- 巨峰アンデスとワインの町
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2007.01.23 Tuesday日本を出発してから4日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのメンドサにいます
午前五時、山田の目覚ましが鳴って眠い目をこする。基本的に朝は強い方だが、昨日はロケットビールと旅の疲れでいつの間にか寝むっていたので、ちょっときつい。
山田の飛行機が朝早いので、仕方なくタクシーを頼んだのだが(2200円くらいかかる)、これは今日僕がアンデスを越えてアルゼンチンのメンドサに入るバスチケットと同額。これからはよっぽどのことがない限りタクシーは使えないなと思った。
山田を見送って部屋に戻る。山田とは9日後の2月1日にブエノスアイレスで落ち合う予定。寝過ごすのが怖かったのでそのまま起きて準備をすることにした。
地下鉄に乗ってバスターミナルに着くと、すごい人だかり。各方面に移動する長距離バスが列をなしている。昨日チケットを買ったときには40番か49番の乗り場にバスが来ると言われていたのだけれど、実際にバスが来たのは47番。まあ、これくらいあたりまえと思わなければ……。
バスはチケットが安い割に超豪華な二階建てバス。席も広くてやわらかく。出発してすぐ眠ってしまった。
バスターミナルは朝から人でいっぱい
二階建バスは運良く二階の窓際だった
30分後に目を覚ますと、そこはもう市内から外れた平原で、アンデスの巨峰はすぐ目の前。さすが国が細長いだけのことはあるな、と一人で感心していのだが、いざアンデス山脈に入ると、予想を遥かに超えるそのスケールに圧倒された。
山田がパタゴニアで氷河を見るというので、いいなと思っていたけど、こっちはこっちで凄い。僕のつたない表現ではちんぷなものになってしまうので書かないけれど、これは絶対見る価値ありです。
クネクネと山を登る。かなり標高も高いはず。途中何度か耳が痛くなったのは、たぶん気圧の関係だろう。標高6960メートル、南米大陸最高峰アコンカグア山の麓を通るのだからそれも当然といったところか。
どうでもいい話だけれど、隣にいたキレイなお姉さん(たぶん20歳くらい)が赤ちゃんを抱っこしていて、途中で授乳をはじめたので目のやり場に困ってしまった。これは旅の当初から感じていたことだが、南米の女性は例外なく胸が大きい。このお姉さんも母乳ということはあれ、その標高はかなりのものだった。
写真でその迫力をお伝えできないのがもどかしい。
バスはイミグレーション(国境越えの手続き)に着いていったん下車。かなりの車が並んでいたため、アンデスを見ながら少しゆっくりできた。
初めての陸路での国境越えだったが、なんてことはなく、パスポートを見せてハンコを押してもらうだけ。それをチリ側とアルゼンチン側(同じ建物内で横並びになっている)でやって終了。アルゼンチン側の係りの人は、僕のパスポートを見ると、
「おお、ハポン(スペイン語で日本)! コンニチハ、アリガトゴザイマース」と笑いながら言っていた。
初めて陸路での国境越え
バスがメンドサに着いたのは18時半。面倒くさいので、そのバスターミナルで明後日のブエノスアイレス行きのバスチケットを取る。夜行バスで15時間、朝食とドリンク付きで120ペソ(4500円)だった。
一面に広がるブドウ畑
路上でインチキ商売をするオヤジ。札をシャッフルしてどれが当たりかあてるやつ。
ターミナルを出たのが19時半。お昼のように明るいので勘違いしがちだけれど、結構いい時間。もちろん宿の予約なんかしていないので、目星をつけておいた安宿街まで荷物を持って移動する。
道に迷いながら、人に聞きながら、結局歩いて安宿街に到着。途中でネットカフェにも寄ったため、着いたのは夜9時だった。
が、最初に入った安ホテルは満室。次も次も満室で、あたりはいよいよ暗くなっていく。さすがにあせる。更に近くのホテルをまわり、ようやく6軒目で空室のあるホテルを見つけた。シングルでシャワー付きの部屋が30ペソ(1140円)。なかなかグッドなホテルを見つけた。
今回の宿。いいとこが空いていてよかった。
今日と明日の2泊分の料金を支払って部屋に入ると、荷物を置いてすぐに街にでた。とりあえずワインを飲まなくては。
メンドサはアンデスの麓にある町でチリワインの有名な産地。世界第4位の生産量を誇るアルゼンチンで、実に7割のワインがここメンドサで生まれている。日本にも多くのワインが輸出されており、「トラピチェ」というワインは日本でも有名らしい(よく知らないけれど)。
安くてうまい店をホテルの人に聞いて、すぐ近くの庶民的なレストランに入った。「流し」が現地の歌を唄い、いい雰囲気でワインを飲む。ハーフボトルで9ペソ(340円)。値段の割にはいける。明日はもっといいのを飲みたいなあ。
ちょっと贅沢しました。でもこれで28ペソ(1000円)
南米民謡でワインの味も2割増し
そういえば旅に出て以来、日本人とは空港以外で会っていない(山田を除く)。ロサンゼルスとか台湾みたいにあまり日本人がいすぎるのも興ざめだけど、明日あたり、一人くらい日本人と会いたいなあ。
- 78歳日本人バックパッカー
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2007.01.24 Wednesday本を出発してから5日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのメンドサにいます
今日はせっかくワインの町に来たのでボデガ見学をすることにした。ボデガとは貯蔵庫のことで、一般的にワイナリーのことを言う。
ブドウ畑やワイン樽、そして何よりも試飲が楽しみに、まずは現地のボデガツアーを探す。
宿の近くにちょうどいいツアーがあった。30ペソ(1140円)で二つのワイナリーを周り、英語の話せるガイドもつくらしい。今日の午後のツアーに参加できることになった。
