- アマンタニ島でホームステイ
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2007.03.23 Friday日本を出発してから63日目
ただいま5カ国目
ペルーのアマンタニ島にいます
今日は6時半に起きて7時半に宿を出た。今日から1泊2日でチチカカ湖の小島めぐりをする。
ツアー代金は58ソル(2200円)。一泊と食事、それに英語ガイドもついていたので、まあまあお手ごろの値段だ。ちなみに今回もまた日本人は僕一人だった。
チチカカ湖の島はボリビアで太陽の島に行ったばかりなのだけれど、今回まわるツアーでは、ウロス島、アマンタニ島、タキーラ島の3島をまわる。
そのなかでも特に楽しみなのは、葦でできた島、ウロス島に行けること、それからアマンタニ島で現地の人の家にホームステイすることだ。
まずはボートに乗ってウロス島に向かう。琵琶湖の12倍あるチチカカ湖もボリビアで見たのとプーノから見たのではその表情が違っていて、プーノ沿岸の湖は緑色の藻だらけ。湖がそのまま緑色だ。そこをすぎると次は葦の群生のなかを進んでいく。
30分ほど進むと、最初の小島、ウロス島に到着した。ウロス島は葦でできた浮島だ。トトラと呼ばれる葦を束ねて浮かべ、葦が腐ってきたらその上からまた葦を敷く。ほうっておくと風が吹いて流されてしまうので棒を差して杭にしている。
この島は島自体も葦でできているけれど、民家も畑も船もすべて葦でできている。水道や電気はとおっていないが、そのなかで700人が生活している。それでも島内には学校や教会もあるからたいした浮島だ。
ひととおりガイドに説明を聞いて土産物屋を物色したあと、葦を束ねて作った船で移動した。(そこでいきなり船料5ソル、180円を請求される)
15分ほど船に揺られてウロス島の別の小島へ。そこでまた土産物屋をまわる。土産物屋は各小島にある。土産物を売るくらいしか生計をたてられないのだろう。
次にボートに乗り換えて3時間。次なる島アマンタニ島に到着したのは昼の12時半くらいだった。島に着くと、船着場には20人ほどの女性がいて、マントに帽子すがたで出迎えてくれた。彼女らが今回のホームステイ先の女将らしい。
20人のなかから、ガイドと現地のリーダーらしき男性が適当にステイ先をわりふっていく。全員のステイ先が決まってもまだ10人以上の女性が残っている。彼女らは今回は縁がなかったということなのだろう。寂しそうな顔をしていた。
僕のステイ先はテウロシャという女性の家だった。家についてみると、かなりのオンボロで、島内でもどちらかというと貧しいほうの家らしかった。
僕はオンボロ歓迎なので全く問題なかったのだが、何より嬉しかったのが、その家には5歳のワンネサと4歳のローレスという2人のかわいい姉妹がいたことだった。
家に着いてすぐ昼食の準備にとりかかったのだが、ワンネサはまだ5歳なのにナイフを持って芋の皮むきをしたり、カマを持って畑の草刈をしたりと精力的に働いている。こんな幼い子が刃物をもって危ないなあと思ったが、この島では小さい子でも家の手伝いをするのがあたりまえなのだろう。これは太陽の島と同じだった。
4歳のローレスは姉のワンネサにいつもついてまわって、そばで自分のできる仕事を手伝っている。これがまたかわいい。4歳の子も一家を支えているのだ。
4時に町の広場に集合してツアーメンバーで丘に登ったのだが、夕陽も雲に隠れて見えず、疲れるだけ疲れてステイ先に戻った。
夕食を食べたあとは、ここのかわいい姉妹ともすっかり打ち解けていたので、日本から持ってきた折り紙を出して、3人で一緒に遊ぶことにした。鶴とか手裏剣を折ってやると、最初は真剣な眼差しで、しだいにキャッキャいいながら自分なりに紙を折っていく。
遊んであげたというよりは、完全に遊んでもらったのだけれど、あんまり一緒に遊ぶのが楽しくて、本当は夜8時から広場の近くでツアー客が集まって踊りを見る予定だったのに、勝手にキャンセルしてこの姉妹とずっと遊んでいた。それほど楽しい時間だった。
ホームステイ先
しっかり者のワンネサ
お姉さんが大好きのローレス
草刈りの手伝い
アマンタニ島の家庭料理
日本の文化に挑戦!
