと思っていた出発日が今日の日付だったのだ。
完全なる勘違い。出発まであと2時間しかない。ここはハバナではなくサンタクララ。もう完全に間に合わない。あわてて宿の人にお願いして、クバーナ航空に電話してもらい、出発日を2日後に変更してもらった。
あー、最悪だ。
二日酔いでヘロヘロになりながら、そしてMちゃんに呆れられながら、重い足を引きずって「チェ・ゲバラ・メモリアル・ミュージアム」に足を運んだ。
暑い、辛い、気持悪い。
ゲバラ、こんな体調で訪れる僕を許してちょうだい。
ゲバラ博物館はセントロから30分ほど歩いたところにあり、外にはゲバラの巨大な銅像が建てられ、サンタクララの町を見守っていた。
ミュージアムの中に入る。落ち着いた感じの室内には、ゲバラがアルゼンチンで生まれ、その後南米を旅し、カストロに出会い、革命の士となりボリビアで死去するまでの写真や資料が時代順に展示してあった。
大きく引き伸ばされた写真パネルを順に追っていく。すると、あの人物を発見してしまった。トリニダーで出会ったゲバラの参謀役ゴルバンだ。
ゲバラとカストロの間に入って、スリーショットで写っている。
うわ、ゴルバンだ! すごい! 彼はここまでの人だったんだ!
ゴルバンの写真はこの他にも何枚も発見した。しかもそのほとんどがゲバラと一緒。2人の関係を想像するだけで、ゴルバンと自分が実際に会って話したことに身震いがしてくる。
二日酔いをおしてこの博物館に来てよかった。そしてサンタクララの町に来れてよかった。
明日の朝は本当にハバナに移動する。2度もカンクン行きを延期したキューバともあと2日でお別れだ。
お昼寝タイムです。
夜中は地元のディスコに。
- 闇タクシーと闇宿
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2007.05.09 Wednesday日本を出発してから110日目
ただいま9カ国目
キューバのハバナにいます
朝7時半、宿を出る。キューバでさんざんお世話になったMちゃんともこれでお別れだ。残り1日半は一人でキューバを楽しむことになる。
バスターミナルまで歩いていき、ハバナ行きのチケット売り場を探す。チケットは20クック(3000円)だった。
でも、値段だけ聞いてすぐには買わない。このへんは今回の旅で学習したことで、この値段を把握したうえで、近くにいるであろう乗り合いタクシーを捜すのだ。こちらのほうが人数が集まれば安くなる。
15クックくらいなら見つかるだろうと思っていたら、思いがけず10クック(1500円)で声をかけてきたおっさんがいた。これは安い。すぐにオッケーしてしばらく待つと、ほかに2人の乗り合い客が見つかって出発となった。
車はタクシーではなくて普通の自家用車、つまり闇タクシーだった。どうりで安いわけだ。車は3時間半でハバナに到着。途中の検問でポリスに捕まり、僕のような東洋人が同乗していたために、闇タクシーではないかと疑われたようだったが、30分ほどで解放された。面倒くさいことにならずに助かった。
ハバナについてフラフラ町を歩いていると、後ろから日本語で声をかけられた。グアテマラのペンション田代で会ったC君だった。田代で直接話したことはなかったのだけれど、僕の顔を覚えていたらしく、声をかけてきてくれたらしい。
話を聞くと、彼はスペイン語の勉強のために中米・カリブを旅しているらしい。今日の予定はとくに決まっていないと話すと、すごく親切に市内を一緒にまわってくれた。
なぜかコイノボリが……。
更に、今日の宿をまだ取ってないのでいい宿がないか聞くと、自分が泊まっている闇カサを教えてくれた。
闇カサとは民家に勝手に客を泊めて金を稼ぐ違法の宿のことで、この国では禁止されている。通常は国に届出を出し、毎月ある金額を国におさめなくてはならない。この経費を削減するために闇で観光客を泊めるのだが、これが通常よりかなり安い。
ハバナでは一人で泊まろうとすると、通常20クック〜25クック(3000円〜3750円)はかかる。それが5クック(750円)で泊まることができた。普通、なかなか闇カサは見つけられない。かなりラッキーだった。
海外では、また旅では、いろんな人が助けてくれる。その助けなしで旅を続けることはきついし、こちらも困った旅人や日本人には力になってあげなくてはならない。
今回はC君に助けられた。昨日まではMちゃんに助けられ、キューバに来てからは多くのキューバ人に助けてもらっている。いつも助けてもらってばっかりだ。僕も誰かの力になりたいなあ。