街中でよく目にする売店。なんだかすごく楽しそう。
午後2時半、ホテルで待っていると迎えがくる。ツアー参加者は20人ほど。オーストラリア、オランダ、アメリカ、いろんな国の人がいて、それぞれに楽しい。もちろん日本人は僕一人。国際色豊かなミニバスは陽気なツアーガイドの説明を受けながら郊外へと向かう。
市内から30分ほどのブドウ畑のなかに目指すボデガはあった。でっかい樽とワインの瓶が適切な湿度と照度のなかで眠っている。
貯蔵庫もそれなりに楽しめたのだが、それよりも何よりもブドウ畑を見られたことが嬉しかった。いろんな種類のブドウがあたり一面に広がっている。
なんでもこのエリアは年間の温度差、湿度が世界でも有数のワイン作りに適した土地らしい。また、ミネラルを豊富に含んだアンデスからの雪解け水も美味しいワインを作れる一因になっているという。いくつか成っているブドウをもいで食ってみた。美味い。
もちろんワインの味も上々。試飲でこんなん飲めていいの? と思うくらい美味かった。調子に乗っておかわりしてると、いい感じで酔っ払った。
とりあえずデカイ
適温適湿。ワインのネグラ。
ブドウがきれい。なんか日本と違う(気がする)。
バスは移動して次なるボデガへ。ここはメンドサでも歴史のある有名なワイナリーらしい。きれいなお姉さんのガイドを受けていると、横の大男から声をかけられた。
「あなたは日本人ですか?」
「そうですよ」
「英語しゃべれますか? 彼も日本人なのでワインを買うの手伝ってあげてください」
おおっ! 日本人発見。今回の旅で初めての日本人だ!(山田は除く)
おしゃれな帽子をかぶったその日本人は見た感じ60歳半ばだろうか、僕のツアーとは別の現地ツアー参加者だった。
実は少し前からその姿を目にしており、気にはなっていた。気にはなっていたのだが、別のツアーだし、その場で日本語をしゃべることもないので、はっきり確認できないでいたのだ。(僕にはどうしても中国人に見えた)
話を聞くと、彼は東京の日野市に住む畑野さんという男性で、今回は70日間、南米を中心に旅をしているという。で、驚いたことに、なんと78歳。とてもじゃないけど、そうは見えない。せいぜい70歳がいいとこだろう。肌つやもすごくいい。
そしてその後がまた驚きの連続。なんでも畑野さんは66歳で初めて海外旅行を体験し、これまでの12年間で50以上の国をまわっているという。さらに、なんと昨夜は「首絞め強盗」に遭遇してしまったらしい。
僕もその名は旅の本などで耳にしたことがあったが、「首絞め強盗」とは、いきなり後ろから首を絞め、身ぐるみを剥ぐ強盗のことだ。中南米あたりで多いらしい。
「ええっ、本当ですか! で、大丈夫だったんですか?」
「いや、大変だったよ。相手は二人でね。夜中の12時過ぎだったかな、後ろから首と腰を同時にもってかれて、身動きできなくされてね。相手は二人ともナイフを持っていたんだけど、これがないと日本に帰れないからね、必死に抵抗したらあきらめてくれたよ。本当にいるんだね、首絞め強盗って」
うわー。本当にいるんだ。昼間は本当に治安もよくていい町なのにね。僕も気をつけなきゃ。って、そんなこと冷静に話せる話題じゃないでしょ。でもってあなた、78歳でしょ。
大ハプニングの翌日(厳密には当日)、のんきに昼間からワイン飲んでる78歳日本人。かなわないなあ。
78歳の現役バックパッカー畑野さん。
畑野さんとは連絡先を交換し、日本で会うことを約束して別れたが、世の中にはすごい人がいるもんだ。インターネットは使えないといっていたけど、旅先の情報は大丈夫なんだろうか。
ロサンゼルス、ブラジル、アルゼンチンとまわってきた畑野さんは、このあとチリのサンティアゴに行き、そこからペルーのリマを目指すという。
「いや、あと5年くらいはバックパッカーをやりたいですね。楽しくて仕方ないんですよ」
と、当たり前のように笑顔で話す畑野さん。おみそれしました。
本当にご無事で。ボンボヤージュ!
- スーパーマーケット観光?!
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2007.01.25 Thursday日本を出発してから6日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのメンドサにいます
メンドサに来て3日目、今日は夜行バスでブエノスアイレスに移動する予定。
10時頃、チェックアウトをしにフロントに行くと、ちょうど旅行者が3人ほどいて、その中の一人に東洋人らしき女性を発見した。
おそるおそる話し掛けると、やはり日本人。嬉しくなって一緒に朝食をとることにした。
彼女の名はユウコさん。東京都在住で今回は2週間ほどの南米一人旅らしい。なんでもここ数年南米にはまっているらしく、今回イースター島に行って、だいたい南米の観光ポイントは回ったらしい。ちなみに彼女は南米の前は中米、その前は北米、その前がアジアで、一番最初がミクロネシアにはまって旅をしていたという。
うーん、彼女もたくましい。昨日の畑野さんもそうだったが、2日続けて旅の達人に会い、自分のひ弱さを思い知る。
――まあいいや、そのうち僕もたくましくなるだろう。
とりあえず、仕事ばりに南米各国の情報を取材する(一応、元編集者)。やっぱり現地を訪れた旅人の生の声が一番だ。貴重な情報をたくさん入手できた。
ミネラル以外の飲み物は全部炭酸飲料水。朝食のコーヒーの美味いこと。
ユウコさんと別れると、一旦荷物をフロントに預ける。夜行バスが出るまでの時間、今日はゆっくり市内探索をすることにした。
実はこの市内探索、当初からとても楽しみにしていた。町の市場、土産物屋、スーパーマーケット、さらには電気屋、美容院、本屋、花屋、大衆食堂……。町の生活を支えるそれぞれの場所はいったいどのように市民や観光客と結びついているのか? 日本とは何が違うのか? 物価はいかほどか?