現地の人の家にいってその生活に触れる、そこの子供と遊んだり、その家の手伝いをしたり、その家の家庭料理を食べたりする。半年前にベトナムに行ったときもメコンアイランドでホームステイをしたことがあるのだが、そのときも楽しくて楽しくて仕方がなかった。
今回の旅も機会があれば現地でホームステイしたいと考えていたのでこのツアーにも参加したのだが、思ったとおりというか、思った以上というか、ホームステイだけでこのツアーに参加した甲斐があった。ある意味めざす旅の形がここに凝縮しているのかもしれない。
この家に着いたのが昼の1時。明日の朝にはもうこの一家とも別れなければならない。さみしいなあと思いながら、真っ暗な部屋の床に入った。
- ハローグッドバイ
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2007.03.24 Saturday日本を出発してから64日目
ただいま5カ国目
ペルーのプーノにいます
6時起床。
外に出ると、お母さんのテウロシャはもうかまどに薪をくべて朝食の用意をしていた。
「オラ!」(やあ!)と声をかけると、「オラ!」と満面の笑顔を返してくれた。うーん、すがすがしい朝だ。
アマンニタ島の朝
15分くらいしてワンネサが、さらに5分くらいしてローレスが眠たそうな目をこすりながら部屋から出てきた。
一緒に食事の準備をしてパンとマテ茶をたいらげると、少女2人は昨日の折り紙が気になるらしく、鶴を空中で動かして遊んでいる。外に出て昨日作った手裏剣を飛ばして見せると、キャッキャッキャッキャいいながら僕の手から手裏剣を奪い取って二人で飛ばし始めた。
5つあった手裏剣を二人で分けて飛ばし、2回にあがって飛ばしたり、5つまとめて飛ばしたりして遊んでいる。飛んでいった手裏剣拾いはいつのまにか僕の役目だ。何度も何度も飛ばして、そのたびに飛び跳ねながら喜んでいる。子供っていいなあ……。
あっというまに7時半になって、あっというまに別れの時間になった。最後に記念撮影したあとで、みんなと一人ずつ握手した。テウロシャの皺だらけの手、ワンネサ、ローレスの小さなかわいい手が僕の手を握るたびに、切なくなってくる。もっともっとここにいたい。
「ハローグッドバイ」。旅をしていると出会ってもすぐに別れがくる。
この旅でも常にそうだった。仲良くなったバックパッカーが、宿主が、売店のおばちゃんが、会ったと思ったらサヨナラだ。慣れっこだったはずなのに、とくに今回は辛かった。この家族がこの先ずっと幸せに暮らしていければいいなと思った。本当に心からそう思った。
テウロシャは港まで見送りに来てくれた。
今日はこのあと3つ目の島、タキーレ島に渡り、島を練り歩いたあとプーノに戻った。タキーレ島では売り子をしている少女から1ソル(36円)でミサンガを買い(というか、なかば強引に押し売られた)、生まれてはじめてミサンガをつけた。
3時半にはプーノに到着し、今日はこれまで。明日のクスコまでのバスチケットを入手すると宿に戻ってのんびりしていた。
- 「世界のへそ」クスコ
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2007.03.25 Sunday日本を出発してから65日目
ただいま5カ国目
ペルーのクスコにいます
今日は朝8時の便でプーノからクスコに向かった。バスに揺られること7時間半、運良く眺めがいい右側の窓際の席がとれたので、さほど疲れることなく、クスコに到着した。(といっても、半分以上寝ていたけれど)
さらばプーノ。
インディヘナの子供たち
山の斜面に広告が
クスコは昔インカ帝国の首都だった町で、「クスコ」はケチュア語で「へそ」を意味する。つまり世界の中心だとインカ帝国を築いた人たちは考えていたのだろう。
