- ブラジル入国と3人目の野郎
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2007.02.06 Tuesday日本を出発してから18日目
ただいま3カ国目
ブラジルのフォス・ド・イグアスにいます
今日はいよいよ3か国目、ブラジルに入国する。最初の目的は昨日見に行ったイグアスの滝を今度はブラジル側から見てやろうというもの。国境をはさんですぐのフォス・ド・イグアスという町に移動する。
ブラジル入国にはビザが必要で、その取得は結構面倒くさいのだけれど、今回は日本で取得してきたので何の問題もなく入国できた。
プエルトイグアスのバスターミナルで一人の日本人バックパッカーと遭遇した。彼は根岸君といい、23歳。去年の12月から世界一周航空券を使って世界一周をしている。
世界一周航空券。この厚みです。
根岸君は男前の好青年(使用前)。
今回の僕たちの世界一周も実はこの世界一周航空券を使ってのものである。世界一周航空券とは、格安で世界一周できてしまうお手軽な航空券のことで、いくつかの会社が出している。
今回使用したのはワンワールドの世界一周航空券。色々とこまかい規則はあるのだが、簡単にいってしまうと、提携しているいくつかの航空会社の航空券なら20回まで世界中どこへでもいけるという夢のような航空券である。使用期間は1年。ワンワールドの場合は大陸の数によって値段がかわってくるのだが、今回の僕らの場合は5大陸で43万円くらいだった。
日本と南米の往復航空券が安いものでも25万円くらいするから、それを考えればかなりお得な航空券ということがいえる。しかもこの航空券は一応正規の航空券として認められているので、マイレージも普通に加算することができる。
根岸君に話を聞くと、彼もワンワールドの世界一周航空券だという。自然、仲間意識が生まれ、フォス・ド・イグアスの宿をともにすることになった。3人目の野郎である。
宿はバスターミナルに呼び込みに来ていたオヤジに連れられていったホテルが3人部屋で1泊70レアル(3700円。一人あたり1250円くらい)だったので、そこに決めることにした。
夕方になり外に食事に出る。宿の近くのビュッフェ形式の店を選んで入ったのだが、どの料理も美味く、特に店員さんが各テーブルをまわりながら削いでくれる肉が抜群に美味かった。
根岸君は面白い奴だった。今回の旅を自分探しの旅と位置付け、精神的にヘコんだりしながらも、これから変化するであろう自分に期待しながら旅を続けているという。話していても23歳という気がしない。逆に自分が23歳だったときはどうだったろうと考えてみると、彼が若い頃からいかに物事を考え、葛藤してきたかがわかる。
美味い料理と楽しい会話。すっかり時間を忘れ、気が付いたらけっこうビールを飲んでいた。明日は3人目の野郎も一緒にイグアスの滝を見に行くことになった。
この肉は美味かった。
注意:根岸君は別に危ない人ではありません。
- 悪魔の全貌が明らかに
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2007.02.07 Wednesday日本を出発してから19日目
ただいま3カ国目
ブラジルのフォス・ド・イグアスにいます
今日は根岸君をメンバーに入れてパワーアップしたパーティーでイグアスの滝をブラジル側から眺める。
バスターミナルに行く前に現地の旅行会社に寄る。あと10日に迫ったブラジル最大のイベント“カーニバル”を見るべく、航空券を取得するためだ。期間中のチケットは高いだろうし、もう残っていないかと思っていたのだが、意外にあっさりゲットできた。
取得した航空券は以下のとおり。
・サンパウロ→サルバドール(179レアル/11000円)
・サルバドール→リオデジャネイロ(249レアル/14000円)
・リオデジャネイロ→サルバドール(138レアル/7500円)
本当はサルバドールでカーニバルを見る予定だったのだけれど、うまくチケットが手に入ればサルバドールとリオデジャネイロの両方で見られることがわかり、急遽予定を変更して航空券をとったのだ。
これを教えてくれたのが、ブエノスアイレスの日本旅館で同部屋だった熊ちゃんこと熊本フミさん。うまくいったらサルバドールで会おうということになっている。かなりの強行スケジュールになるが、まあなんとかなるだろう。ケセラセラ。
イグアスの滝にはバスで30分ほどで着いた。入場料20レアル(1100円)を払ってなかに入る。園内無料バスに乗って10分、そこから歩くこと30分でブラジル側の絶景ポイントに到着した。
昨日アルゼンチン側から見た悪魔の喉笛を遠くに見やり、その周囲にある多くの滝を一望できるそのポイントは一昨日見たアルゼンチン側とはまた違う良さがあり、僕はどちらかというと、こちらの眺めのほうが好きになった。
イグアスの滝については、あまり言葉で説明しても仕方ないので、これくらいにして写真を見てもらおう。写真を見てもらっても伝えきれないのがもどかしくはあるのだけれど……。