よく知らない名所・遺跡に行くのなら、こっちを見るほうが面白い。旅に出る前からそう思っていた。
で、今回のメンドサ。とりあえず、市内で一番でかいスーパーマーケットに行ってみることにした。入ってみてまず感じたのが、思ったよりずっと品数豊富。デジカメやMP3、マッサージチェアやランニングマシーンまである。ほとんど日本のスーパーと変わらない。日本と違うのはスペースがあまりにも贅沢に使ってあることくらいだ。
ただ、値段を見ると、やはり高級電化製品はまだまだ一部の人間のために置いてあるらしい。主だったものの値段を挙げてみると、ビール(970mml)が2・35ペソ(90円)、ミネラルウォーター(500mml)が1・09ペソ(40円)、パスタ(500g)が1・15ペソ(45円)など。先にあげた電化製品は日本並の値段であった。
しかし何より目を引いたのはやはりワイン。ワイン専門店でもないのに、高級なやつから、日本円で100円弱の激安ボトルまで、とにかく品数豊富。さすがメンドサだ。ちなみにチーズもたくさんの種類が並べてあった。
野菜は色あでやかに
スーパーのワインは値段もかなりリーズナブル
トムとジェリー、仲良くケンカしな!
日本のキッコーマンは360円。貴重品です。
たっぷり市内を観察し、7時の夜行バスに乗るためバスターミナルへ。バスは15時間をかけてアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに向かう。
変な場所で寝ることや徹夜をすることは日本にいるときから慣れっこなのでさほど苦にならない。実は日本を発つ前も、東京で2週間ほど放浪生活をやってきた。友人宅あり、サウナあり、漫画喫茶あり、雀荘あり(これは宿泊じゃないけれど)。
日替わりの寝床も慣れてくるとどこでもすぐに眠れる。短時間でも体力が回復できる。人間の身体って都合よくできてるなあと思う(過信は禁物だけど)。
というわけで車内泊も案外気持ちいいものだった。目が覚めて暇になると、MP3でラジオのFMを聴いた。(ラジオって、日本のものでも海外で現地放送が聴けるんだね。当たり前のことなんだろうけど、ラジオの仕組みもよくわかってないから、つい最近まで知らなかった……)。
明日は10時にブエノスアイレスに到着予定。そのあとの予定は何〜んにも決めてない。まあいいや、着いてから考えよ。
バスターミナルのトイレの落書き。どこの国でもやるこた同じか……。
さすが南米の入道雲、スケール満点。
- 思いつきでマル・デル・プラタへ
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2007.01.26 Friday日本を出発してから7日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのマル・デル・プラタにいます
夜行バスがブエノスアイレスに着いたのは午前10時。
残念ながらあいにくの雨模様、ターミナルを出るのにも一苦労しそうだった。今日の宿は決めてない。今日の予定も決めてない。それじゃ、雨の降っている間に移動しちゃうか。
というわけで、かなり短絡的ではあるが、とりあえずそのバスターミナルでチケットを取って移動することにした。山田との待ち合わせはブエノスアイレスに2月1日。それまでけっこう時間がある。最初は1日か2日、ブエノスアイレスに泊まってから移動しようと思っていたのだが、そこは気ままな旅らしく気分次第で行くことにした。
外はあいにくの雨。
向こうに見えるのは牛。広くて気持ちよさそうだ。
何もないすごさ。こんな地平線、日本では見られない。
目的地はブエノスアイレスの西南に位置する町、マル・デル・プラタ。アルゼンチン最大のビーチリゾートであり、アルゼンチン最大のカジノがあることで有名だ。
現地に着いたのは午後6時前。
――宿を取って飯を食ったら、とりあえず今日はカジノに行ってみよう。
で、明日はビーチかな……。
なんて思っていたのだが、マル・デル・プラタは今まさに観光シーズン。市内のホテルはどこも満室(なんでもこの時期のマル・デル・プラタは人口が3倍にふくれあがるという)。予想を遥かに超える大都市で、ホテルの数も山ほどあるというのに、どのホテルも玄関に「COMPLETE」(満室)の張り紙が貼ってある。
5、6軒まわったあとで、仕方なく観光案内所に行くとにした。が、それでもやはり一人部屋はかなり値段のはるところしか空いてないという。途方に暮れていると、
「ドミトリーでもよろしいですか?」
と案内所のお姉さん。
「もちろんいいです。で、宿泊料は?」
「30ペソ(1140円)です」
「わかりました。そこでお願いします」
というわけで、生涯初のドミトリーに宿泊することになった。
ドミトリーとは一つの部屋にベッドがいくつか並んでいて、そこで共同で宿泊する場所をいう。当然、宿泊料も安い。最初からそういうところに泊まるつもりでいたのだが、やはり疲れていると、どうしても一人部屋のほうに気持ちがいってしまうのだ。
今回泊まるドミトリーは4人部屋。着いたときはちょうど相部屋の人間が外出しているらしく、誰もいなかった。
これが生涯初のドミトリー。
とりあえず荷物を置いて外にでる。腹ペコだ。宿の近くにビュッフェ形式のチャイニーズレストランを見つけると、迷うことなく入店した。
席に着くと、向こうのほうで日本語が聞こえてくる。料理をとりに行きがてら話し掛けてみると、やはり日本人。仕事でこの地にきてそのまま居着いてしまった北島さん夫婦と日系2世でブエノスアイレスで仕事をしている米さん家族(夫婦と子供3人)だった。
「よかったら一緒に食べませんか」
と言われ、有難く同席させていただく。
みなさん気さくな方で、楽しく談笑しながら料理を食べさせていただき、ご馳走になってしまった(正直助かるなあ)。帰りがけには、「何かあったらこちらに連絡してください」と名刺までいただいた。
別れ際には北島さんから、
「荷物と身体にはくれぐれも気をつけてください。ここは安全そうに見えて、いろいろなことがありますから。僕もいろいろありました。あまり思い出したくないですけど……」
と忠告を受けた。
お酒もかなり入っていたので、今日のカジノ行きは見送ることにした。忠告にしたがい宿に戻る。共同部屋にはまだ誰もいない。とりあえずシャワーを浴びて日記を書いた。
1時半。まだ同部屋の人間は帰ってこない。とりあえず今日は寝よう。明日はビーチとカジノが待っているのだから。
チャイニーズレストラン「CHINO」。
北島さん(右手前)夫婦と米さん(左手前)家族。
- なぜかディスコで朝まで踊る
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2007.01.27 Saturday日本を出発してから8日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのマル・デル・プラタにいます
昨夜は今日に備えてぐっすり寝る予定だった。もちろんそのつもりで昨日の日記にもそう書いたのだけれど、いろいろあって、結局寝たのは朝8時だった。
いったい何があったのか。今日の日記は昨夜のそのあとの話から。
日記を書き終わって、まさに寝ようとした時、同部屋の連中がホテルに帰ってきた。
「オオ、ジャパニーズ!」
顔を見るなりそう叫ぶと、嬉しそうに握手を求めてきた。
旅を始めてまだ一週間だけれど、南米を旅していくうちに、“日本人は人気者”(残念ながらモテるという意味ではないけれど)かもしれないと、なんとなく思えてきた。
ただ単に物珍しいだけかもしれないが、外国人は日本人を見つけると「ジャパニーズ!」と嬉しそうに叫ぶ(今のところ「チャイニーズ!」と言われたことはない)。で、自分の知っている日本語をやたらめったら一方的にしゃべってくる。その雰囲気は実に好意的で、こちらとしても悪い気はしない。
今回もあっという間に珍しがられ、これから歓迎会をやろうという。すでに午前2時前だったが、当然よろこんで参加した。
談話室のようなところに呼ばれると、隣の部屋の連中も集まっていて、総勢6人。アメリカ人が3人のほかは、デンマーク人、スウェーデン人、スイス人と国際色豊かな歓迎会になった(歓迎会といっても、毎日この時間までみんなで飲みながら話しているんだろうけど)。
旅人多国籍軍結成!