3時半にバスターミナルにつくと、タクシーで宿まで移動した。今回の宿は「ペンション八幡」。チリのサンチャゴ以来、ひさしぶりの日本人宿だ。
この宿は昨日プーノで会った日本人バックパッカーが勧めてくれた宿で、一泊20ソル(700円)。ダブルの部屋を一人で使わせてもらえたので、かなり居心地がいい。
今回のクスコ行きの目的はもちろんマチュピチュに行くためなので、その情報入手のためにも日本人宿にしたのだが、着いたそうそう、すでにマチュピチュに行ってきた人からいろんな情報が聞けた。ここのところ毎日移動していたので、今回はこの宿でちょっとのんびりしようと思う。
ちょうど宿に着いた日に大勢の日本人がマチュピチュに旅立ったらしく、あまり日本人は残っていなかったのだけれど、久しぶりに日本語を思いっきり使えたことが楽しかった。この日は日本人4人で酒を飲みながら宿で夜遅くまで旅談義に花を咲かせた。
「世界のへそ」クスコ
- ペルーでもフォルクローレ
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2007.03.26 Monday日本を出発してから66日目
ただいま5カ国目
ペルーのクスコにいます
クスコ2日目。今日の予定はゆっくりすること。昨日まで6日連続で移動していたので、久しぶりに朝もゆっくり眠ることができた。
お昼すぎにセントロに出てぶらぶら歩き、市場や土産物屋を物色したあと旅行会社を何軒かまわった。
本当はリマに移動したあと、飛行機でイキトスに飛んで、アマゾンを堪能する予定だったのだけれど、ちょうどその頃はこちらの祝日とかさなって4連休になるので航空券や宿代が倍増するらしい。金銭的にちょっと苦しいので、今いるクスコ発のアマゾンツアーをとろうかと心が揺らいでいる。
クスコの中央市場。ここの市場かなりお気に入りです。
今日の昼食。1ソル(36円)。
…………。
おーい、起きろー。
夕方には近くの小高い教会に登ってクスコを見渡してみた。ラ・パスの街を見ていたからそれほど驚きはしなかったものの、小高い丘から街を見渡すというのは、景色がいいというのもあるけど、なんかえらくなったような気がして気分がいい。
眼下に豆粒ほどに見える家々でみんながせっせと動いているのをえらそうに見下ろしているのだ。今度東京に帰ったら東京タワーあたりから都内を見下ろして優越感にひたってやろう。いや、高級ホテルの上の階のスイートとかのほうがいいかな。無理だけど……。
クスコ。
夜中には日本人4人でフォルクローレを見に行った。フォルクローレはラ・パスで一度見ているのだけれど、あまりによくて3枚もCDを買ってしまった(3枚を合計しても400円ほどだけど)。これからラ・パスに行くという日本人にそのときのことを力説していたら、また行きたくなってしまった。
宿の八幡さんにいい店を聞いてみると、近くに15ドル(1350円)くらいで行けるお店があるという。知り合いの旅行会社でとれば12ドルにしてくれるというので、そこのお店に行くことにした。
前回ラ・パスで見たときは小さいお店でこじんまりとしていたけれど、今回はかなり豪華な大きなお店。観光会社と契約しているみたいで、ステージ正面の長テーブルには日本人観光客が大勢陣取っていた。
この旅をはじめてから、一箇所でこれだけの日本人と顔をあわせたのはたぶん始めてだろう。そのことを一緒に来ている日本人パッカーに話したら、「心配しなくても、マチュピチュに行ったらこれ以上の日本人に会えるよ」と返された。
ビュッフェ形式だったので、貧乏根性でメチャメチャ皿に料理を盛ってテーブルに戻ったのだが、これだけでペルーの色々な味が楽しめた。これでショーがついて12ドルは安い。