ブラジル側は、アルゼンチン側のほぼ半分の時間で見終わり、早めに市内に戻ることにした。とりあえずぶらぶらしてスーパーマーケットを発見。スーパーマーケット好きなので、2人を付き合わせて店内を探索した。
今日はこれから19時半の夜行バスでサンパウロに入る。15時間のバス移動だけどもう慣れっこだ。宿代が1日浮くので夜行バスもなかなかいい。バスにゆれながらでも、いくらでも寝れる人なので。
現地のスーパーマーケット。
こっちのスイカはバカでかい。でも甘味があってなかなか美味い。
- 東洋人街で日本の味をかみしめる
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2007.02.08 Thursday
日本を出発してから20日目
ただいま3カ国目
ブラジルのサンパウロにいます
昨日フォス・ド・イグアスを出発したバスは15時間かけてサンパウロに到着した。これまで乗っていた豪華バスとは違って席も狭く居心地が悪い。寝づらかったこともあって、隣の座席の根岸君と話す。
話はだんだん深いところまでいって、旅のこと、仕事のこと、日本にいたときには全く話さなかったようなことを、とめどなく話す。今まで人には隠していた弱い部分も話す。
23歳と話す。これが旅にでているもの同士だから話せるのか、彼の人柄が話させるのかよくわからないが、結局気が付いたら5時まで話していた。
11時にバスはサンパウロに到着。ちょうど同じバスに乗り合わせていた日本人女性のハナコさんがサンパウロの日本人宿「ペンション荒木」に泊まっていて、そこから来たと聞いたので、それじゃあというわけで一緒に宿まで連れて行ってもらうことにした。
何日か前の日記で、日本人宿はちょっと……ということを書いたが、さっそく来てしまった。目前に迫ったカーニバルの情報が欲しかったことや、ブラジルは治安が悪いと聞いていたこともあるが、正直、楽というのが一番の理由……。
サンパウロ市内
「ペンション荒木」。日本人宿の看板はどこもひっそりと。
談話室でひとしきり旅話をしたあと、すぐ近くの東洋人街へ。多くの日系人が暮らすここサンパウロでは、当然日本のものも豊富にそろっている。いたるところに日本語の看板が掲げられ、スーパーではのり巻きやから揚げ弁当が当たり前のように売られている。
チャイナタウンとはまた違った匂いのする町で、すっかり気に入ってしまった。
夕方、山田と根岸君と一緒にはりきって日本料理屋を探す。
海外に来てまで日本料理を食うというのは本来あまり好きではない。少々まずくても、現地の人が普段食べる料理を食べたいというのがある。けれど、ここは世界でも数少ない日本人町。
地球の裏側にある日本人町ではいったいどんな日本料理が食えるのか? どのような店が出店しているのか? 調査という観点からも、正々堂々と胸を張って日本食を食べられる土地だ。
数的にはすし屋や割烹料理屋が多い。とりあえず中に入って店の雰囲気とメニュー、その値段を見るのだが、多くの店が高級感あふれるつくりで、日本でもかなりグレードの高い部類に入る。
メニューは日本にあるものと同じものがかなりの数あったが、その値段がとても安旅をしている人間には手も足もでない。日本円に換算しても、日本とほとんど同じくらいの値段だ。
いくつかの店をまわってみたが、だいたいがこんな感じ。仕方なくラーメンでも食うかということになり探していると、面白い店を発見した。
「ラーメンハウス&居酒屋」。店先に出してあるメニューを見ると値段も手ごろ。本来はラーメンを中心とした定食屋みたいだが、サイドメニューで一品料理も多い。
まずお決まりの瓶ビールを頼み(4レアル、200円)、冷奴、野菜炒め、揚げシュウマイ、串カツ、トンカツなどをオーダーする。
まだ日本を離れて20日だけれど、美味い。とにかく美味い。特に野菜炒めは日本で食っていたものとさほど変わらないのだろうけど、とびきり美味かった。そのほかにも、トンカツの添え物のキャベツが美味い。冷奴に載っている生姜が美味い。
根岸君などは「旅を始めて2ヶ月だけど、この旅で1番美味いかもしれない」と言うくらいに喜んで、普段そんなに食わないのにご飯を3杯も食っていた。
飯が美味けりゃ話もはずむというわけで、この夜は3人で大いに盛り上がった。が、なぜか会計を終わらせて店を出ようという時、僕のサンダルの両足の鼻緒が外れるという信じられないハプニングが起こった。
不吉だ。これはかなり不吉だ。
しかも外は雨。雨の中、サンパウロの街を裸足で、しかも両手に鼻緒の取れたサンダルをもって歩く姿はさぞかし異様だったろう。夜中はただでさえ治安の悪い場所なので、びくびくしながら宿まで帰った。運良く足の裏は無事だった。
でも、さすがにこれは不吉なので、明日はあまり宿から出ないようにしようと思ったのでした。
日本料理屋。トンカツと野菜炒めは美味かった。
サンダルの鼻緒が両方とれ、かなり怪しい人でした。
- 旅はけっこう忙しい
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2007.02.09 Friday日本を出発してから21日目
ただいま3カ国目
ブラジルのサンパウロにいます