みんなひっきりなしに自分の知っている日本のことを話してくる。さながら、「自分はこれだけ日本のことを知っているんだよ大会」だ。一応みんな英語で話すのだが、僕以外はペラペラなので大変だった。聞き返しながらなんとか意味をとっていく。
アメリカ人の彼は、日本といえば「ラストサムライ」の渡辺謙らしい。スイス人の彼はスイスで8年間、空手をならっていたという。「イチ、ニ、サン……ジュウ」と空手の掛け声をあげて喜んでいた。
デンマーク人の彼女はなぜかスノーボードの成田童夢と妹のメロを知っていた。別のアメリカ人の彼は宇多田ヒカルの曲を知っているという。こっちのほうが、へぇーっていう感じだった。
話は多少それるが、驚いたのは同部屋に女性がいることだった。ふつうに同じ部屋に寝て大丈夫なんだろうか。着替えとかどうするんだろう。あやまちとか起きないんだろうか。
ちょうど同部屋の女の子(デンマーク人)がなかなか綺麗な子だったので心配になってしまう。いやいや、僕は理性がありますから大丈夫ですけど……。
話は次第に盛り上がり、どこでそういう流れになったか分からないが(多分、英語が聞き取れてないだけ)、「これから踊りに行こうぜ」というとになった。
この時点で時計はすでに午前2時半をまわっている。昨夜も車中泊であまり寝てなかったのだけれど、アルゼンチンのディスコが見られるまたとない機会なので、喜んで参加することにした。
ディスコについたのが午前3時すぎ。フロアが6つも7つもあって移動可能で、それぞれのフロアで踊る音楽、雰囲気が違っている。かなり大きなディスコだ。壁が全てガラス張りだったり、巨大な鏡やスクリーンがあったり、お立ち台で踊り子が踊ったりとさまざまな趣向が凝らされている。
最後にクラブに行ったのが、たしか大学2、3年だから、踊るのはかれこれ10年ぶりになるだろうか(踊らないクラブなら最近まで行っていましたけど……)。
まずは酒を注文してフロアの様子をうかがう。といっても、よくわからないのだから、みんなにくっついていくしかない。
とりあえずみようみまねで踊ってみる。まあ、踊り方なんてその場のノリで、みんなそれぞれの踊り方をしているのだから、その場の空気に溶け込んでしまえば気にならないものなのかもしれない。
最初は連れの女の子と踊っていたのだが、酒もいい具合にまわってきて楽しくなってきた。ダンスなど好きでもないし、やったことも数えるしかない。それが周りの熱気に後押しされ、身体が勝手に動きだす。それが不思議であり、ここちよかった。
とにかく人口密度がすごい。ただでさえデカイ胸がその密度のなかにいるもんだから、ものの数分で何度も当たる。でも、そんなことまったく気にしない。熱気がすごい、露出がすごい、腰振りがすごい。とにかくすごい。変にカッコつけたりしてないから、みんなパワフルだ。
写真じゃ全然伝えられません。本当に。
いい具合で興奮すると、カップルがフロアのいたるところでチュッチュチュッチュやりはじめる。いや、チュッチュというよりヂュッヂュといった感じだろうか。恋人同士が多いのだが、踊りにくる女性グループをねらった男性グループはほぼナンパ狙い(これは日本も同じ)。とりあえず南米のノリ(といっておこう)で強引に口説いていく。
もともと口説くなどといった素養もなく、その前にスペイン語自体しゃべれないので、もちろん色沙汰などはなかった。でも、楽しく踊れたことと、アルゼンチンのディスコを知ったということで、もう十分満足だった。
一緒にいった仲間もそれぞれ楽しんでいたようだ。デンマーク人の女の子とスウェーデン人の女の子はだいたい一緒に踊っていたが、デンマークの方ばかりナンパされるので、スウェーデンは途中かなり不機嫌だった。男の方がコンビで攻めて来たときもアタリはデンマークにいってしまう。でもそれは、スウェーデンにとってはOKなようだった。
連れの男たちが盛り上がり、5時半に帰る予定を7時まで延長しようという。ディスコ自体は楽しかったのだが、これにはさすがに参った。いくら日頃、麻雀で鍛えているといっても、そのようなパワーは持ち合わせていない。最後の1時間はほとんど何もできず、時間がたつのを待つのみだった。
6時過ぎには日もあけた。「そろそろいい時間ですよ」ってお天道様が教えてくれているのに、まったく耳をかそうとしない。いやいや、ほんとにみんな元気だ。
結局7時まで踊りつづけ、ホテルにたどり着いたのが7時半。ふとんに入ったのは8時だった。
でも、なかなかできない経験ができたことは素直に嬉しい。
おーい、朝だよー。聞いてますかー?