8時半にフォルクローレが始まった。男女2人ずつ、4人でステージを使って踊るのだが、今回は前回とちがって、踊り子さんが毎回かわっていたので、つづけざまに5組の踊りを見て、次の楽器演奏に入った。
フォルクローレには大きくわけて2つの種類があるらしい。一つは前回ラパスで見たような昔ながらの曲を演奏するフォルクローレ、もうひとつは今回のような別の音楽やテンポを取り入れていく新しいフォルクローレ。こちらのほうは機材も最新の性能のよいものを使っている。
僕はどちらかというと昔の古典的なほうが好きなのだけど、今回はモーツアルトやベートーヴェンの曲もフォルクローレにアレンジして演奏してくれた。これはこれでなかなか楽しかった。
途中、定番の「コンドルパサー」を演奏してくれた。この曲は何度聴いてもいい。前回同様全てを忘れて聴きいってしまい、気が付いたらあぶなく涙を流しそうになっていた。
豪華ディナー
今回のフォルクローレもよかったなあ。あえて残念だったことを言うと、ショーが一番盛り上がっているときに日本人ツアー客が大量に退席してしまったことだ。スケジュール上仕方ないことだとは思うけど、もったいないし、会場が盛り下がってしまったことが残念だった。
宿についてからは、一緒に行ったメンバー4人で今日の話などで盛り上がり、1時くらいに部屋に戻った。
寝る前に宿に置いてあった「はだしのゲン」を久しぶりに読んだのだが、読みすすめていくうちに思わず枕を濡らしてしまった。フォルクローレでは我慢してたのに……。
- 待ち人あらわる
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2007.03.27 Tuesday日本を出発してから67日目
ただいま5カ国目
ペルーのクスコにいます
クスコ3日目。今日もやっぱりのんびりデー。9時頃に起きて、午前中は今日の朝マチュピチュから帰ってきた日本人旅行者に情報を聞いていた。
そのなかに面白いバックパッカーがいた。D君といい、僕と同じ30歳。日本を歩いて一周し、そのあと自転車でも日本をまわったという。で、今回は世界一周らしい。ここに来る前はプーノでは犬にかまれて大変だったという。
話を聞いていくと、日本一周をしていたときは、わが故郷島根県にも訪れて温泉津温泉で現地の人にお世話になったという。他にも島根県については色々と知っていて、他県の人でこれだけ島根に詳しい人には初めてあったかもしれない。世の中には面白い人がいるもんだ。
今日は夕方に待ち人がクスコにやってくる。ブラジルのサンパウロとサルバドールで出会ったNさんだ。前に別れたときに途中のルートがかぶりそうだったので、できたらどっかで飯でも食いましょうといっていたのだが、ちょうどクスコでルートが合うので合流し、一緒にマチュピチュに行くことになっている。
夕方まで時間があるので、同じ宿のSさんと12角の石(よくわからないけど、とりあえずすごいらしい)を見たあと、市場に食事に行った。昨日も行ったのだけど、ここの市場はいい。歩いているだけで楽しくなる。
12角の石
ピューマの石。ピューマの形が隠れているらしい。
夕方5時半、Nさんが「ペンション八幡」にやってきた。久しぶりの再会。とりあえずこれまでの旅の報告会がてら近くのレストランで食事をした。サンパウロとタイ好きのNさんは現在34歳。5年前に仕事をやめて定期的に旅に出ているという。とても人のいい、話しやすい人で、ご自慢のタイ情報をいっぱい聞きながら飯を食った。
明日はいよいよマチュピチュ村に出発する。「天空の城ラピュタ」のモデルになった「天空の城」とはいったいどんなものなんだろう。
- マチュピチュへ出発!