旅というのは忙しい。これは旅を始めてからわかったことだけれど、本当に予想以上に忙しい。のんびり旅を楽しむ余裕がまだないというのが現状だ。
とにかく、やらないといけないことが多い。
まず、自分で洗濯しないといけない。洗濯機など使えないから手洗いで衣類を洗い、しっかり絞って干す。その宿に泊まるのが1泊の時もあるので、乾く時間も考えながら、常に残りの枚数を考えて洗濯しなければならない。
次にチケットの手配。これから行く場所にどうやって行けばいいかを決め、長距離バス、列車、飛行機、船などのチケットを手配する。場所や時期によっては早めに手配しないと売り切れのこともあるし、そのチケットをどこで入手すればいいかを調べなければならない。
それから都市の情報集め。旅の前にすべての観光ポイントをチェックしているわけではないので、インターネットや持って来た資料でチェックする。それで足りない場合は日本人バックパッカーから情報を集める。現地ツアーやスポーツ観戦などをする際には予約が必要だし、それとは別に治安の悪い場所をチェックすることも忘れてはならない。
旅の日記を書くのにもある程度の時間が必要だ。忙しいことを理由にためこんでしまうとあとで面倒になるので、時間を見つけて書いていかないといけない。
そのほかに、通貨の両替、飲み物の確保、日本の友人への連絡、不足した日用品の買い足し、語学の勉強……次から次へとやることが増えていく。
そのなかでも1番やっかいなのが、宿の確保。
どこでもいいというわけにはいかないので、値段、治安、場所、設備などを考えながら探していく。重いリュックを持っているので、移動も大変だし、何件もあたって見つからない時は精神的にもかなりへこむ。
そんなこんなで落ち着く暇がない。のんびり落ち着いて読書するという当初の計画がボロボロだ。早く旅に慣れて、時間的にも精神的にも余裕のある旅をしたいなあ。
昨夜はサンダルの両足の鼻緒が取れるというハプニングがあったので、今日は久しぶりにのんびり生活をしてみることにした。簡単にいうと息抜きデー、言い方をかえれば溜まっていた仕事の返済デーといえるかもしれない。
朝起きてシャワーを浴び、洗濯、荷物整理、現地通貨の補充を済ます。飯を外で済ませたあとは溜まっていた日記を書き、他の宿泊者から旅の情報収集する。
さらに山田と二人のHPが出発して20日たった今も未だに完成していないので、その作成に時間を割いた。それでも、ひさしぶりに昼寝もして、いい具合にリフレッシュできた。
根岸君は今晩から、ペルーで知り合ったブラジル人の家に招待され、宿を出るという。夕方、駅まで見送りに行き、12日に再会することを約束してわかれた。
宿に帰ってのんびりしていると、いつの間にかいい時間。今日は同じ部屋で寝泊りしている日本人バックパッカー、ユウキ君と一緒に飯を食いに行くことにする。
ユウキ君は都内の大学に通う大学生で、1年間休学してこの旅に出かけてきたという。当初は世界を周るはずだったのだが、最初に南米に入ってみたら時間が全然足りず、そのままほぼ1年間、南米だけを旅しているという。あと1ヶ月すれば復学のために日本に戻らないといけないらしい。
昨日行った日本料理屋でビールを飲みながら南米の色々な話を聞いた。中南米のすべての国に行ったけれども、そのなかでも、とくにキューバとベネゼエラはよかったらしい。1年間旅をするために、必死でバイトをして旅行資金を貯めたというからそのパワーはすごい。というより、20歳でそんなことを考えていたというのがすごい。
日本人にも面白い人は多い。ここサンパウロにはもうしばらく滞在する予定なので、面白い日系人も発見できそうだ。
落書きビル発見。街中にけっこうある。
ユウキ君。なかなか個性的で面白いです。
部屋の中にはなぜかサンバの被り物があった。
東洋人街の仏壇屋
- 地球の裏側で味わった今年2度目の正月
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2007.02.10 Saturday日本を出発してから22日目
ただいま3カ国目
ブラジルのサンパウロにいます
サンパウロに来て3日目、今日は偶然おもしろいイベントに立ち会うことができた。中国の旧暦のお祭り、「春節」だ。
実はこれまでに2度、僕は中国の春節を経験している。1度目は22歳のときにアメリカのカリフォルニアにて。アメリカ大陸で一番でかいチャイナタウンにたまたま観光で訪れたとき、ちょうど春節とかさなり、5時間以上つづくパレードを飽きもしないでずっと見ていた。
2度目が28歳のときに中国の杭州にて。高校の同級生がちょうど中国で働いていたこともあり、同級生の春節休みにあわせて休みをとり、杭州で本場の春節を見た。新年の訪れとともに花火と爆竹の嵐で、本当に楽しかった。
今度が3回目となる春節はブラジルはサンパウロの東洋人街にて。チャイナタウンは世界中いたるところにあるので、1年間世界一周をしていればどこかで春節を見れる可能性はあるのだが、それが地球の裏側、しかも日系人の多くいる東洋人街というのが面白い。
夕方、ユウキ君と山田と祭りのある方へ歩いていくと、豚のイラストの描かれたゲートがあり、そのむこうに何軒もの屋台が両サイドに並んでいた。