午前10時、物音で目が覚めた。さっきまで一緒にディスコで踊っていたデンマークの子が、これからバスでブエノスアイレスに移動するという。とりあえずフロントまで見送り、別れを告げた。
部屋に戻る。疲れているはずなのに眠くない。さっきのディスコの興奮が残っているのだろうか。「眠くないなら寝なくていい」。変な持論を持っているので、そのまま起きて外に出ていくことにした。
とりあえず当初の予定どおりビーチを探索する。アルゼンチン最大のビーチリゾートで、しかも今日は快晴、ビーチはすごい人だかりだった。
子供からお年寄りまで、みんな水着になって太陽を浴びている。出店がビーチを囲むように二重の垣根を作り、その周りでアルゼンチンタンゴやブレイクダンス、大道芸といったさまざまなパフォーマンスが行われている。
今回は泳ぐつもりがなかったので、気ままにビーチを観察することにした。
パフォーマンスが本当に楽しく、日の光が心地いい。老若男女が同じ場所に集まってふつうに笑っている光景が新鮮だ。日本と比べると、本当にお年寄りが多い。そのお年寄りがふつうにビキニを着て身体を焼いている。
なんだかんだで長居してしまった。
ビーチに集いし老若男女
ビーチにいた時間には前半と後半があった。間に3時間ほど空白があるが、それはビーチと隣接しているアルゼンチン最大のカジノ、「CENTRAL CASINO」に出向いていた時間だ。
ここでその詳細は書かないが、前半のビーチは「興奮」、後半のビーチは「癒し」としておこう。
まあ、つまりそういうことだ。
ホテルに帰ってきてさすがに疲れた。この日記を書き終わったら、今日は本当にぐっすり寝よう。先は長い旅なので、そろそろ休養をとらなければ。
信号待ちで大道芸。慌てて運転手からチップをもらう。
現地のボーリング場。実は球もピンもミニサイズ。
- ブエノスアイレスの日本旅館
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2007.01.28 Sunday日本を出発してから9日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのブエノスアイレスにいます
さすがに昨日はゆっくり眠れた。といっても、寝たのは1時半くらいだったけれど、久しぶりに8時間くらい熟睡した。どこでもすぐ寝れるのが取り得なのだけれど、日記を書いたり明日行く場所の情報を調べているうちに、いつのまにか寝るのが遅くなってしまい、朝もすぐ起きて出て行ってしまうのだ。
今回の旅の場合、これが1年つづくわけだから、このままではいけないと思うのだが、無理に寝るのは好きではないので、放っておくことにしよう。そのうち身体に無理がくれば、勝手に寝るようになるだろう。
今日は移動日。マル・デル・プラタの最初の目的、ビーチとカジノは一応味わったので、そろそろブエノスアイレスに戻ることにする。
同部屋の仲間はまだ寝ていたので、起こさずにそっと出て行こうと思ったのだが、それもちょっと寂しかったので、部屋のキーに「SAYONARA」と書いた紙を貼っておいた。僕が宿に来てからというもの、何かあるにつけ、「SAYONARA!」「ARIGATO!」「KONNICHIHA!」と叫んでいたからだ。
これまでの移動はすべて長距離バスを使っていた。本来なら好きな列車に揺られて旅をしたいのだが、南米は列車があまり走っていない。
でもこの長距離バス、すごくいい。それこそ日本で走っているバスよりも大きくて乗り心地がよくて、サービスがいい。
ほとんどの長距離バスが2階建てで、コーヒーやお菓子などを配ってくれる。いろんなバス会社が客引き競争してくれているおかげなのだけれど、今回のブエノスアイレス行きはせっかく路線が走っているので列車を使おうと思った。
宿から駅は結構離れていたのだけれど、歩いて行けない距離ではないので、荷物をひっぱりながら駅に向かう。が、駅についていざチケットを買おうとすると、すでに満席。このあと出発する便も空いていないという。仕方なくバスターミナルに移動。暑い中荷物をひっぱりながら、今来た道を引き返す。
ようやくバスターミナルに着いたのが13時半で、急いでチケットを探したのだが、17時発か23時発のチケットしか残っていなかった。
ブエノスアイレスまでは5時間半かかるので、17時のバスに乗れば22時半、23時のバスに乗れば4時半に着く計算になる。夜行に乗れば今日の夜の宿を心配する必要はないのだが、結構歩いていたため、23時までターミナルで待つのが面倒になった。
勢い17時のバスを予約する。22時半に現地に着いてどうするかという心配はあったが、まあなんとかなるだろう、ケセラセラ。料金は43ペソ(1600円)となかなか手ごろだった。
遅めの昼食。これで8・5ペソ(330円)。
こちらの灰皿は中央に突起がある。火消しに便利。
定刻に出発したバスは順調に走る。が、ブエノスアイレスまであと1時間というくらいになってバスが止まる。大渋滞だ。なかなか進まない。
結局ブエノスアイレスに着いたのは日をまたいだ午前0時15分。
うーん、どうしよう?
本当なら駅の近くの安宿街を歩いて探そうかと思ったのだけれど、この時間ではちょっと厳しい。バスターミナルにはたくさんの人がいたので、そのまま朝まで過ごすことも一応視野に入れながら、ダメもとで1本電話を入れた。
ブエノスアイレスの郊外にある日本人が経営する宿、「日本旅館」の連絡先が運良くノートパソコンに入っていたのだ。
電話に出た宿主のオヤジは感じのいい人で、「あ、いいですよ。お待ちしています」といって、宿の場所を教えてくれた。
「看板は出ていませんから、番地を見てきてください。タクシーでも14ペソくらいで来れると思いますから」
――お、やった。ついてるなあ。
タクシーに道を伝え、宿に向かう。かなり飛ばすタクシーだったが、21ペソかかった。遠回りされたのか、宿主のオヤジにだまされたのか。まあいいや、宿がドミトリーで一泊15ペソ(570円)だから、タクシー代を加算したところで安い。
宿に着く。確かにわかりにくい。ドアに小さく、「日本旅館」と貼ってあるだけだ。
中に入ると日本人の声がする。嬉しくなって中に入っていくと、そこはもう、日本人だけの宿だった。ロビーではNHKの放送が流れ、将棋をさしている人がいる。本棚には日本の漫画と書籍が並び、米とラーメンも置いてある。宿主のテツさんが宿の中を案内してくれ、寝る部屋を自分で決めさせてくれた。
うーん、いごこちがいい。でもなんかなあ、という思いもあった。そのあたりは明日の日記にでも書くとして、とりあえず今日は助かった。たまっていた洗濯物を片付けると、片付けもそうそうに眠りにはいった。
これじゃ、なかなか分からない。お客はほぼ口コミだという。
談話室にはたくさんの日本の書籍とNHK放送が。
麻雀卓もあった。
これが今回の4人部屋。すごく広い。
- 南米で「ラフ」全巻読破!