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2007.03.28 Wednesday日本を出発してから68日目
ただいま5カ国目
ペルーのマチュピチュにいます
今日はいよいよマチュピチュへ出発する。昨日のうちに列車のチケットが取れなかったので、早起きして駅にチケットを買いにいった。
クスコからマチュピチュ村までの列車は往復チケットで69ドル(8000円)。これはかなり高い。しかもそれは一番安い列車で、時間も夜中出発しかなく、時間にしてわずか3時間ほど。
遺跡保存資金だか、人気スポットを利用した金稼ぎだか知らないけれど、ちょっとぼっていませんか、というかんじなのだ。
それならば、こちらもそれなりに対応策はある。
簡単にクスコ→マチュピチュ村のチケットを入手しようとはしない。ちょうどその中間点にあたる町、オリャンタイタンボまでミニバスで移動して、そこからマチュピチュまでの往復チケットを入手する。これだと、往復で44ドル(5000円)。オリャンタイタンボまでは5ソル(190円)だから3千円近くうく計算になる。
これらは日本人宿の情報ノートと旅先で会った日本人バックパッカーからの情報で、やっぱりクスコで日本人宿に泊まったのは正解だった。
日本人宿に泊まってよかったことはもう一つあった。同じ宿に泊まっていたSさんを半ば強引にジャングルツアーにひきいれることに成功した。
値段や日程などを考えると、やっぱりクスコからジャングルツアーに参加したほうがよさそうなかんじ。ここのところ日本人一人でツアーに参加してばかりいたことと、今回は3泊4日のツアーということもあって、話相手になってくれる連れを探していたところだった。
福岡県出身の彼女は僕より年上なのだけれど、すごく話しやすくていいかんじ。彼女がしゃべる博多弁は聞いていて癒される。唯一の弱点はゴキブリが大嫌いということで、ゴキブリの出そうな国は避けてとおるというくらい徹底している。
アマゾンにゴキブリがいることを気にして最初は悩んでいたのだけれど、いろんなツアー会社に聞きに行ってゴキブリはとりあえず大丈夫(ホンマかいな)ということがわかり、せっかくの機会だからというのでジャングルツアーへの参加を決めてくれた。彼女の大好きな「TANGO」というワインをプレゼントしたのが効いたのかもしれない。
今日は夕方にクスコを出ればよかったので、それまでの間に2人でいろんなツアー会社をまわって情報入手と値段交渉をした。結局、プエルト・マルドナード3泊4日というツアーに決定。飛行機を使うので値段がはって、1人372ドル(4万3千円)を支払った。
今日はこれから僕だけがマチュピチュに出発する。彼女は特に予定もなく、クスコに足止めさせてしまうことになってしまうのだけれど、笑顔で送り出してくれたのが嬉しかったし、少し申し訳ない気もした。この先、何かの形で恩返ししたいなと思った。
ジャングルツアーの予約も入れて、Nさんと午後5時にバスでクスコを出発、まずはオリャンタイタンボに向かう。6時半に到着して8時の列車に乗り込みマチュピチュ村へ。現地に到着したのは9時半くらいだった。
とりあえず事前情報で聞いていた「TUMI」という宿を見つけて、チェックイン。1泊10ソル(360円)と格安だった。明日の天気は少し心配ではあるけれど、とりあえずNさんとビールを飲んで床に入った。
- 雨の中、ワイナピチュへ
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2007.03.29 Thursday日本を出発してから69日目
ただいま5カ国目
ペルーのマチュピチュにいます
心配が的中した。朝7時に起きて窓を開けると、あいにくの雨。しかも結構な雨だった。
帰りの列車のチケットを明日で取っていることと、明日帰らなければジャングルツアーに行けなくなるので、雨は降ろうとも今日中にマチュピチュに向かわなければならない。
Nさんと朝食を食いながら雨のやむのを待つ。かなり小雨にはなったものの、雨雲はいっこうに顔色をかえようとせず、霧も濃い。とりあえず9時半くらいのバスでマチュピチュに向かうことにした。
このマチュピチュまでのバスは往復で12ドル(1350円)。たった30分の距離なのに、やはりここでもいい金額を要求してきた。
マチュピチュ村
10時にマチュピチュに到着。雨は霧雨が続き、おまけに霧は濃い。おかげでせっかくの景色もほとんど見ることができない。マチュピチュの天気は変わりやすく、午前中は曇りとか雨でも午後には回復することが多いという情報を得ていたので、とりあえず入って様子をみることにした。