「春節」のお祭りが世界中でひらかれる。中国人はすごいなあ。
店は日本であるような食い物、飲み物の屋台で、それ以外には土産物的なかんじの屋台。規模からすれば、これまでに経験した春節にくらべてかなり小さい。
それでも面白いのが、まず、お祭りの屋台と食い物に懐かしさを感じてしまうこと。それから白人、黒人、中国人、日本人が一挙に会し、一つのお祭りを楽しむということ。あとは自分自身が中国が好きで、その匂いをそこかしこで感じられることだろうか。
午後8時からは花火もあがった。中国本土で行われる本来の春節は、一晩中いたるところから花火があがり、そこらじゅうが火薬のカスで真っ赤になるほど爆竹をならすのだが、この地の文化や治安、安全面などを考えると、それは酷だと思う。
でも、ちょっともその雰囲気が楽しみたいなと思った。実際、爆竹はなく、花火も短時間だったが、爆竹のようにけたたましく連射され、それを見上げる多くの種族を見て満たされた気になった。
中国の匂いも、音楽や屋台で働く現地チャイニーズのおかげでなんとか嗅げたと思う。
屋台で安い食い物をてきとうにつまんだあと、スーパーで食材とビールを買って宿にもどった。ユウキ君は料理の腕前がなかなかで、ほぼ彼に作ってもらったつまみを食いながら酒を飲んだ。
ちなみに本日、山田とタイガーの2人のHP「山田はどこへ行った??」がついに開設。
山田が自分で作ると言い出して、自分で勉強しながら作ったらしいが、慣れていないのでいろいろ大変だったらしく、また出発前出発後もいろいろと忙しくて今日まで開設がのびてしまった。
こちらは注文をつける係り。最初は旅をしながらHPなんて、と思っていたのだけれど、山田が全部作ってくれるらしいし、本作りみたいで結構おもしろい。山田のほうは自分の日記もろくすっぽ書いてないみたいだけれど……。
とりあえず、いつまで続くかわかりませんが、面白いかどうかもわかりませんが、見たい人は見てやってください。HPに関する苦情・要望は受け付けませんので、ご了承を。
- 南米サッカーを堪能
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2007.02.11 Sunday日本を出発してから23日目
ただいま3カ国目
ブラジルのサンパウロにいます
今日はとっても楽しみなイベントがある。南米サッカーの生観戦だ。本当はアルゼンチンで観戦しようと思っていたのだけれど、ちょうどシーズンオフで観ることができなかった。
日本でもサッカーの生観戦はこれまで3度しかないのだけれど、本場ブラジルサッカーを観られるということで期待は膨らむ。
朝9時に起きてチケットを買いにスタジアムまで行く。スタジアムまではバスで行くのだが、バス停の位置もスタジアムの最寄りのバス停もどこにあるかわからない。試合は山田とユウキ君も一緒に観ることになったのだが、面白そうなので一人で買いに行ってみることにした。
とりあえずポルトガル語が全くわからないので、スタジアムの名前を書いた紙を見せながら「SE広場」のまわりで聞き込みをする。ちょっと進んでは聞き、ちょっと進んでは聞くの繰り返し。なんとかバス停を見つけて40分ほどでスタジアムにたどりつくことができた。
チケット代は30レアル(1600円)。チケットを握りしめて喜びいさんで宿にもどったのだが、約束の時間に2人がいない。試合開始が16時なので、そろそろ行かないと間に合わないのだが、帰ってこない。45分ほど待って帰ってこなかったので、書置きをして1人で先に出発することにした。
バスを降りてスタジアムに行くまでの道は、サンパウロのユニフォームを着たサポーターでいっぱいだった。上半身裸のいかにも血の気の多そうな奴、酒を飲んで歌を歌っている奴がいっぱいいる。
今日の試合はサンパウロ対コリンシャス。日本でいうと巨人阪神戦のようなゴールデンカードで、しかも今シーズン初対決というから、楽しみな反面、暴動が怖い。
スタジアムはサンパウロのホームスタジアムで8万人を収容するビッグスタジアムだった。でかい割には、観客席からフィールドまでが近く、スタジアム自体がすり鉢状になっているので、とても観やすかった。
暴動にそなえた警備もかなり厳重で、体格のいい警備員が馬にのって警備していたり、入場の際にボディチェックをされたりした。
会場の外から熱気むんむんのサポーター
8万人収容のスタジアムはとても奇麗だった
試合がはじまる前から両チームのサポーターが応援合戦をくりひろげる。キックオフと同時にその歓声は最高潮に達し、スタジアム全体が異様な熱気に包まれた。ひとつひとつのプレーに対し、思いっきり野次を飛ばしたり、身体全体で喜びを表現したりする。
前半はサンパウロが試合を優勢に進め、2点を先取。試合内容もかなり面白いのだが、試合を観ているより、サポーターを観察しているほうがよっぽど面白い。
遠くにいる敵チームのサポーターとジェスチャーでやりあいをしている奴もいれば、シートの上に立って踊りだす奴もいる。応援もタオルをまわしたり、縦に飛び跳ねたり。日本の千葉ロッテがそのあたりの応援をとりいれているので、ロッテファンとしてはさらに楽しい。