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2007.01.29 Monday日本を出発してから10日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのブエノスアイレスにいます
まさかまさか、この南米の地で「ラフ」を全巻読破するとは思わなかった。「ラフ」とはご存知のとおり、あだち充氏の人気漫画で、水泳を題材にしたあだち充氏おなじみの恋愛漫画である。
日本旅館に来てから、まさにいたれりつくせりだ。
まず、日本語を話していればいい、荷物などの心配をする必要がない。わからないことは何でも教えてもらえる。さらに、日本食があり、日本のテレビが流れ、日本語の本がある。談話室のソファに寝そべっていると、まるで日本の自分の家にいるような錯覚さえおこる。
せっかく居心地がいいことだし、これまでの旅がかなり駆け足だったこともあって、今日はのんびりすることにした。
10時くらいに目が覚めて、他の住人と雑談する。住人といっても、ここでは大きく2種類にわかれていて、ひとつは僕のような旅人。旅の途中で立ち寄って、ここを拠点に数日ブエノスアイレスをまわり、しばらくすると旅立っていく人たち。もうひとつは、何ヶ月も滞在し、この宿をほぼアパートのように使っている人たち。
同部屋の人に聞くと、「今回は9ヶ月目になるかなあ。その前は1年半くらい居たけど……」なんて答えが返ってきた。日本とは違う南米の生活が気に入っているらしい。最初の航空券さえ入手すれば、物価も日本と比べ物にならないくらい安いし、この宿も長期滞在者は一泊11ペソ(430円)になるから、さほど負担にもならない。
そちらのほうの生活にも興味はあったのだが、とりあえず現在進行形バックパッカーで、ちょうど世界一周をしている女旅人が2人泊まっていたので、いろいろな国の話や、異国であったハプニングなどを聞いた。
自分より年下の女性がすごいなあ、と感心するしかないのだけれど、話を聞くと、他にも女性のバックパッカーは結構いるらしい。しかも南米やアフリカなど、比較的危険な地域へも足を踏み入れている。
やはり日本人で女性ということもあって標的にはされやすいらしいが、その多くは窃盗で、意外と強姦の危険にはあまりさらされていないという(いや、普通にかわいい子ですよ)。
これから行く目的地の情報も含めて、いろいろなことが聞けて楽しかった。
12時くらいまでには洗濯物やシャワーなどの身支度を終わらせ、談話室に入った。とくにやることもなかったので、本棚を見回し、数ある漫画のなかから、あだち充の「ラフ」1巻をひっぱりだした。
懐かしい。
まさか地球の裏側で「ラフ」を再読する機会にめぐまれるとは思わなかった。
気が付いてみると、全12巻を読破してしまっていた。約2時間半かかったが、読み終わって周りを見ると、読み始めたときにいたメンバーがそのままソファでくつろいでいた。
「ラフ」全12巻、絶賛発売中!
漫画だけでなく、旅の資料や日本のビデオも充実。
いつのまにか16時になった。今日はのんびりしようと決めていたにもかかわらず、何かしなければという気分になった。日本にいてもそうなのだけれど、ずっと徹夜仕事が続いて、ようやく休めるという状況になっても、半日暇になると外に遊びにいってしまう。とにかく何かやっていないと落ち着かない性分なのだ。
とくに当てはなかったのだけれど、とにかくどっか行ってみるかと思い外にでた。
行き先も確かめずにちょうどやってきたバスに乗る。バスはどこまで乗っても一律0・8ペソ(30円)と安い。適当に街らしい場所に出たので、そこで降りる。で、適当な店に入って飯を食う。
時間は17時半。近くに地下鉄の入り口を見つけたので、町の中心地まで行ってみることにした。地下鉄はどこまでいっても一律0・7ペソ(26円)とこちらも安い。照明が電球でイスは木製、なかなかいい感じの列車に乗り込んだ。
終点の「PLAZA DE MAYO」駅で降りて、五月広場へ。しばらくあたりをうろついたあと、地下鉄をつかって宿に戻った。
地下鉄はAからEまで全部で5本ある。
五月広場。なかなか感じがいい。
昔の建築物がしっかり残っている。
宿に戻ると、相変わらず談話室にはNHKの放送が流れており、ソファに寝っころがって漫画を読んでいたり、将棋をさしていたり、自炊でラーメンやチャーハンを食べている連中がいる。ここが南米でないような感じだ。妙に落ち着く。
が、ちょっとそれ、どうなの? とも思う。宿に泊まっている人は例外なくいい人で、なんでも教えてくれる。日本のものはそろっており、なに不自由ない。ついつい甘えてしまいがちだが、よく考えると、自分はそれを求めてここに来ているわけではない。むしろ日本にないものを見に、仕事を辞めてわざわざ地球の裏側までやってきたのだ。
米のご飯はたしかに美味しいけれど、近くの食堂で現地の料理を食べながら現地人の生活を知りたいし、日本語の漫画を読むなら、少しくらいスペイン語を覚えたい。
たまにお米が恋しくなったり、日本人が恋しくなったりしたときはまた日本人宿にこよう。で、いやされよう。情報収集がこれだけ簡単にできる場所もなかなかないし……。
山田は予定より1日早く、明後日31日にここブエノスアイレスに着くという。とりあえずブエノスアイレスの拠点はここにして、この先の日本人宿はしばらく我慢しようと思った。
アルゼンチンはサッカーだけでなくバスケットも強い。
公園で遊ぶ姿は日本と一緒。
- 旅人十人十色
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2007.01.30 Tuesday日本を出発してから11日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのブエノスアイレスにいます
今日はまたブエノスアイレスをのんびり過ごした。昼すぎにバスで市内に出て、国会議事堂横のカフェで昼食をとっていると、まさに偶然、同じ宿で同じ世界一周をしているミホさんとでくわした。
彼女は僕と同じ30歳、旅の病魔にとりつかれ、もう長いこと旅を繰り返していたのだが、今回の世界一周でいちおうの区切りをつけようと考えているらしい。その旅もあと3ヶ月ほどで終焉を迎えるという。
次なる目的地メキシコの航空券を入手するため、現地の旅行会社をさがしてながらふらふらしていたというので、とりあえず一緒にその旅行会社を探しにいった。地図をもとにその場所までたどりついたのだが、目当ての会社が見つからない。
「また別をさがせばいいや」と簡単にあきらめて宿に戻ることにした。本当にサバサバしてていい感じ。たぶん僕の3倍くらい気持ちのいい人間で、僕の5倍くらいたくましい。
国会議事堂は貫禄十分。ほんと、えらそうだ。
宿に帰ると、みんなで近くの韓国焼肉を食べにいくという。僕も誘われたので、ついていくことにした。メンバーは8人。見た感じ、ほぼ同年代のメンバーだった。
焼肉屋は食い放題で25ペソ(960円)。予想以上に肉がうまく、それ以外のサイドメニューもなかなかだった。現地の料理ではないけれど、この旅一番のごちそうだった。
話は当然、これまでの旅の報告とこれからの展望になるのだが、僕などはまだ生まれたばかりのヒヨッコなので、みんなの話を食い入るように聞いていた。
バイクに乗って世界一周をしている人、メキシコに長くいすぎてあわてて南米をまわっている人、サッカー留学でこの宿に下宿している人もいる。
なかでもすごかったのが、3年間くらいかけて120カ国くらいまわっているという青年だった。この先、いけるところまでまわりたいとのことだが、ほっそりした体格で少しなよなよして見える彼のどこにそんなパワーがあるのか不思議になってしまう。
アフリカのことも詳しかったので、マラリアのことや国境越えの話、ビザや治安の話などを詳しく聞くことができてすごく参考になった。
これだけ同じ宿に面白い人がいっぱいいて、色々話を聞いていると、ゾクゾクしてくる。
仕事をしている時にも何度か感じたことのある、「なんか自分、すごいとこにいる、すごい人と話してる、すごいことしてる」というのと同じゾクゾクだ。この旅ではそのゾクゾクをどれだけ感じられるのだろうか。とりあえずまず1回。それが日本人だったことがちょっと面白い。
昨日、こういう宿はたまにでいいと書いたけど、日本語で日本人と旅話をするのは本当に楽しい。心がそっちに傾くなあ。まあいいや、そんときの気分で考えよう。
明日は山田がブエノスアイレスにやってくる。昨日のメールで疲れ果てたようなことを書いていたので、どんな顔してやってくるか楽しみだ。
公園で遊ぶ子供が無邪気なのは万国共通。
- 山田と再会、山田さんと初会
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2007.01.31 Wednesday日本を出発してから12日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのブエノスアイレスにいます
旅を始めて12日目、今日は10日前に別れた山田とここブエノスアイレスで合流する。
パタゴニアに向かい、最初はその素晴らしさに喜びのメールをよこしていた山田だが、昨日は移動に疲れ果てたメールが送られていた。どんな顔でやってくるか楽しみだ。
待ち合わせはセントロ(市の中心部)の五月広場、中央に建つ塔が集合場所とした。12時集合だ。こちらは余裕をもって11時前に到着。この旅では集合時間に遅れると、理由はどうあれ、飯を1日分おごるという約束事を二人の間で作っている。さすがに早く着きすぎたので広場をふらふらしていると、11時半に山田がやってきた。
荷物を転がしながら重い足取りでやってきた山田はヒゲ面で、疲労が色濃くにじんでいる。パタゴニアからバスで50時間近くかかったというから、それもうなずける。かなりお疲れのようだ。
とりあえずビールで乾杯して旅の報告会をした。山田に話を聞くと、パタゴニアはかなりよかったみたい。氷河やペンギンもさることながら、地平線に広がる絶景に言葉を失ったと興奮しながら話してくる。まあ、そっちのほうは彼の日記を見てもらうことにして、とりあえず、何はともあれ宿に戻った。
久しぶりの山田君です。
街の中心をはしる5月9日通り。片側10車線の超大通りです。
今日は夕方から、ブエノスアイレス在住の山田のおじさんと一緒に会食をすることになっている。山田さんは日本の総合商社に勤めて以来、スペイン、イラク、中国、チリなど海外勤務を続け、ここブエノスアイレスに来て2年半になるという。海外勤務は40年近くになり、山田も実際に会うのはこれが初めてらしい。
6時半、聞いていた山田さんのオフィスにむかう。どんな人なのか、多少心配もあったのだが、山田さんはとても気さくな方で、僕たちのアルゼンチン訪問を心から喜んでくれた。そして驚いたことに、旅の情報やトラブル対策のレジュメを僕たちのためにあらかじめ作っておいてくれたのだ。
自己紹介が終わり、すぐに食事に向かうものだと思っていたのだが、
「とりあえず、僕の車で市内をまわってみましょう」
と、何も知らない僕らに観光案内をしてくれた。「このモニュメントはアルゼンチンが独立した際に……」「この劇場はアルゼンチンで知らない人がいないくらい……」と歴史もふまえて丁寧に説明してくれる。1時間ばかり車で市内を走ったあと、こちらの「肉を食いたい」という要望にあわせた店を選んで連れて行ってくれた。
店の名前は「EL ESTABLO」。肉料理専門店だ。アルゼンチンの肉は美味い。そして安い。これはメンドサに入ったときから感じていたことだったが、その中でもここの肉はレベルが違った。山田さんが肉にあわせたワインをオーダーしてくれ、生ハムやタンのサイドメニューもつまみながらアルゼンチンの味を堪能した。