入場券は40USドル(4800円)。この値段は最近1・5倍になったというが、裏情報では来年100USドルに値上がりするという。マチュピチュに行きたいみなさん、お早めに。
マチュピチュを見るのには、ひとつひとつ遺跡をまわりながら楽しむ見方と、全体がみわたせる場所にいってその景色に感動するという見方がある。
僕は後者のほうを楽しみにしていたのだけれど、なにせこの雨と霧。一応、ガイドブックを見ながらマチュピチュの遺跡を見てまわったものの、全然ものたりない。マチュピチュは遺跡自体よりも、こんな場所にあるというのがすごいと思っていたからだ。
マチュピチュの全景を見る場所は2箇所あって、遺跡の敷地内の一番高いところに行って見るのと、近くにあるワイナピチュという山にトレッキングして、そこからマチュピチュを見下ろすパターンがある。
12時まで待ってみて、一応雨が小ぶりになったので、せっかくだからワイナピチュに登ってみることにした。
この山、標高はそれほどでもないけれど、登りの斜度が尋常ではない。道幅も狭く、山側に張ってあるロープをたぐりよせながらでないと登れない箇所がいくつもある。
途中、何度かマチュピチュを見下ろしてみるものの、霧が濃くてほとんど見えない。たまに霧の切れ目に少し顔をのぞかせるくらいだ。
マチュピチュ到着
霧に隠れた「天空都市」
この斜度は結構きつい
マチュピチュは「空中都市」と言われ、15世紀から16世紀にかけて建造されたと言われている。しかし、遺跡跡には2000年前に建造された部分もあり、その建造目的ははっきりしていていない。
1532年にフランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍によってインカ帝国は征服され、街は破壊されたが、マチュピチュは孤高の町であったため見つかることはなかったという。
マチュピチュが見つけたのはのはアメリカの歴史学者で、それが1911年だから、まだ発見されてから100年もたっていない。
マチュピチュの麓から、ワイナピチュの高嶺からマチュピチュを眺めていると、よくもまあこんな場所に造ったなという、それも納得できるような天空の都市だった。
1時間かけてワイナピチュの山頂にたどり着いたけれど、依然小雨は続いている。頂上の岩にも一応登ってみたけれども、雨も降っていて危険きわまりなく、這いつくばって移動するような状態だった。
毎年、この山で足をすべらせて亡くなる旅行者がいるという。そんななか一緒に登っていた欧米人たちは岩の上をぴょんぴょん飛びながら移動していく。さすが欧米人だ。
結局、ワイナピチュからは霧の晴れたマチュピチュは見ることができなかったが、頂上に到達した達成感と、この山の山頂部分にも建造物をつくっている文明のすごさを知れたことでワイナピチュに登った意味はあったと思う。
3時くらいには山をくだってマチュピチュまで戻り、高台に登ってみたが、ちょうどそのころからやっと霧が晴れてきて、夕陽に照らされたマチュピチュを見ることができた。
ぼけっとマチュピチュの町を眺めていると、ついつい魅入ってしまう。宮崎アニメ「天空の城ラピュタ」がモデルになっているというので、一度は行ってみたいとは思っていたけれど、最後の最後でマチュピチュが顔をだしてくれてホントよかった。
このころからやっと晴れてきた
後ろの山がワイナピチュ。頂上まで登りました。
リャマとマチュピチュはペルーの代名詞です。
その日はかなり疲れていたので、町にもどってちょっと豪勢なディナーをとった。出されたビールがきんきんに冷えていたことも嬉しかったが、出てきたグラスが冷えていたことにはめちゃめちゃ感動した。この旅はじまって以来、初めてのことだ。今日はほろ酔い気分でいい眠りにつけた。
- 200万円返却おめでとうパーティ
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2007.03.30 Friday日本を出発してから70日目
ただいま5カ国目
ペルーのクスコにいます
今日は朝5時45分の列車に乗ってマチュピチュを出た。一番安いチケットがこの時間しか出ていないのだ。
行きと同じようにオリャンタイタンボまで列車でいき、そこからクスコまでバスで移動した。荷物を預かってもらっていた「ペンション八幡」にたどり着いたのはまだ午前9時15分だった。