前半を終わって2対0でサンパウロがリード。ホームチーム優勢とあってスタジアムも盛りあがる。スタジアムは5階くらいにわかれているのだけれど、その5階がメインスタンドで一番広く、そこに熱狂的なサポーターが集まっている。
1階から4階はどちらかといえば落ち着いて観るところ(僕らの席は2階。途中から雨が降ってきたのだけれど、屋根があるのでちょうどよかった)。まあ、そんなに落ち着いて観ている人はいないけど……。
熱狂するサポーターたちは一人一人が面白い
ハーフタイムになって席を立つと、ちょうど山田とユウキ君が観客席にやってきた。二人とも雨にふられ、バス停をさがすのに苦労したらしくヘロヘロだった。話を聞くと、山田が集合時間を1時間かんちがいしていたらしい。でもまあ、とりあえず合流できてよかった。
後半に入ると更にサンパウロが1点を追加した。サンパウロのキーパーは前半もPKを自分で蹴ってゴールを決めていたが、いい位置からのフリーキックがあると毎回自ら蹴りに来る。他の選手より上手いのだろうが、それよりも他の選手よりえらいのだな、と思った。ただ、この日のフリーキックは全然見当ちがいのところに蹴っていたが……。
このあと試合はコリンシィアスが1点を返したものの、3対1でサンパウロの完勝。
試合後におそれていた暴動だったが、サンパウロ側とコリンシャス側の応援席出口から合流できる道が警官によって封鎖されており、大事には至らなかった。
スタジアム内でのアルコールの販売はなかったし、2チームの応援スタンドが隣接する場所は警官によって広くスペースが空けられていた。やりすぎの感もあるが、ここまでしないと危ないのだろう。
やっぱり、文化が違うと応援の仕方も違うし、サポーターの感情表現も違う。南米サッカーはとても面白かったが、今度はヨーロッパのサッカーも見てみたいと思った。
両チームのサポーター間は広く空けられていた
道を完全に封鎖する警官
- アイルトン・セナの墓参りへ
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2007.02.12 Monday日本を出発してから24日目
ただいま3カ国目
ブラジルのサンパウロにいます
サンパウロに来て以来お世話になっている「ペンション荒木」。この宿はとても住みやすい。
長期旅行者と短期旅行者がだいたい別棟でわけられていることもあって、旅人同士がいい距離感をたもちながら情報交換や会食の機会などを持つことができている。
ブエノスアイレスでは日本人宿に泊まることに不安を感じたが、この宿に来てからは宿のおかげで生活が充実できているように思う。
荒木さん。すごくいい方。
荒木さんに作ってもらったお酒、ピンガ。
今日はサンパウロ最後の日。山田は宿に残しておいて、午前中から市内に出て行くことにした。
山田の奴、ブエノスアイレスで合流してから、一人で観光したことがない。ちょっと近くを散歩することはあるみたいだけど、だいたいが宿で寝ていたり、溜まった日記を書いていたりする。もったいない。
昨日は朝4時までかかって1日分の日記を書いたとかいっていた。「日記を書くのやめたら?」といっているのだが、それは嫌らしい。まあ人それぞれなので気にしないけど。
市内めぐりはいくつか候補があったのだけれど、今日はある人の墓参りにいくことにした。
ブラジルが生んだ偉大なレーサー、アイルトン・セナの墓だ。
アイルトン・セナは1980年代から90年代にかけてF1ドライバーとして活躍、1994年にレース中の衝突事故で亡くなった。34歳という若さだったが、その走りと人柄で、もっとも愛されたF1レーサーだ。ブラジルでも、サッカーの王様ペレと肩を並べる国民スターらしい。
僕も中学高校時代はセナの走りを見て熱狂していた。セナ、マンセル、プロスト、ベルガー、アレジ、シューマッハ……。うーん、なつかしい。1990年頃、ウイリアムスの黄金時代にマンセルが連戦連勝していたころ、マシンで劣るフェラーリのセナがモナコでマンセルをおさえたレースは印象的だった。
正午ごろ宿を出てバスを乗り継ぐ。何人もの人に聞きながら、「セミテリオ・モルンビー」というセナの眠る墓地に到着した。
墓地はサンパウロ市内の共同墓地で、そのなかにセナも眠っているときいていた。墓地のすぐ手前にある花屋でひまわりを1本買った。ブラジルの黄色と明るさが、なんとなくセナのイメージだった。
敷地内に入ると、そこは公園のようになっていて、緑の芝生が気持ちいい。墓参しているひとは僕を含めて3人しかおらず、あとは芝生を刈っているおじさんが5、6人いるだけだった。
お墓は芝生の中にプレートが埋め込まれた実に簡素なもので、いくつかの墓地には花が供えてあった。芝刈りをしているおじさんにセナの墓の場所を聞くと、敷地内のちょうど中央にあるという。遠くから見ても、それとわかるお墓はない。
とりあえずそのあたりに歩いていってみると、小さなブラジルの国旗が立ててあり、そのまわりにいくつかの花が供えてあった。プレートを観ると、「AYRYON SENNA」と書かれてある。セナの墓だ。