あまりの美味さに顔が自然とほころぶ。昨日食った韓国焼肉がこの旅一番の美味さだったが、それをいとも簡単に抜かしてしまった。それもぶっちぎりで。
山田さんの話がまた面白かった。山田さんはこれぞまさに文化人という方で、ミュージカル、映画、オペラ、タンゴ、乗馬と色々なことに興味を持ち、その素晴らしさを体感することを楽しみにしているという。
「人間として生まれてきたからには、他の動物にできないことを何かしないとね。それは生きるためには直接関係ない、こういった余分なことだと思うんだけどね」
こう言う山田さんは読書も趣味だという。僕が出版社に勤めていたことを伝えると、身をのりだしてきた。
「作家さんとのお付き合いはどうされているのですか?」
「本を作るというのはどういう作業なんですか?」
矢継ぎ早に質問される。こればかりはさすがに僕でも話せるので、話は大いに盛り上がり、気が付いたときには12時前。あまりの楽しさに時間がたつのを忘れてしまった。
山田・ジェントルマン・純一郎さんです。
前菜の生ハムとタン。美味すぎてメインの肉は撮り忘れました。
最後は車で宿まで送ってもらった。ブエノスアイレスにはあと3日滞在すると伝えると、それまでの間、自分の時間が空く限り、僕らに付き合ってくれるという。
「明日はちょっと仕事で無理ですけど、明後日は一緒にタンゴを見にいきましょう。で、その翌日の土曜日は僕も1日空いているので、車でどこでもご案内しますよ。それまでに行きたい場所を考えておいてください。こんな地球の裏側まで尋ねていただいて、ここでお会いできたんですもの。何も気にしないでいいですからね」
こんなに至れり尽くせりでいいのだろうか。あまりのもてなしようにこちらも恐縮してしまう。
まさに紳士。地球の裏側でこんな素敵な日本人に出会えるなんて。で、こんな豪勢な観光ができるなんて思ってもいなかった。山田に感謝しないとね。で、今回のブエノスアイレスはせっかくだから山田さんにお世話になっちゃおう。たぶんこれから先、こんなことはまずないだろうから。
- 巨大都市ブエノスアイレス
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2007.02.01 Thursday日本を出発してから13日目
ただいま2カ国目
アルゼンチンのブエノスアイレスにいます
ブエノスアイレスに着いて4日目。今日は12時頃にバスターミナルに行き、次なる目的地、プエルト・イグアスのバスチケットを入手した。値段は一番安いチケットで137ペソ(5200円)だった。
チケットを入手したあとは市内観光へ。ブエノスアイレスの街はとにかくばかでかい。それこそもう東京などとは比べ物にならないくらい都市自体がでかい。
ひとつひとつの建物がでかく、さらにそれが歴史をうまく残した雰囲気のよい建物なので、街を歩いていてもあきることがない。まだ行ったことがないヨーロッパがそういわれているのはよく耳にしていたが、南米の地でこのような都市と出会えて嬉しかった。
ブエノスアイレスの交通を紹介すると、まず市内バス。広い市内のなかに100本以上のルートを走るバスがあって、それこそ夜中まで走っている。料金はどこまで乗っても均一0・8ペソ(30円)と安い。
次に地下鉄。ブエノスアイレスの地下鉄には歴史があり、1913年に開通。日本の銀座線はここブエノスアイレスの地下鉄を参考にして作られたらしい。
市内を網羅するほど路線は伸びていないが、全部で5本の線がAからEのアルファベットで色分けされていて非常にわかりやすい。料金は乗り換えもふくめて、やはりどこまで乗っても均一70ペソ(26円)と激安だ。
セントロ(市内の中心地)の中央には五月広場がある。その広場の南側には大統領府があり、北側には一直線に五月通り(Av.Mayo)が伸びていて、その通りを中心に、街がきれいに碁盤目状に区画されている。
セントロ以外にも市内に見所は多い。あまりに広いので、ある程度長くいないとその有名な見所さえも見尽くすことはできそうにない。
市内の巨大ショッピングモール。
で、今日は山田と一緒にモレルノ地区をまわることにした。動物園、植物園、日本庭園、競馬場など見所は多い。とりあえず、面白そうなので動物園にいってみることにした。入場料は12ペソ(400円)、久しぶりに動物たちを眺めてまわった。
1日のうちで1番暑い時間帯だったこともありバテバテだったが、広い敷地内を上手く使って、緑と空間の多い園内になっていた。売店でジュースを飲んでいると、クジャクやアヒルなどがすぐ隣で歩いている。爬虫類館で大蛇やイグアナを見られたのもよかったし、何よりお目当てのキリンさんに会えて幸せだった。
次に訪れたのが日本庭園。これはブエノスアイレスに住む日本人移民が寄付したもので、2・5ヘクタールの広い土地に日本の庭園が作られている。敷地内には日本の文化が学べる場所や日本料理が食べられる場所もある。
庭園をひととおりまわって疲れたので、日本料理屋に入って緑茶を頼んだのだが、これがひどくまずかった。
日本庭園は思いのほか立派だった。
錦鯉は本家の日本のものよりでかかった。
そのあとセントロに戻り、色々な店の建ち並ぶフロリダ通りをぶらぶらした。道中で路上タンゴや路上ライブをやっていたが、白熱灯の暖色の灯りが昔ながらの造りの建物を映し出すことで、より魅力的なものに見えた。
本当はもう少しいろいろとまわる予定だったが、時間の都合と体力の都合で、今日はこれくらいにして宿に戻った。
明日は山田を宿に残し、一人で市内見物をするつもり。広いこのブエノスアイレスのどこに行こうか悩みどころである。
アルゼンチン音楽をしばし堪能。
10歳くらいの少女が踊るタンゴ。これはこれでGOOD