昼飯をNさん、それにバンブーさんと食べに行く。バンブーさんは恰幅のいい日本人旅行者で、いつもパンダのぬいぐるみを持って旅を続けている人だ。クスコにつく前にも何人かの日本人旅行者にそういう人がいるという話は聞いていたが、ここクスコで同じ宿になることができた。
バンブーさんは昼飯にもぬいぐるみを持ってきていた。なんでも写真をとるときに景色とあわせて、そのぬいぐるみを被写体に使っているらしい。最初はどんなひとだろうと興味津々だったが、話してみるといたって普通の人だった。
日本料理屋「きんたろう」で食事をすませ(チキンカツ卵とじ丼、11ソルはかなりうまかった)、一人で郵便局に行った後、ネット屋に行く。ホットメールをひらいてみると、ついに待ちに待ったメールが届いていた。
シティバンクからの200万円全額返済のメールだ。
スキミングされてから1ヶ月。手持ちの米ドルもそろそろ残りわずかになっていたので、本当に救いのメールだった。まだ口座がとめてあるので現金の引き出しはできないけれど、とりあえず200万円返ってくることがわかって、飛び跳ねたい気分だ。
これまでの1ヶ月の旅でかなりの人に心配してもらっていた。自分では、まあなんとかなるでしょ、と思っていたのだが、内心は結構心配で、つねに不安を抱えながら旅を続けていた。
宿に帰ってみんなに報告する。ラパスで同じ宿だったJちゃんも「ペンション八幡」にちょうど来ていて、彼女にも心配をかけていたし、マチュピチュに一緒にいったNさんや、今度ジャングルに一緒にいくSさんにも色々と心配してもらっていた。
あまりに嬉しかったので、今日は僕のおごりで宿の宿泊者全員で「200万円返却パーティー」をすることにした。
さすがに全員分の費用をレストランで支払うのはきつかったので、何人かで市場に行って食材を入手し、それで鍋パーティをすることにした。クスコは標高の関係で沸点が80度くらいだという。なかなか野菜や麺類がやわらかくならず心配していたけれど、みんなで持ち寄った調味料を駆使して、かなり上出来の鍋が完成した。
総勢8人で夜遅くまで酒を飲みながらいろんなことを話した。2年間旅行している夫婦や、南米を1年以上旅している32歳の女性、僕と同じように仕事を辞めて世界一周をしているA君……。それぞれの旅をみな満喫しているようだった。最年少が29歳と年齢が若干高めであったのも落ち着いた雰囲気でよかった。
旅を始めて2ヶ月ちょっと、いろんなことがあったけど、ひょっとしたらこの日が一番楽しい夜だったかもしれない。
今回の会に参加していないこれまでに会った旅行者のみなさん、心配してくれて有難うございます。無事に200万円返金されました。これで旅が続けられます。
- アマゾンツアーに参加
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2007.03.31 Saturday日本を出発してから71日目
ただいま5カ国目
ペルーのプエルトマルドナードにいます
今日からアマゾンツアーに参加する。アマゾンといえば、僕のイメージではやはり開高健の「オーパ!」。
未開の地ジャングルのアマゾン川で釣りをするという当時ではセンセーショナルな企画でベストセラーになった作品だ。以前、編集者時代に開高さんと一緒にアマゾンに行った人の本を作ったことがあったので、今回の世界一周のなかではかなり楽しみにしていたイベントだった。
朝6時にツアー会社の人が迎えにくるというので、5時半起きしてSさんと待つ。30分遅れでやってきた男性は近くの通りまで連れて行っただけで、あとはタクシーで行けという。金はあとで返すといっていたけれど、なんかすごくいいかげん。
このツアー会社は値段が安く、パンフレットなどもしっかりしたものがあったので、大丈夫だろうと思って参加したのだけれど、バウチャーを宿まで持ってくるといって持ってこなかったり、時間にルーズだったりと手に負えない。
まあ、ペルーはこんなところだと耳にしていたのでそう憤慨することもなかったけれど……。
飛行機はクスコの空港から1時間ほどでプエルトマルドナードの空港に着いた。空港ではSさんが200万円返ってきたお祝いにワインを買ってプレゼントしてくれた。
空港からバスで移動して市場をまわったあと(そこで虫除け対策に香取線香を入手)、アマゾン川をボートで2時間揺られて宿泊地のロッジを目指す。
アマゾン川は全世界の河川の水量の約5分の1を占めるといわれ、河口の幅は320キロ、乾季と雨季で水量が全然違うらしいが、まあとにかくデカイ。
今回訪れたアマゾン川は本流のアマゾン川ではなく、その支流にあたるのだが、やはりそれでもデカかった。見たかんじは去年ベトナムで訪れたメコン川と似ている気がした。