ブラジルの大スターが一般人と同じように、ひっそりと郊外の墓地で眠っている。緑の芝生に囲まれて、太陽を浴びながら、多くのブラジル永眠者の中央で眠っている。ブエノスアイレスで一軒家のようなレコレータ墓地を見ていたので、よけいに印象的だった。
墓の前にひまわりを1本置いてセナのことを思い出すと、あの笑顔がよみがえってきた。セナのあの笑顔はブラジル国民、世界中のF1ファンの心の中にいつまでも残っている。合掌。
偉大なるスターよ、永遠に……
セナの墓地に行った後はセントロの教会や商店街を練り歩いた。夕方には宿の前で根岸君を呼んで、山田と3人で日本料理を食べた。根岸君とはここサンパウロで別れる。彼はこのあとモロッコに飛ぶそうだ。日本での再会を約束し、お互いの旅の健闘を誓い合った。
9時半頃、山田と宿を出る。地下鉄とバスを乗り継いで夜中の12時頃に空港に到着した。深夜4時の便で目指すは、カーニバルの地、サルバドールだ。
セントロ中心部。月曜だというのに人だかり。
日本の本だけ置いてある書店「太陽堂」
こちらの教会は歴史と風格を感じさせる。
広場の隅にはきれいな娼婦がいた
- サルバドールという街
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2007.02.13 Tuesday日本を出発してから25日目
ただいま3カ国目
ブラジルのサルバドールにいます
飛行機は朝6時半にサルバドールに到着した。4時間前に先にサルバドール入りしていたユウキ君が空港で僕と山田をまってくれていた。
サルバドールはサンパウロ、リオデジャネイロにつづいてブラジルで3番目に大きな都市で、ブラジルの最初の首都でもある。サンパウロとくらべると、明らかに黒人比率が高い。
こちらでは簡単に拳銃で発砲してくるので、危険な地域にはとくに気をつけなければならないといろんな人から警告されているので、緊張する。
石畳で起伏が多く、古い街並みがつづく。
サルバドールに来た目的は、明後日から始まるカーニバルに参加するためだ。カーニバルといえばリオが有名だけれども、その時期は南米各地で同じようにカーニバルが行われる。参加者の数ではサルバドールのカーニバルのほうがリオのカーニバルよりも多いというから楽しみだ。
空港を出てバスでセントロに向かう。カーニバルの行われるこの時期は世界中から観光客が集まってくる。それなのに宿の予約もせずやってきてしまった。
地図を頼りに安宿街を歩いていると、見たことのあるある顔が向こうから歩いてくる。ブエノスアイレスの日本旅館で同じ部屋だったフミさんだ。
フミさんは今回、サルバドールとリオの両方のカーニバルを見ようと勧めてくれた人で、ブエノスアイレスで会っていらい、何度かメールで情報交換をしていた。話を聞くと、彼女は今、「青い家」という日本人がよく泊まる宿に宿泊しているという。とりあえずそこに行って話を聞くことにした。
「青い家」はカーニバル中、1週間単位でしか予約ができず、それもかなり高額だった。ただし、カーニバルが始まる明後日まではドミトリーで1日15レアル(800円)らしい。とりあえず2泊ほど泊まることにして、あとはまた考えることにした。
宿泊客は日本人と欧米人が半々といったところ。屋上のテラスに出ると何人かの日本人がいて気軽に話し掛けてくれた。もちろん気になるのはカーニバル。どこでチケットをとればいいのか、値段はいくらか、場所は、時間はと矢継ぎ早に内容を聞いて、その日のうちにチケットをとりにいくことにした。
サルバドールのカーニバルがリオのカーニバルと違うのは「参加型のカーニバル」ということ。テレビでよく目にするリオのカーニバルはスタンドで各チームのパレードを見るのがメインだけれど、ここのカーニバルはお金を払ってユニフォームを買えば、一緒のチームに入ってパレードできるらしい。
パレードに参加するほうをブロコといい、観覧席で観るほうをカマロッチという。それぞれチケットが必要で、チケットをユニフォームと交換してもらって初めて参加が認められる。
サルバドールのカーニバルはリオよりも2日早い15日から始まるのだが、17日にはリオに移動する予定になっているので、ここでのカーニバルは2日しかいられない。
そこで初日をブロコ、2日目をカマロッチにすることにした。両方のチケットとも高いものは350レアル(18000円)を超える。これは参加するチームやスタンドの位置、サービスによって違うのだが、さすがにこの額は苦しい。一緒にいた日本人と相談して、両方ともかなり安いものを入手した。ブロコが60レアル(3300円)でカマロッチが160レアル(8800円)だった。
チケット入手とユニフォーム交換は同じ宿の日本人宿泊者でよく知っている人が連れていってくれたのでスムーズに行えた。
チケット売り場ではパレードの様子がビデオで流れている。映像を見ているだけでその熱気が伝わってきた。
いつのまにか興奮している自分がいる。本番は明後日。まったく未知の世界なだけに楽しみで仕方がない。
「青い家」はやはり青かった。
屋上のテラスは見晴らし最高。
カーニバルのTシャツをゲット!