ロッジに着くとまず昼飯を食う。美味い。ここはとくにフルーツが美味い。マンゴーからスイカから、何かよくわからんものまでやたら美味い。
ボリビア、ペルーで食べたフルーツは土が痩せているせいか、東南アジアで食べたフルーツほど美味くはなかったけれど、さすがにアマゾンは土が肥沃なせいか、ジューシーでありながら味は濃密、口の中で溶けるようなかんじだった。
宿泊場所は旅行者ごとに分かれたバンガロー。Sさんと二人で一つのバンガローを使え、ハンモックもあってなかなかいい感じだった。Sさんはゴキブリのことばかり気にしていたけれど……。
バンガローの下で昼寝していたアリクイ。
この日は午後3時から近くのモンキーアイランドというところにいってサルを見て、夜はクロコダイルを見にアマゾン川をナイトクルーズした。
モンキーアイランドのサルは餌をもらえるのがわかっているようで、全く人間を恐れず近づいてくる。あまりに人慣れしすぎていてちょっと引いたけど、まあ面白かった。
クロコダイルの方は一応3匹ほど(そのうち2匹は頭だけ)見ることができたが、まあ特別よかったというわけではなかった。クロコダイルよりも夜中のアマゾン川をボートで下ったというのがよかった。
どでかいアリの巣
木の上に作られたアリの巣
バンガローは夜10時には電気がとまる。疲れていたのもあったけど、日本でもありえない10時という時間に(日本だと深夜3時とか4時に寝ていたので)寝てしまった。
- 大雨の中、ジャングルクルーズ
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2007.04.01 Sunday日本を出発してから72日目
ただいま5カ国目
ペルーのプエルトマルドナードにいます
ジャングルツアー2日目。日本では新年度がはじまる日であり、エイプリルフールでもある。新年度のスタートの日から嘘つきデーかよと昔から思っていたけれど、今思うと、まあそんなのもいいのかもしれない。
今日は朝5時に起きてジャングルを探検する。昨日が10時消灯なので朝早いのもそんなに苦痛でなく、朝飯を食ってジャングルの中に入っていった。
探検といっても、よくテレビなどで見る密林の草をかきわけながら危険覚悟でまわる探検ではなく、ガイドの人の案内で色々な生物、植物の説明を受けながらまわるのツアーだ。
参加者は黒人の親子とやたら図体のデカイ欧米人カップル(男性は2メートル近くあり、Sさんと一緒にフランケンという渾名をつけた)、それに僕たち2人の計6人。ガイドの人の先導でまずはジャングルを7・5キロ歩いた。
これがフランケン。
途中でアリの巣やタランチュラ、モンキーなどにも出会ったけれど、ジャングルへの憧れが強かったぶんだけ、ちょっと拍子抜けした感じだった。ジャングルとは危険であり、苛酷であり、恐ろしいものという固定観念が強かったからだろう。
アマゾンのカエル
タランチュラ
アマゾンのカエル その2
まあ、いついってもすごい生物に出会えるというのは、これはこれでおかしな話ではあるし、それこそ死人が出ようものならツアーとしてなりたたないわけだけれど……。
7・5キロ歩いた後は30分ほどボートで沼をまわり、そのあと中間点でひと休みした。そこには階段がついていて幹の上までいける巨木があったのだが、そこから見下ろすアマゾンはなかなかいい眺めだった。
そのあとは、みんなでボート(カヌーみたいなかんじ)を漕ぎながら細長い川を下っていったのだけれど、漕ぎ出してすぐくらいにいきなり大雨が降り出した。これがアマゾンの雨なのかというような強烈な雨で、さっきまで晴れていたのがウソのようだった。
漕ぎ手がオールを動かし、残りの人間はボート内の水をバケツで外にかきだす。全員パンツの中までびっしょりになりながらも、1時間かけてなんとか岸にたどりついた。
そこからはさらにぬかるんだ道を1時間ほどすすみ、下半身ドロだらけになりながら、なんとかロッジにたどりつくことができた。
(※あまりの大雨でカメラが出せず写真なし)
今までちょっと肩透かしをくらっていたアマゾンツアーだったけど、さすがに自然は嘘をつかない。安全な、快適な、いたれりつくせりのアマゾンもいいかもしれないけれど、全身びしょ濡れ、疲労困憊になったアマゾンはそれよりずっと充実していた。
バンガローに帰ってすぐに水シャワーを浴び、その日はSさんとともに昼間から爆睡した。夕方からも今日の疲れが残っていて、覚えているのは食事をしたことくらい。Sさんにもらったワインをちょっと飲んで、10時すぎには深い眠りについた。