おまけ。変な人です。
- カーニバル前夜
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2007.02.14 Wednesday日本を出発してから26日目
ただいま3カ国目
ブラジルのサルバドールにいます
今日は朝5時に目が覚めた。旅に出てからというものの、仕事をしていたときよりも起きるのがずっと早い。睡眠時間はだいたい4、5時間くらい。気がはっているのか、興奮しているのか、それでもう慣れてしまったのかわからないけれど、とりあえず身体はいたって健康だ。
朝一番で誰もいない屋上のテラスに行き、次第に明けていく空を見る。なんかすごくいい気分。イスに腰掛けてタバコを吸いながら読書をしていると、これ以上の贅沢があるのだろうかと思えてしまう。
今日は明日からの宿を確保し、あとは市内を歩いて町と人を見ようと思う。
「青い家」が値上がりする前に宿を変えようという輩は他にもいて、何人かに話をきいて簡単に次の宿は決まった。宿は「青い家」から歩いて5、6分の「ホテル アルバ」。一泊50レアルとやや高いが、カーニバル期間中ということを考えれば妥当だろう。
宿を決めたあとは個人個人で街を徘徊することになった。最初は同じ宿に泊まっていてカーニバルでも同じチームになったタカシ君という学生と一緒に歩いていたのだが、市場についてしばらくすると、お互い勝手に動き出し、いつのまにかはぐれてしまった。
市場とか露店、スーパーなどは自分のペースで勝手にまわるのがいい。彼もそんな感じだったので、はぐれたあとも大して探さず、勝手に街の探索を始めてしまった。
サルバドールには上町と下町がある。それはまさに上町と下町で、高いところと低いところにある街なのだが、その街同士が背中あわせになっているところが面白い。崖の上と下と思ってもらえればわかりやすいと思うのだが、上町と下町を移動するのに特設のエレベーターを使うのだ。
ソウザ広場からエレベーターで下町に降りると、少し歩いたところに広場があり、そこでは多くの露店が土産物を売っていた。木彫りの置物、装飾品、Tシャツ、看板、キセル……。手作りのものが多いので面白い。キセル売りのオヤジには小声でマリファナをすすめられた。
その隣にはメルカード・モデロという二階建ての市場があり、民芸品や衣類などを売っていた。ここもまた、いくら居てもいいくらい楽しかった。
こうゆうの最高。楽しくて仕方ない。
首飾りの店は多くあった。
1時間ほどそこを回ったあと、再びエレベーターに乗って上町に戻る。街は明日からのカーニバルにむけて着々と準備が進んでいた。
広場では至るところで髪をドレッドに編んでいる人がいる。アーケードにはオシャレな飾りが掲げられる。練習なのか前日の催しなのかはわからないが、太鼓をたたきながら街を練り歩くサンバ集団がいる。町全体がカーニバルにむけて興奮しているような気がした。
街のいたるところでドレッドを編む人がいる
広場ではカポエラの実演をやっていた
太鼓のリズムが気持ちを高揚させる
夜になると外から歌声が聞こえてきた。なにかと思って屋上のテラスに上がってみると、すぐ近くの会場に大勢の人々が集まり、太鼓のリズムにあわせて歌手がサンバを歌っている。やたら上手い。どうやら、明日から始まるカーニバルの前夜祭をしているようで、いろいろな歌手が順番に歌い、観客は大いに盛り上がっていた。
屋上のテラスでサルバドールの夜景を見下ろしながら、サンバを聞く。サンバを聞いているだけで身体が興奮していくのがわかる。今日屋上から音楽を聞いただけでこれなんだから、明日のパレードに参加するカーニバルはどうなるんだろう。今夜は興奮してまたあまり眠れないかもしれない。
- サルバドールのカーニバル
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2007.02.15 Thursday日本を出発してから27日目
ただいま3カ国目
ブラジルのサルバドールにいます
今日は残念なニュースと嬉しいニュースがある。まず残念なニュースから。
昨日の日記にも書いたように、今日で「青い家」を出ることにした。午前中のんびりして、12時にチェックアウト。同部屋の5人と他部屋の1人、計6人で「HOTEL ALBA」に移動した。
今回のドミトリーはでかくて、30人くらい収容できる3階の大部屋。到着後、一人でキッチンに降りて宿主さんと話をしていると、気さくな宿主さんは「一緒に昼食を食べよう」といってパスタをご馳走してくれた。カフェやレストランで食べるのとは違う家庭の味で、すごく美味かった。
自分だけご馳走になってしまったのだが、一緒に移動した日本人の仲間うちでは自分たちで料理して牛丼を作ろうということになっていた。申し訳ないのだが、こちらもしっかりいただいた。
家庭の味。ソースがよく煮込んであって絶品です。
みんなで牛丼作り。
食事を終え、ドミトリーに戻る。しばらくして仲間のT君が血相を変えてやってきた。
「○○さん(タイガー)、俺、財布やられた!」
ドミトリーに荷物をおいて階下で食事をしている間に泥棒が入ったらしい。T君は現金500レアル(2万8000円)とクレジットカード、さらにカマロッチのチケットの入った財布を盗まれてしまった。
ここはブラジル、しかもカーニバル前後だから、観光客目当てのスリや空き巣が頻繁に出るらしい。ドミトリーには空き巣が入ったとき、欧米人が2人いたのだが、30人部屋なので誰が客で誰が泥棒かわからなかったらしい。被害に遭ったのは彼だけだった。
泥棒はT君の肩掛けカバンをもって部屋を出ると、中から財布をとりだして、カバンは2階において外にでていったようだった。
彼の隣は僕のベッドなわけで、逆隣は山田のベッド。その被害がこちらにふりかかる可能性は十分にあった。
珍しいことに、なぜか山田はこの日にかぎってカバンを枕カバーの中に入れて隠していた。いつもベッドの上に荷物をいっぱいに広げてそのままにしているくせに……。
今日の午前中、同室の女の子に「パスポートとか電子辞書とかベッドの上に出したままになってるけど、本当に危ないよ」と注意されていたのが効いたのだろう。運のいい奴だ。
一応僕は、リュックには鍵をするようにしている。肩掛けかばんはそのとき危ないと思ってベッドのシーツの下に隠しておいたので難を逃れたのだろう。でも、いくら鍵をしているからといって、ナイフでリュックを切られれば意味がないし、盗まれるときは盗まれる。僕も運がよかった。
30人部屋のドミトリー。手前がT君のベッド。
そのあとは、みんなで手分けして警察に行ったり、カーニバルのチケット再発行をお願いに行ったり、クレジットカードの停止と緊急カードの発行を手配したりと慌しかった。T君は今回卒業旅行で南米に来ていて、約1ヶ月間南米をまわるという。
日本で財布をなくした時でもかなり面倒なのに、今回は海外、しかも日本の裏側のブラジルだから手続きも大変だった。ショックを受けながら手配におわれるT君はさぞかしきつかっただろう。
とにかく、ここは南米。油断してはならない。すこし旅慣れしてスキもできる時期だから、今回の事件を教訓にしてこれからの旅を続けようと思った。
というわけで、これが残念なニュース。でもって、次は嬉しいニュースなわけだけれども、これはもちろんカーニバル。
失意のT君を元気づけ、7時半に宿を出る。メンバーは一緒に宿を移動した6人。屋台で軽く夕食をすませてカーニバルのある通りを目指した。
「カーニバルは楽しいけれど、スリの被害はあとをたたないから、荷物は極力もたないほうがいい」これは日本人バックパッカー、現地人に何度も言われていた。
というわけで、カーニバルに参加する本日は必要最低限のお金だけを持って宿を出た。なので残念ながら今日の写真はナシ。明日はスタンドでカーニバルを見るカマロッチに参加する予定なので、比較的安全なその場所で写真を撮ることにして、今日は思いっきりカーニバルを楽しむことにした。
出発前。
街はこんなかんじ。
サルバドールのカーニバルは参加型。チームのユニフォームを着ている人間だけがチームの山車のまわりで踊りながら一緒に行進できる。コースは3本あって、チームによって違うのだが、うちのチームは運がいいことに一番メインの海岸通りのコースだった。
予定では9時に山車がスタートするはずだったのだけれど、例年時間どおりにはいかないらしい。10時すぎにスタートしたチームに途中で追いついてみんなで踊る。最初はみんなと一緒に踊っていたのだけれど次第にはぐれ、気が付いたら一人になっていた。
で、踊る踊る踊る。もう、踊る踊る踊る。とにかく、踊る踊る踊る。
誰彼かまわず肩を組み、回転したり叫んだり。山車の上では歌手が曲間を空けることなく絶え間なく歌っている。それも選曲がばつぐんで、すべての曲が乗りがよく、いやおうなしに盛り上がる。
「アリガトー」「サヨナラー」「コンニチハ」日本人はブラジルでも人気者だ。
10時半頃スタートしたチームは海岸通りを練り歩き、4時間ぶっ続けで踊り続けた。ビールを3リットル以上飲んでそうとうハッスルしたので、最後はフラフラ。集合場所でみんなと合流できず、一人タクシーに乗って宿に帰還した。
こんな気分になれたのは久しぶり。というか、その前がいつなのかも思い出せない。現地人がこのカーニバルのために1年間働くというのが分かる気がした。なんか夢のような時間だった。